自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

乃木坂46「僕は僕を好きになる」の歌詞を考える

乃木坂の新曲「僕は僕を好きになる」は、パワハラやいじめ、差別などの経験がある人からすれば到底受け入れられない歌詞だと思う。

 この曲の歌詞に感動したとか言っている人たちは、スクールカーストの下層にはカテゴライズされたことのない人たちなんだと思う。

パワハラやいじめを受けている人に「今の場所 受け入れればいい」って言っているんだから、本当、秋元康史上最低のクソ曲だと思う。メロディやアレンジはいいが、歌詞はクソ中のクソ!

 

普段、秋元康の歌詞に噛みつくリベラルやフェミの連中がこの「僕は僕を好きになる」を批判しないのって不思議だよね。これほど酷い歌詞ないのに。結局、リベラルやフェミの連中は坊ちゃん・嬢ちゃんが多いからスクールカースト下層の気持ちが分からないんだろうね。乃木坂好きらしい枝野は批判したらどうなんだ?

 

小中高の時にいじめにあっていた人が同窓会に出席しないのは「輪にとけこもうとしない自分が悪いからだ」なんて言っている=「いじめられるのはいじめられる方が悪い」って言っている歌詞なんだからね。

 

その一方で、この曲の歌詞が刺さると言っている人たちが多いのも事実。多分、そういう人たちってスクールカーストでいうところの上位でも下層でもない人たち。つまり、上位の意見に流されやすい中間層の人たち。もっと限定すれば、その中間層の中でも、さらに下の方の人たちなんじゃないかなって思う。

中間層の上の方に媚びていれば、自分ももっと目立てたのにとか、そういう後悔があるのでは?それを無視したり、輪に入ろうとしなかった自分のせいと思っているのでは?

 

実際、芸能界とかマスコミってスクールカーストの上位と下層の人間ばかりが多く、中間層の人たちは少ない。だから、学園生活時代には活躍できなかった下層の人も活躍できる。つまり、いじめというのは、言い出しっぺはカースト上位かもしれないけれど、事態を悪化させているのは中間層だということがよく分かる。カースト上位と下層の直接対決なら互角の勝負になる。あるいは下層が勝つこともある。でも、学園生活では中間層が数の力で上位に加勢するから下層は排除されてしまうってことだからね。

 

ところが、芸能界・マスコミに限らず、社会人になると、このもっとも人数の多い中間層が一番活躍できない。上位にうまくごますりしていた中間層の上位はまだ、上位のおこぼれをもらえるかもしれないが、何となく、世間の声に合わせてはいたものの、結局、何もしてこなかった中間層の下の方の人たちには何のおこぼれもない。

「何で、自分は落ちぶれてしまったんだろうか。そうか、上層部の声を肯定しなかったからか。もっと、媚び売っておけば、いい目にあえたのに」みたいな思いが強く、それが、この曲に共感する要因になっているのではないかと思う。

 

でも、この曲の歌詞は、一聴すると、中間層の声というよりかは、いじめやパワハラを受けている人の物語にしか見えないんだよね。そう思わせておきながら実はスクールカースト下層ではなく中間層に刺さるように書いたとしたら、秋元康のマーケットのうまさに感心せざるを得ないが、でも現状では、いじめやパワハラを肯定する歌詞にしか見えない。

 

それと同時に、この歌詞には別のテーマも隠されているのではないかとも思う。

 

今一番 嫌いな人の名前とその理由を…

 ⇒二階 日本のコロナ対策が進まないのはあんたのせい

 

二番目に嫌いな人とその理由

⇒森 そもそも、日本のコロナ対策が進まないのは五輪を意地でも開催したいから

 

三番目も…

⇒菅 何もしない。前任者の方が批判されれば動いただけマシ

 

あんなにいたはずの嫌いの人の名前が数人しか思い出せない

⇒そんなことはない

 このあとに、小池だ吉村だバッハだなんだといくらでも名前をあげられる

 

無視されたら無視してればいい

 ⇒それって、愚策を繰り返す政治家を黙認しろってこと?

 

居心地の悪い視線なんか気にしないで

⇒リベラルや左翼、パヨクの政権批判の声は気にするなってこと?

 

今の場所受け入れればいい

⇒もしかすると、政治批判せず、政権の犬になれば、おこぼれがもらえるかもしれないよってことかな?昔はもらえたかもしれないが、今はもらえないから、こういう格差社会になっているのでは?

 

つまり、政権批判するなという、PCR検査は不要だ、コロナは風邪だ、五輪を開催しろという勢力のプロパガンダのようにも思えてきた。

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