自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

STAND BY ME ドラえもん 2

正直言って見る前は期待していなかった。

 

SBM」とか「スタドラ」とか略されているこのCGアニメーション版「ドラえもん」映画シリーズ、公式が自ら「ドラ泣き」なんてキャッチコピーで感動作アピールしていることには反感を抱かざるをえないというのがその理由。

 

また、実写だろうと、CGアニメーションだろうと、山崎貴作品という時点で、金をかけただけ(邦画としてはというレベルだが)で、ポリシーも内容もない映画というイメージを抱いてしまうのは、映画マニアなら当然のことだと思う。

 

そして、何よりも本作を期待できない最大の理由としてあげられるのは、3D上映ではないのに、CGアニメーション版「ドラ」映画の続編を作る必要があったのかという疑問を抱いたことだった。

この「SBM」もしくは「スタドラ」あるいは「ドラ泣き」と呼ばれるシリーズの前作は3D上映だから、通常の作画とは異なるCGアニメーションとして作る意義があったと思う。3Dとの相性でいえば、手描きアニメよりもCGアニメーションの方が良いと思うしね。でも、日本では3D上映のブームはとっくの昔に去ってしまい、洋画も含めて3D上映はされなくなってしまった。4DXとかMX4Dといったシステムの上映でも3D上映は除外されている。本来は3次元上映ににおいや水しぶき、振動などといったフィジカルな要素がプラスされるから、4Dなんじゃないのかと思うが、業界側は立体上映でなくても4Dだと言い張っているのは納得がいかない。

 

それはさておき、自分も最後に3D上映で映画を見たのは3年10ヵ月も前だし、この間に3Dと2Dの両バージョンで上映された作品は積極的に2Dを選んで鑑賞したくらいだった。3D上映を避けた理由はいたって明瞭で、立体を感じないから。昔のセロハンメガネの時代の3D上映の方が立体感があったと思う。眼科医にかかった時やメガネ店に行った時に、“もしかすると、右目と左目で見え方が違う?”と聞かれたくらいなので、おそらく、2000年代半ば以降のシステムによる3D上映は自分の目に合わないんだと思う。というか、日本で3D上映が廃れていったということは、自分に限らず日本人の目には合わないということなのかもしれない。

 

話は戻るが、「ドラ」映画は毎年、手描きアニメで製作されている。今年はコロナの影響で通常の春公開が夏公開になったが、来年は例年通り、春に公開するようだ。イベント上映の「LUPIN THE ⅢRD」シリーズや「コナン」とのコラボ作品を除くと、長らく劇場版が作られていなかった「ルパン三世」シリーズのような作品なら、CGアニメーション映画として新作を発表するのもありだろうが、毎年、新作を発表している「ドラ」では必然性は感じない。しかも、コロナの影響で今年の通常「ドラ」映画と、この「ドラ泣き」の公開時期が変わったため、8月に手描き映画→11月にCG「ドラ泣き」→年が明けて3月に手描き映画という、70年代くらいまでの邦画、もしくはつい20年くらい前まではそうだった香港映画みたいなペースで続編を発表しているので、正直、この「ドラ泣き」の必然性はさらに薄れている。

 

そうした諸事情を考えると、全く期待できなかったし、安直に公式側が「泣き」をアピールするなんて愚の骨頂としか思えなかった。

 

ところが、実際に鑑賞してみると、驚くほど泣けた…。おばあちゃんネタとか、のび太としずかの結婚とか、のび太の誕生とかベタベタな感動シーンをつなげているだけだから、そりゃ泣けるのは当然なんだけれどね。

 

まぁ、山崎貴作品としては最高傑作と言ったけれど、作品自体はご都合主義だらけで褒められたものではないけれどね。普通のタイムスリップものでは、異なる時代の自分と遭遇してはいけないわけで、コロナ禍に強行公開された「テネット」はあれだけ、複雑なルールを課していたわけだしね。それと比べると、本作のタイムスリップはご都合主義のかたまりで呆気にとられてしまう。

 

そして、時代設定も謎。おそらく原作が50周年(正式には51周年なのだが、本当、何周年とか何年目といった表記はいい加減なものが多すぎる!)ということを考えると、原作がスタートした1969年もしくはこの50周年という文言に合わせれば、70年が、作中の現在である10歳ののび太が生きる時代だと思われる。つまり、のび太は50年代末もしくは60年代初頭の生まれということになる。この映画でのび太たちは、のび太が3歳の時のおばあちゃんと遭遇するが、これが本当、記号的なおばあちゃんの容姿となっていて、いくら原作に沿ったとしても、どうなんだろうかという気はする。おそらく作中の時代設定である60年代前半だって、あんなおばあちゃんはいないよ。まぁ、自分はおばあちゃんっ子だったので、そういう細かいことは気になったものの、色々とおばあちゃんが生きていた頃を思い出して「ドラ泣き」してしまったが…。

 

そして、この時代設定から計算すると、のび太がしずかと結婚するのは劇中で25歳と言及されているので、時代は80年代半ばのバブルに突入するかしないかという頃のはず。

ところが、2020年時点でも存在しない技術が街中にあふれている。その一方で、携帯は最先端なのかレトロなのか分からないようなものになっている。もうデタラメもいいところ…。ついでに言うと大人のび太と子どものび太が入れ替わった際に声も入れ替わっていたのには違和感があった。

 

それから、本作の舞台となっていると思われる50年代末から80年代の半ばの基準では問題ないのかもしれないが、現代の子どもも見る作品ということを考慮すると、もう少し、ポリコレ的配慮をした方がいいのではと思った箇所も多かった。

 

しずかが同級生男子を下の名前のさん付けで呼ぶのなんて、男尊女卑そのものだし、ジャイアンのび太に対して“のび太を殴っていいのは俺たち(ジャイアンスネ夫)だけ”なんてのたまうのはいじめ容認だし、0点を取った子どもに対して折檻するような叱り方をする母親は児童虐待でしかない。しかも、この母親は“頭がおかしくてかわいそう”などといった差別的な発言もしてしまう。原作リスペクトなのかもしれないが、こういうところは変えるべきだと思う。

 

ジャイアンといえば、現在のジャイアン役の声優・木村昴が、声優によるヒップホップ・プロジェクト、ヒプノシスマイクで活躍しているのって面白いよね。音痴設定のジャイアンが音楽界でも活躍しているってことだからね…。

 

それにしてもガラガラだったな…。やっぱり、「ドラ泣き」前作を見てCG「ドラ」は好きになれないって思った人が多いのかな?個人的には良いと思うんだけれどな。まぁ、日本人は発展することをやめてしまった人種だからな…。

 

それから、コロナの感染者数が増えているから、「ドラ」映画のコアターゲット層である親子連れに避けられているんだろうなとは思う。夏に公開された手描き映画も前作より大幅に成績ダウンだったしね。

つまり、記録的な大ヒットとなっている「劇場版 鬼滅の刃」を見に来る親子連れはいても、それは普段のファミリー層向け映画を見に来る層とは別の人種なんだろうなということかな。

 

そして、やたらと泣いている子どもがいた。「ドラえもん」のポリコレ感覚の欠如いうのが今の子どもには向いていないのだろうか?あるいは、日本人は子どもですらCGアレルギーを抱えているということなのだろうか?

子どもといえば、菅田将暉の主題歌を口ずさんでいる子どもをよく見かけるな。ということは、今の子どもに「ドラえもん」が受け入れられていないってワケでもなさそうだな。テレビ版の放送日が土曜日の夕方に移動して、「ドラ」人気は大幅に低下したとマスコミは煽っているが、実際はそうでもないということか。というか、コロナ禍になって、子どもの土曜日在宅率が高まって、リアタイで見る子どもが増えてきたのかな?

 

余談だが、この菅田将暉の歌う主題歌の歌詞って、三木道三みたいだよね…。

 

ところで、作中の電脳的未来都市の風景には日本映画には珍しく実在の企業名が出てきたけれど、これって、「シュガー・ラッシュ」を意識したのかな?それとも、これだけタイアップしないと、見栄えのするCG映画は日本では作れないってことなのかな?

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