自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

ジョン・レノン没後40年

ジョン・レノンという人物を認識したのはいつかはハッキリとは覚えていない。

 

でも、おそらく、ザ・ビートルズというバンドを認識したのは、“レット・イット・ビー”が主題歌として使われた映画「悪霊島」のCMがテレビで大量に流れていた頃だろうから、おそらく1981年なのだろうか? 

でも、小学生の時の音楽の副読本みたいなやつに“イエスタデイ”が掲載されていたような気がするので、バンド自体の認識はもっと前で、実際に音源を意識して耳にしたのが1981年ってことなんだろうとは思う。

 

それから、ちょっと経ち、中学2年生になった1985年には、洋楽好きとなり、MV(当時は洋楽好きにはビデオ・クリップと呼ばれていたが)をテレビの深夜番組などでチェックし、フルコーラスで流れるFMラジオをエアチェックもするようになったが、この頃にはきちんとザ・ビートルズジョン・レノンがどのようなアーティストで、代表曲は何かみたいなものは把握するようになっていたとは思う。

 

それにしても、中二病とはよく言ったものだよね。結局、中2の頃にハマった沼から抜け出せないってことだからね。自分にとっては、洋楽がそうなんだろうと思う。

 

そして、本格的にジョンのソロ楽曲を好きになるきっかけとなったのが、1988年のドキュメンタリー映画「イマジン/ジョン・レノン」だった。

日本公開は年が明けた1989年1月だったが、一足先にサントラ盤を購入し、映画の日本公開を前によく聞いていた。

このサントラ盤を何度も聞いた理由はおそらく、名曲として知られている「イマジン」、当時、CMソングとして使われていた「ウーマン」、さらには、映画の公開に合わせてMVもオンエアされ、シングルとしてもリリースされた「ジェラス・ガイ」といった辺りが気にいったからだと思う。

 

この本格的なジョン・レノン体験以降、自分は毎年、ジョンの命日の頃になると、ジョンの名曲を聞きたくなる病にかかってしまった。

基本的には「イマジン」、「ジェラス・ガイ」、「ウーマン」、「ハッピー・クリスマス」、「スターティング・オーヴァー」(以上、好きな順)辺りは、ほぼ毎年聞いている。

 

そういえば、ニューヨークに一人旅した時はセントラル・パークの記念碑を見に行き、アパートの辺りまで行ったりしたっけな…。もう16年も前のことだが…。

 

とりあえず、没後40年って、あっという間だなという感じかな…。海外ではストリーミングによって過去の音楽が受け継がれていくようになったのに、日本ではそういう文化が形成されていないので、これから、どんどん、ジョン・レノンに対する世間の興味は薄れていってしまうのだろうか…。そもそも、洋楽を聞く人が減っているからな…。没後50年の節目となる10年後なんて、話題にならないんじゃないかという気すらしてきた…。

f:id:takaoharada:20201208134800j:plain