自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

あの頃。

まず、アイドルの定義とは何ぞやという問題がある。日本でいうアイドルと、韓国でいうアイドル、洋楽の世界でいうアイドルは違うとよく言われている。韓国ではアイドルやアーティストといった明確な区分けはないとか、本来のアイドルという単語の意味は“偶像”とか“憧れの対象”という意味で日本でアイドルと呼ばれているようなタイプの芸能人をさす言葉ではないなどど言う人は多い。

 

でも、BTSの「IDOL」の歌詞は、アイドルをアーティスト扱いしない人もいるが、そんなのはどうでもいいといった日本でもよく言われていることが歌われているし、一時期は圧倒的な影響力を持っていたオーディション番組「アメリカン・アイドル」におけるアイドルというのは、本来の“偶像”や“憧れの対象”などといった意味よりかは、日本でよく言われる“国民的アイドル”の意味に近いと思う。

 

多くの人は、自分で作詞・作曲やプロデュースをせず、楽器も演奏せず、歌唱力よりもルックスやキャラクターで人気を集めている人がアイドルと思っている節がある。

でも、バンド形式のザ・ビートルズだってアイドルだし、日本だって、チェッカーズは最初はバンド形式のアイドルだった。ジャニーズにだって、時々、バンド形式になる関ジャニ∞を含めて、男闘呼組TOKIOといったバンド形式アイドルが存在する(した)。だから、作詞・作曲、プロデュース、楽器の演奏の有無はアイドルか否かの判定基準ではないと思う。

 

個人的には長らく、バンドだろうと、演歌歌手だろうと、声優だろうと、洋楽だろうと、K-POPだろうと、ジャンルや年齢を問わず、異性ファンの多いアーティストがアイドルだと定義していた。

要は純粋に音楽性だけではなく、そのアーティストを疑似恋愛の対象として見ているファンが多いのがアイドルであり、結婚したり、熱愛が発覚したりして人気が落ちたアーティストは自作自演型でもアイドルだと思っていた。

福山雅治が結婚後、人気が下降したのは彼が自作自演型のアーティストであっても、アイドル視する女性ファンによって支えられていたことの証明であるし、CDショップが一時期、オシャレな邦楽アーティスト扱いでプッシュしていた声優アーティストの坂本真綾花澤香菜が結婚や恋愛発覚によって、CDセールスが下降していったのは、結局、アーティストとしての評価よりも声優アイドルとしての人気だったんだなというのを表していると思っていた。

 

また、女性アイドルよりも男性アイドルの方が“寿命”つまり、人気アイドルとして活躍する期間が長くなっているのも、こうした疑似恋愛の対象となっているからだと思う。

フェミ的な思想の人からは批判される意見かもしれないが、女性は一度に1人の相手との間の子どもしか妊娠することができない。でも、男は同時期に複数の女性を妊娠させることができる。

つまり、男性アイドルの女性ファンは、そのアイドルの本命にはなれなくても、2番手、3番手として、そのアイドルの子どもを産むことはできる。でも、女性アイドルの男性ファンは、そのアイドルが妊娠していたら、少なくとも、そのアイドルが出産するまでは、そのアイドルと恋愛関係にあっても、そのアイドルを妊娠させることはできないわけだからね。男性アイドルのファンの方が疑似恋愛を楽しめる期間が長いのはそういうことだと思う。

 

ところが、最近は、そういう自分のアイドルに関する定義を変えざるを得ないと思う現象も目立っている。坂道シリーズや指原莉乃プロデュースの=LOVE、≠MEのコンサートなどでは、女性ファン優遇でチケットを当選させていると思われる節がある。実際、会場でも多くの女性ファンを見かける。また、K-POPの女性アイドルのコンサートなどの映像を見ると、女性ファンが多く、男のファンは居場所がなさそうにも見える。

 

今回の映画「あの頃。」の題材となっているハロプロは元々、女性ファンが多いと言われていたが、最近は、ハロプロに限らず、女性アイドル好きの女性ファンはかなり増えていると実感する。それが一番、顕著になっているのが、アイドル好きな風俗嬢の増加だと思う。おそらく、推し活の資金を集めるために風俗嬢をやっているのだと思う。

 

まぁ、女性ファンが女性アイドルに夢中になる理由には、男性アイドルの対象が、ジャニーズかK-POP、それでなければ男性声優しかいないという状態で、選択肢が少ないってのもあるのかなとは思う。

80年代まではジャニーズ以外の男性アイドルもいたけれど、90年代以降はジャニーズが権力を持ちすぎたことにより、他の国産男性アイドルが事実上排除されるという独禁法違反状態になってしまい、本来ならアイドルとして売り出すようなグループが、ボーカル・グループとか、ダンス・グループと名乗っているしね。

 

女性アイドルは確かに売り上げ面では秋元系が圧倒的かもしれないけれど、色々な事務所から様々なアイドルが出ているから、まぁ、選択肢の少ない男性アイドルよりかは、女性アイドルの方が見ていて面白いってのはあるのかもしれない。

 

それにしても、本作では、あややこと松浦亜弥をフィーチャーしていたが、あややの全盛期が過ぎて以降、男女問わず、ソロ・アイドルって、ほとんどいなくなってしまったよね。

まぁ、秋元康による“会いに行けるアイドル”商法が他のアイドルにも広まり、握手会やチェキなどといった接触系イベントの参加券を付けることでCDを大量に買わせるという手法が、アイドル業界の主流になってしまったから、1枚でも多くCDを売るには、ソロよりもグループの方が都合がいいし、ソロだとコンサートでバック・バンドの生演奏をつけなくてはならないが、グループならカラオケ歌唱や口パクで済むから予算や時間の節約になるってのもあるんだろうけれどね。

 

だから、本来のソロ・アイドル的なものが好きだった層は男女問わず、声優アーティストの方に興味を持つようになったんだろうね。

まぁ、声優アーティストがアイドル的人気を得るようになったのって、ちょうど、女性アイドルがソロ、グループ問わず不発な時期だった90年代半ばだからね。

本来ならアイドルとして売り出すようなタイプの歌手やグループ、たとえば、安室奈美恵とか華原朋美、SPEEDなんてあたりも、アイドルとして売り出すと売れないと思ったんだろうか、アーティストとかボーカル・グループ風のプロモーションで売り出されていたしね。

そんな時期に、それまでのアイドル的な楽曲をソロで歌う声優アーティストが続々と出てきたから、従来のソロ・アイドルが好きな人たちが、そっちに移っていったってのはあるとは思う。

実際に、ほとんどアニメは見ないのに、声優アーティストとかアニソン歌手は好きって人、結構いるしね。自分も90年代後半はそれに近い状態だった。

 

90年代終盤にハロプロによって、女性アイドル文化が復活し、90年代半ばにSMAPによってジャニーズアイドル文化が復活しても、なかなか、ソロ・アイドルがあやや以外は目立った存在が出てこなかったのは、声優アーティストにそのポジションを奪われたってのもあるのかもしれないな。

 

ところで、“推し”って言葉の意味合いというか、主語がここ何年かで変わってしまったよねって思う。

2010年にAKB48の公演曲として世に出た「チームB推し」では確実にチームBを推すファンが主語だった。でも、最近使われている推しという言葉は、我々ファンが推している誰々という意味になっているんだよね。

「推しが武道館いってくれたら死ぬ」というコミックが出た辺りから主語が変わった気がするな。本来の意味だったら、ファンが武道館にいくことになるが、この作品では武道館にいくのはアイドルだからね。

あと、ジャニオタが、本来の誰々推しに相当する言葉として、“○○担”と言うようになり、単独で“推し”と言った場合には、我々、○○担が応援する○○という意味に変化したことも影響しているのかな。

結局、日本の流行ってのは女性が動かしているし、女性が動かなければ金にならないってことなんだろうね。

 

そんなアイドル文化について考えてみたくなるほど、ドルオタでもある自分としては、この映画に興味を抱かずにはいられなかった。

この映画におけるアイドルやオタク、サブカルの描写がどこまでリアルに描かれているのか非常に気になったからだ。

 

福田雄一作品「ヲタクに恋は難しい」は、福田やメインどころの俳優の信者以外のほぼ全てのオタク(ヲタク)に酷評された。その理由は明白だ。オタク(ヲタク)を見下した目線で描写している上に、オタク(ヲタク)の言動が遥か昔のステレオタイプ化されたオタク(ヲタク)像だからだ。

 

現在公開中の「花束みたいな恋をした」は何故か一般的な評判は良いようだが、真のマニアとかオタクと呼ばれる人やサブカル論者からの評判はあまりよろしくない。その理由は、メインのカップルの語るサブカルが“知ったかぶり”レベルだからだ。

確かに、「はな恋」の中でネタにされていた「ショーシャンクの空に」は過大評価されていると思う。でも、アカデミー作品賞にノミネートされたくらいだから、クソ映画ではないんだよね。しかし、この映画は、“「ショーシャンクの空に」を大したことないって言えるオレってカッコいいでしょ!私ってイケてるでしょ!”って言っているようにしか見えないんだよね。

クラスや職場で自分以外誰も知らないような映画やアーティストを知っている自分に酔っているだけって感じがする。本当のマニアやオタクって呼ばれる人は、映画なり音楽なりの中で特定のジャンルを追求するか、映画なら映画、音楽なら音楽に含まれるあらゆるジャンルに足を踏み入れるような人間かって感じだから、ぶっちゃけて言ってしまえば、「ショーシャンクの空に」は絶賛もしなければ酷評もしないと思うんだよね。他に、名作はいっぱいあるしね。

 

また、「はな恋」の中では触れられていない、というか、サブカル通ぶっている連中にはハナから対象外かもしれないが、映画マニアやアニオタは「劇場版 鬼滅の刃」についても、“面白いとは思うが、映画としての評価は微妙。ましてや、コレが生涯最高の作品だとは思えない”といった比較的冷静な評価をしている人が多いんだよね。

なので、「はな恋」で描かれているサブカル通の描写というのは、真のサブカル論者やマニア、オタクからすると評価はできないものだと思う。

 

そして、本作「あの頃。」だが、「ヲタ恋」や「はな恋」に比べれば、オタクやマニアに対する見下した目線もないし、“他人の知らないモノを知っているオレってカッコいい”みたいな主張もしていない。オタクやオタク文化の描写に関する不満は両作品に比べれば、ほとんどないに等しい。

でも、正直言って、これ、ハロオタの映画でも、ドルオタの映画でも、あるいはジャンルを問わない広義のオタクやマニアの映画でもなんでもないんだよね。途中からほとんど、ハロプロの話が関係なくなっているし、劇中に何度も登場する作中のハロオタたちが定期的に開催しているイベントのネタも終盤では、ハロプロ絡みではなく身内ネタになっているしね。

 

まぁ、メガホンをとっているのが今泉力哉監督だから、邦画至上主義の映画ファンには絶賛されるだろうし、曲の使い方も上手いから、ハロオタからも評価されるとは思うが、ドルオタ映画を期待していた観客からすると期待はずれもいいところっていうのが本音かな。

 

とりあえず、仲野太賀って、ブレイクのきっかけとなった「ゆとりですがなにか」にしろ、本作にしろそうだけれど、クソ野郎を演じさせると天下一品だよね。

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