自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

劇場版『美少女戦士セーラームーンEternal』<前編>

はじめに、自分は「セーラームーン」の放送開始当時はなんとなく、食事中とかに何も見るものがない時にかけていたという程度で、ほとんど思い入れがないので、人によっては、“こいつ、何言ってんだ?”と思うことも言っているかもしれないということをお断りしておきます。

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画の雰囲気はアニメがスタートした90年代のテイストとほとんど変わらない。劇場版とはいっても、ほとんど、テレビスペシャルというか、昔の東映まんがまつりや東映アニメフェアレベルの作画で止め画も多い。

最近、東映は劇場版を復活させた「ドラゴンボール」やイベント上映が人気を集めた「デジモンアドベンチャー」、メタ構造で賛否両論となった「おジャ魔女どれみ」といった具合に、かつての子どもたちを呼び戻すコンテンツに力を入れているが、これもそうした路線の一つと言えるのかな?

 

“脳なしアマゾン ”という人種差別的な言葉も出てくるし、そのアマゾンからやって来たとされるサーカス集団が麻布十番を占拠し、住民を洗脳していくのは、もしかしたら、麻布十番を含めた六本木地区が外国人や観光客に占拠されてしまってつまらない街になったことのメタファー=排外主義にも見えてしまう。

そして、メンバーの1人が“お嫁さんになりたい”などと言っているのも、いつの時代の話だよと言いたくもなる。

 

でも、全体としては、今みたいに偏ったフェミとアンチフェミがSNS上で不毛な争いをするような時代にすらなっていない90年代に、既に女性が自立して夢を叶えるというテーマを掲げていたということには改めて感心した。目指しているものも魔法少女ではなく戦士だしね。要は一見、従来の魔法少女アニメに近い画柄で特撮の戦隊モノをやっていたわけだからね。

その後の「プリキュア」シリーズは、コレがなければ生まれていないだろうし、21世紀になってからの魔法少女モノ、それこそ、「まどマギ」などに戦隊モノの要素が強いのも、「セーラームーン」の影響下にあるんだろうなと再認識した。

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まぁ、今回の作品は、主要キャラが潜在意識が具現化された夢から逃げ出そうとする話だったので、記録的大ヒットとなっている「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」みたいだなと思ったりもしたが…。というか、そもそも、「無限列車編」を見た時に「インセプション」みたいって思ったから、そっちが先か…。

 

ちなみに自分が鑑賞した最大の理由は、ももクロが主題歌を歌っているから。

 

今回の主題歌「月色Chainon」はおそらく、コミック・ソング路線ではないももクロの楽曲でいえば、王道路線ともいえるタイプの曲調だと思う。多少なりとも、ももクロに興味を持っている人間なら気にいるよねって感じかな。

 

熱心なファンからは怒られるかもしれないが、「サラバ、愛しき悲しみたちよ」、「泣いてもいいんだよ」といった「悪夢ちゃん」絡みの楽曲をリリースした頃が、ももクロの“ピーク”だったように思える。

そして、海外でも人気の高い楽曲で、今回同様「セーラームーン」関連の楽曲となった「MOON PRIDE」はちょうど、このピーク直後にリリースされた楽曲だ。

 

そうした辺りのピーク前後のももクロ節が戻ってきたって感じがして、なかなか良い曲だと思う。

 

ところで、「おジャ魔女どれみ」のメタ映画「魔女見習いをさがして」ではメインキャラ3人組のうちの1人の声をももクロ赤が担当していて、今回の「セーラームーン」の映画ではグループで主題歌を担当している。それから、復活した「ドラゴンボール」映画のうちの1本では、グループで主題歌を担当するとともにゲスト声優としても出演している。かつての子どもたちにアピールするアニメ映画にはももクロは欠かせない存在ってことなのかな?

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