自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

魔女がいっぱい

誰が見てもロバート・ゼメキス作品と分かる映画だった。

 

本作には「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」、「ドック・オブ・ベイ」などの名曲が使用されているが、そうした“懐メロ”を効果的に使うのは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「フォレスト・ガンプ」でもおなじみの演出。

もちろん、ゼメキス組の作曲家アラン・シルベストリによる、いかにもシルベストリなスコアも鳴り響いている。

 

毒の効いたファンタジーという点では「永遠に美しく…」を彷彿とさせるし、ゼメキス監督がプロデューサーとして関わったホラー系作品にも通じるものがあると思う。

もちろん、若干グロいダーク・ファンタジーの要素はプロデューサーとして名を連ねているギレルモ・デル・トロアルフォンソ・キュアロンのメキシコ組の影響はあるとは思うが。

 

それから、児童文学や名作文学の映画化という点では、モーション・キャプチャー作品の「ポーラー・エクスプレス」や「クリスマス・キャロル」との共通点も指摘できるかもしれない。

デル・トロ&キュアロンは元々、ストップ・モーション・アニメーション作品にする予定だったというから、そういう作品と共通点があるのも納得かもしれない。

 

ところで、本作の公開を前に、魔女役のアン・ハサウェイが、“手足の指の本数が少ないなど障害のある人物を邪悪な人物として描いてしまったことを申し訳なく思う”みたいなコメントを発表したが、確かに本作を見て“障害者差別”と思う人がいてもおかしくないなとは思った。

ちなみに自分は、義手とか義足を見るのが怖くて仕方ないのだが、その原因となったのは、自分が小学生の頃まで、雷門の辺りに義手でアコーディオンを弾く傷痍兵みたいな人がいたからで、しかも、哀愁を誘うような演奏をしていたので彼を見て怖いと思ってしまった。それが、義手や義足、あるいは腕や脚がない人に対する恐怖につながってしまったんだよね。

その後、高校生の時にデフ・レパードの名盤『ヒステリア』がリリースされ、片腕でパワフルにドラムを叩くリック・アレンを見て、多少、恐怖感は薄らいだけれど、今でも子どもの頃に見たアコーディオン傷痍兵の姿はトラウマになっている。

だから、本作を見て、障害者を怖いと思う人が出てくるのは間違いないと思う。

 

なので、この件に関しては過剰なポリコレとは思わない。ただ、アン・ハサウェイは怪演していて、普通なら賞レースを賑わせる存在になる演技なんだけれど、今の過度なポリコレが進んでいるハリウッドでは無視されそうな気もするかな…。「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・デップと並ぶ怪演だと思うんだけれどな…。

 

差別描写といえば、冒頭に出てくる魔女が黒人で、魔女に襲われる子どもも黒人なことに驚いた。黒人に対して少しでも不遇な目にあわせたら、大バッシングとなる今のハリウッドで大丈夫なのかと思った。

 

まぁ、結局、主人公が黒人と分かるやいなや、その不安は払拭されるのだが、そしたら、その後は黒人監督が撮った映画みたいに登場人物が黒人ばかりで、白人の登場人物は悪役か嫌味な奴、アホな奴ばかりになって、なんだかなという気もした。

 

とりあえず、オチはブラック・ファンタジーっぽくていいなとは思った。でも、おばあちゃんの咳の謎が明かされないのは納得いかないな…。

 

そういえば、米国では本作は劇場公開を見送り、配信オンリーになってしまった。ワーナーは劇場公開を強行した「テネット」が想定していたほどの数字を上げられなかったから本作を配信ストレートにしたのだとは思う。でも、今後の「ワンダーウーマン1984」などのワーナー作品は、米国では限定的な劇場公開と同時に配信するという方針に変えたようだ。これはやっぱり、ロバート・ゼメキス監督作品は映画館で見たいって声が多かったんだろうな。

米国のコロナ感染状況に合わせたら、いつまで経っても劇場公開できない。あるいは、ディズニーみたいになんでもかんでも配信オンリーにするしかない。でも、東アジアなどエンタメが機能している地域もあるわけで、そういったところでは今まで以上にドメスティックな作品が好調だったりする。そういうことを考えれば、そういう市場を無視せずに、劇場公開できる地域では公開し、難しい地域では配信にってのが正しい判断だとは思う。

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