自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

誹謗中傷問題と最近のおかしなファン心理

誹謗中傷問題がここまで注目され、政治まで動かしてしまったのは「テラスハウス」出演者が亡くなったことが最大の要因であると思う。そして、ここまで「テラスハウス」出演者の言動に対するバッシングが激化したのは新型コロナウイルスの影響によるステイホーム生活で娯楽の場が減った人たちがストレス解消の場にしていた部分も大きいと思う。また、出演者のメンタルが弱ってしまったのも新型コロナによる影響で今後の活動の見通しが立てらないということもあるのではないかと思う。

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 そして、ステイホーム生活していた人たちがストレス解消の相手にしていたのは、芸能・スポーツ関係者だけではない。政治家もその対象になっていた。思想の左右、真ん中、自称ノンポリ問わず多くの人が政治批判を繰り広げた。

特に先行きの見えない不安な世界を生きている中、コロナ対策やウィズ・オア・アフター・コロナの経済対策と関係ないことを強行しようとする安倍政権に対する怒りを持った人も多かった。とりわけ、公務員の定年延長とは名ばかりの黒川定年延長問題は「何となく安倍政権支持層」の怒りも買ってしまい、支持率低下に結びついてしまった。

 安倍政権が誹謗中傷問題で締め付け強化しようとしているのは、一見、「テラハ」問題に対する迅速な対応に見せかけて、実際は安倍政権への批判を「誹謗中傷」として締め付けようとする狙いであることは、多少でも安倍政権に批判的なスタンスを持つ人間なら想像できることだと思う。

 

勿論、「○ね!」とか言うのは確実に誹謗中傷というか、それ以上の自殺教唆という立派な犯罪だと思う。でも、この締め付けがいいように利用されると、政治家に「辞めろ!」って言うことすら「誹謗中傷」にされてしまうよね…。

 

そして、政治に限らず、映画や音楽、文学、美術、スポーツなどにも言えることだが、批評も「誹謗中傷」にされてしまう恐れが高いということ。クソ映画とかクソ曲なんて言葉で批評したら、「誹謗中傷」と訴えられる可能性があるんだよな…。そんな法整備はダメでしょ。勿論、「○ね!」なんて言うのはもってのほかだけれどね。

 

何か世の中、批判をする方もされる方も、批判の仕方、受け流し方が分かっていないような気もする。安倍政権自体がそうだもんな…。甘やかされて育ってきたボンボン議員やタレント議員ばかりだからなのかな?

 

そして、ふと思う。安倍政権になってから映画でも音楽でも文学でも美術でもスポーツでも何でもそうだが、「ファンなら自分が応援している人を批判してはいけない」という風潮が高まっている気がする。

安倍政権支持者は、安倍や閣僚などが明らかなミスをしても安倍政権批判をしない。北方領土問題の進展具合なんかは、それこそネトウヨがよく使う言葉である「反日」行為そのものであり、明らかに日本が損をしているのに、そのネトウヨたちは安倍政権を批判しない。

それと同じことがエンタメやスポーツなどの世界でも起こっている。

 

自分が応援している俳優が問題発言をしたら、それはその俳優の才能とは別に批判すべきだと思うし、好きなアーティストが、前に出した曲と比べて何の進歩もないような作品を発表したり、明らかにパクリと呼べる作品を出せば批判すべきだと思う。

 

でも、「ファンなら批判せず応援し続けろ」という考えが蔓延しているんだよね。

そして、この考え方を広めるのに一役買っている一人に指原莉乃がいると思う。彼女は現役アイドル時代から問題を起こした自分以外のAKB48グループメンバーを批判するなと自分のファンに言いかせてきた。その教えに彼女の忠実な下僕である多くの中高年ファンは従ってきた。言うまでもなく、この世代というのはネトウヨのコア層でもある。その結果、メンバーたちは甘やかされ続け、NGT騒動が起きたのは言うまでもない。

さらに、彼女の「批判するな主義」は先日の「政治的発言」に対して中立のようでいて、実は権力側に利用されてしまうというか、権力側に媚びを売っているととらえられても仕方ない発言にもつながる。

まぁ、権力側に好かれた方がおいしい思いをするからビジネスとしては正解だとは思うけれどね。

 

でも、「この安倍政権を批判するな」=「批判する奴は反日・在日・パヨク」という考えが、政治以外の場でも広がっているんだよね。

そもそも、国政のトップが問題発言をしたり、汚職に手を染めれば、全国民には批判する権利がある。ましてや、安倍政権を支持していない人や自民党支持者でない人間なら遠慮する必要はない。

なのに、ネトウヨ思想の人間は、全国民は安倍政権支持者、自民党支持者でなくてはいけないと思っているんだよね。

 

それと同様にあるアーティストのファンが、ファンでない人に対しても、そのアーティストを批判するなという機会が目立っているように思う。

百歩譲って、そのアーティストのファンがそのアーティストを酷評するなというファンの間の掟は黙認するとしても、そのアーティストの熱心なファンでない人が、そのアーティストの楽曲や音楽性、言動などを批判した際に噛み付いてくるのが結構いるんだよね。

自分たちファンの掟をファンでない人に押し付けるというのは理解不能でしかない。

 あまり個人名は出したくないが、氷川きよしと米津玄師のファンに、そういうのが多いんだよな…。ちょっとでもネガティブなことを言うと老害扱いしてくるんだよね…。そんなに革新的な音楽をやっているわけではないのにね。属するジャンルの中ではイノベーターかもしれないけれどさ。

まぁ、自分が崇拝するアーティストやその属するジャンルの音楽しか聞かないから、そのアーティストのやっていることが最先端の最高峰にしか思えないんだろうね…。

 ちなみに、氷川も米津も好きな曲はあるので、何でも叩く人間だとは思わないでください。

 

というわけで、だいぶ話は寄り道してしまったが、支持者どころか、支持しない人にすら批判的な意見をできなくさせてしまう。場合によっては、犯罪者にされてしまうような法改正はよろしくないというのが一番言いたいことかな。

「誹謗中傷」か否かの判断なんて、批判された側がどう取るかによるからね。「○ね!」みたいな明らかな発言でもない限りはね。

つまり、与党とか大手芸能プロダクションとかの都合のいい解釈がされてしまうということ。さらに言えば、評論という文化がなくなってしまうということ。ただでさえ、日本のマスコミなんて御用メディアばかりなのに、「キネマ旬報」とか「映画秘宝」みたいな(時々、権力に媚びたりはするものの)言いたいことはきちんと言う雑誌なんて成立しなくなってしまうしね。

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フジロックサマソニに対してマンセーしかできないロッキング・オンみたいな雑誌ばかりだからね…。

そういう御用記事をセミプロや一般人のブログやSNSにまで強要することになるしね。それこそ、「言論の自由って何?」って感じだな。

 

とりあえず、どんなに腹立つ相手でも、「○ね!」と言うのはなしで!