自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

「新聞記者」アンコール上映

日本アカデミーの作品賞も取ったし、それを記念してアンコール上映もされているし、2時間以内で収まる作品を見たかったし、と色々な条件が重なり「新聞記者」をついに見てしまった…。

 初公開時にこの作品を見る気が起きなかった最大の理由は、安倍政権批判映画と左寄りメディアやパヨクに絶賛されながら、安倍晋三という人物どころか、自民党東京新聞という実在の団体名も出てこないことが分かったから。(まぁ、イソコは劇中劇的な対談映像に前川喜平らと一緒に出てくることは出てくるが…)

 そして、実際に本編を見ると、やはり、実名で出てくるべき人物や団体が別名や名無しになっているので、全然、リアリティがなかった。安倍晋三自民党東京新聞以外でも伊藤詩織などが別名や名無しになっている。

東京新聞はまがいものみたいな名前で出てくるのに、朝日や読売、毎日、ニューヨーク・タイムズは実名で出てくるし、Googleはまがいものというか、デザインをパクッただけの何のひねりもないSEARCHというサイトで出てくるのに、Twitterは実名で出てくるし、統一感がなさ過ぎ!そんな映画のどこに社会性・政治性の強さを感じることができるのだか…。こんな映画で満足し、マンセーできる反安倍系のメディアやパヨクはまともに映画、特に洋画なんて見たことがない無知な連中だとしか思えない。洋画で社会性・政治性の強い作品だったら、企業や政治家の名前は実名で出てくるのは当たり前なのに。だから、「日本映画はリアリティがない」「日本映画の製作者は映画作り以外のことを何も知らない」ってバカにされるんだよ!

 このリアリティのなさは、ネトウヨや、自分は政治的な話はしたくないと言いながら結果として安倍政権マンセーや野党批判をしている一般国民が絶賛する「Fukushima 50」にも共通している。あちらも、菅直人東京電力を実名で出さないくせに、福島第一原発や所長の吉田は実名で出すという中途半端なことをしているからね。

そして、「Fukushima 50」では東京電力が東都電力というまがいものみたいな名前で出てきたが、本作では東京新聞が東都新聞というまがいものみたいな名前で出てくる。結局、ネトウヨもパヨクもその程度の発想しかできないアホばかり。同じ穴のムジナなんだよね。お互い嫌っているのは同族嫌悪ってやつだってのがよく分かる。ネトウヨもパヨクも無知の塊だもんな…。

 なので、パヨクにもネトウヨにも毒されていない。というか、どちらも大嫌いという自分のような人間にとっては、どちらもクソ映画だと思うのが普通だと思うんだよね。少なくとも、シネフィル的な人はどちらも酷評しているし。「新聞記者」をマンセーする人間は安倍批判と思われる要素があるから満足しているだけ。「Fukushima 50」をマンセーする人間は菅批判と思われる要素があるから満足しているだけだと思う。

 それから、これも「Fukushima 50」との共通点だが、テレビでニュースが伝えられるシーンにリアリティがないんだよね。「Fukushima 50」では、人数を数える時に「○名」と読んでいた(ニュース番組では「○人」と数えるのが決まり)が、本作ではいくらワイドショーがバラエティ化したとはいえ、芸能人でもスポーツ選手でもない人物の名前スーパーを呼び捨てで出すことなんてないのに呼び捨てで出していた。本当、日本の映画製作者ってのは、ニュースを見ないし、新聞を読まないってのがよく分かる。だから、社会的・政治的な描写にリアリティがないんだろうね。

あと、本作に関していえば、記者の描写が不自然。イソコをモデルにした主人公と、同期っぽい男性記者と、デスクの3人以外は実質エキストラだもんね。全然、リアリティがない。「スポットライト」とか「ペンタゴン・ペーパーズ」といった最近の賞レースを賑わせた米国製の新聞記者系作品とは比べものにならないほど酷い出来だ。勿論、これらの米国作品は実名が出てくるしね。

 

それにしても、初公開時には無視状態だったくせに、TOHOシネマズでアンコール上映をやるって矛盾しているよな…。まぁ、ドラやピクサーなど本来なら大ヒットになるはずだった春休み映画の話題作がファミリー向けを中心に軒並み公開延期になっているから、金になるなら何でもいいやって感じになっているんだろうな…。この映画なら、高校生以下はほとんど見に来ないだろうから休校なのに映画館に来ている批判も起こらないし…。

 

そして、日本アカデミーの作品賞受賞でふと思う。安倍政権に忖度して、大手メディアがこの作品を紹介しなかったって説、アレはなんなんだったのだろうかと…。まぁ、アレは地上波のワイドショーが勝手に忖度したってだけで別に安倍政権側からの圧力なんてなかったと思うんだよね。そもそも、安倍政権寄りのメディアである日テレ系のバップ、ネトウヨには反日と呼ばれる朝日新聞が揃って製作委員会に名を連ねているし(東京新聞は協力だけってのが笑ってしまうが…)、しかも、ネトウヨ絶賛の「Fukushim 50」にも本作にもKADOKAWAが製作委員会に名を連ねている。さらにいえば、東京新聞の大元である中日新聞は、「Fukushima 50」の製作委員会にも入っているわけだから、政権側からの圧力とか、政権側への忖度とか、どちらの作品にも関係ないと思うんだよね。ただ単にそれぞれの作品を作った人間の思考・嗜好によるものな気がするな。というか、日本の今の映画製作者にそこまでの気概があるかどうかも怪しい。発注されたものを発注された通りのテイストで作っただけでは?

 

とりあえず、今回の日本アカデミーの優秀作品賞受賞作の中で一番まともな作品を選べば、そりゃ、これになるでしょって感じだったな。それを、ネトウヨ反日左翼の映画人らしいとか言ったり、パヨクが安倍マンセーのマスコミに反旗を翻した映画人は素晴らしいとか言うのは、どちらも過大評価だと思う。最優秀作品賞を選ぶ候補作品をノミネートと言わず、優秀賞受賞作品と呼ぶ、いかにも談合的なこれぞ日本って感じの制度は大嫌いだけれど、同じシステムをとっているレコ大の最優秀作品が「パプリカ」だったことよりかは、こちらの方が何十倍も納得できる。

面白い映画ではあるけれど、「翔んで埼玉」や「キングダム」だと、作品賞?は?って感じだもんね。去年の米国のヒット作に例えれば、「名探偵ピカチュウ 」や実写版「アラジン」が作品賞を取るようなもんでしょ。どう考えても、候補作品を選ぶ段階の不透明さを感じるよね。要は各映画会社やテレビ局の力関係で選ばれただけっていうね。でも、そのクソみたいな候補作の中で選べって言われたら、ほとんどの人が思想の好き嫌いに関係なく、これを選ぶよねってだけの話だと思う。

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