自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

ノマドランド

2009年度にアカデミー作品賞のノミネート枠が10本に拡大されたのは(のちに最低5本最大10本に変更)、5本枠ではSF、ファンタジー、アクション、コメディ、ホラー、アニメーションなどの“大衆的”ジャンルの作品の中で批評家筋や映画通に評価された作品をカバーしきれない=“大衆的”ジャンルの映画が作品賞にノミネートされていないと授賞式が注目されない=視聴者数が増えない=スポンサーからの収入を得られないという背景があった。

 

その結果、毎年のように、そうした“大衆的”ジャンルの映画が作品賞にノミネートされるようになった。

しかし、作品賞を受賞するのは毎年、アート路線の作品だった。唯一の例外は、実話を基にした作品で政治的な要素はあるとはいえ、基本はサスペンス映画という娯楽ジャンルの作品である2012年度の「アルゴ」くらいだ。

また、作品賞受賞作を映画会社別で見てみると、FOX傘下のブランド(現在はディズニー傘下)のサーチライトをアート系・インテーズ系として括ると、ワーナー作品であるこの「アルゴ」以外では、日本ではギャガ配給になってしまったが、米国ではユニバーサル映画として世に出た「グリーンブック」しかない。

また、大ヒット作品の目安とされている全米興収1億ドルを突破した作品も「アルゴ」以外では「英国王のスピーチ」しかない。

 

そして、トランプ大統領就任が決まった2016年11月以降、ハリウッドは“トランプ憎し”の思いだけで、どんどん偏ったポリコレを推し進めていき、黒人・女性・LGBTQ・障害者の差別撤廃を訴えた作品ばかりが評価されるようになり、作品賞受賞作の地味さはどんどん増していった。なので世間のアカデミー賞に対する興味はどんどん薄れていった。

 

黒人に対する差別的な発言をしたカントリー歌手モーガン・ウォレンを巡っては、Black Lives Matterという動きに反発すると吊るしあげられてしまうという今の米国の風潮を考慮し、多くのラジオ局が彼の楽曲のオンエアに消極的になっているにもかかわらず、彼の最新アルバムが全米アルバム・チャートで10週連続ナンバー1という大ヒットになっているのは、そうしたエンタメに持ち込まれた偏ったポリコレに嫌気がさしている人が多い証拠だと思う。

 

また、最近、アジア系を差別するなという運動が米国でやっと活発化してきたのも、黒人の権利ばかりが優先されるが、その黒人がアジア系を差別しているという矛盾・欺瞞・偽善を無視するんじゃないという怒りのあらわれだと思う。

 

トランプ政権時代は、トランプ支持を主張すると変な目で見られる風潮があったが、ポリコレ勢の共通の敵であったトランプが追い出されたことにより(=ポリコレ勢の全てがバイデン政権支持ではない)、ポリコレの矛盾・欺瞞・偽善を自由に訴えられるようになったということなのだろうか。

 

そして、今回(2020年度、正確には2020年1月から2021年2月までを対象)のアカデミー賞はコロナ禍での実施(=大作が軒並み公開延期)ということで、これまで以上に作品賞ノミネートの顔ぶれはアート系寄りになってしまった。

というか、トランプ政権時代ですら、娯楽系ジャンルの作品や、ドラマ性の強い作品でも大ヒットとなった作品の作品賞ノミネートはあったが、今回は8本全てがアート系・インテーズ系の作品となっている。

しかも、そのうち3本は配信系映画。一時期は今回は作品賞ノミネートの過半数が配信系映画になるのではなんて言われていたことに比べれば物足りない結果かもしれないが、過去最多の本数であることには変わらない。

当然、コロナ禍で興行成績がふるわないので(賞レース向きでない作品を含めても去年2月公開の「ソニック・ザ・ムービー」以来、全米興収1億ドル突破作品はない)、8本全てが世間一般的には知る人ぞ知る映画だ。勿論、8本とも最近の偏ったポリコレ路線の米エンタメ界の指針に沿ったような作品ばかり。これでは、アカデミー賞授賞式の視聴者数はさらに減るのではないだろうか。

 

というわけで、そんな一部の映画マニア以外注目していない今回のアカデミー賞で(Wikipedia日本語版の「アカデミー作品賞」のページはいまだに、今回のノミネート作品の記述がないくらい、日本では映画ファンにすら注目されていない)、もっとも作品賞受賞の可能性が高いと予想されている「ノマドランド」を鑑賞した。

 

作品賞最有力であるにもかかわらず、アカデミー賞そのものに対する注目度が減っている影響で、公開1週目の成績がイマイチだった。なので、2週目は上映回数が減らされてしまった。上映スケジュールのチェックが大変だった…。

 

サーチライト作品で主演がフランシス・マクドーマンドということで、嫌でも2017年度作品賞ノミネートの「スリー・ビルボード」を思い浮かべてしまうが、この「ノマドランド」も「スリー・ビルボード」同様、よくあるポリコレ映画とは違う左右・リベラル、あらゆるベクトルに対する批判を込めた作品だと思った。

スリー・ビルボード」は女性の権利を主張する主人公に、人種差別的、障害者差別的感情があることを描いていたが、この「ノマドランド」もリーマンショック以降の米国で格差社会が広がっていったこと。つまり、民主党オバマ政権がブッシュ(息子)政権時代に起きたリーマンショックの後処理をきちんとできなかったから、格差社会が広がり、トランプ政権を生むことになり、そのトランプ政権によって、さらに格差は広がったと主張しているようにも見える。

活動拠点は米国とはいえ、メガホンをとったクロエ・ジャオ監督が中国生まれの女性だからこそ、民主党的なエリート視点だけでは問題は解決しないと主張できたのかもしれない。

とはいえ、リーマンショックが起きたのはブッシュ(息子)政権のせいであるという明白な悪役がいるから、それほど、民主党批判には見えないので、今の偏り過ぎた米エンタメ界の賞レースでも評価されているのだと思う。

 

その辺が、同じように、民主党政権クリントン)時代の闇を描いた「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」が反民主党映画扱いされ、グレン・クローズ助演女優賞以外、賞レースではほぼ無視状態になっているのとは異なる点だろうか。「ヒルビリー・エレジー 」ではクリントン政権時代に郊外や地方の住民は暗鬱になったと明らかに描かれていたしね。

 

作品自体の雰囲気はぶっちゃけて言ってしまえば、ストーリーらしいストーリーはない。いかにも、映画賞とか映画祭で評価されるタイプの作品だと感じた。主人公はいくつかの場所を転々として生活し、それぞれの場で出会いを経験したりもするけれど、深掘りせずに、気づくと別の場所に移ったりしているからね。わざとだとは思うが、少々、つなぎが強引なところも多い。

 

転々生活が1周したところで終わればきれいにまとまるのに、2周目に入って、ちょっと経ってから終わるというのも構成の難を感じたりもした。まぁ、ノマド生活者には高齢者が多く、死と隣り合わせの世界であるというのを描きたかったのかもしれないが。

それを表現するために素人俳優を使っているのでリアリティはあったと思う(役名=俳優名が多い!)。

 

かといって、これがいかにも賞受けの良いアート系思想のマスターベーション映画かというと、そうでもないんだよね。とりあえず、良い作品を見たという気持ちにはなるしね。

 

カントリーやクリスマス・ソングが流れるし、絵面だけを見ていれば、紛れもない米国のアート系映画なんだけれど、人生観とか死生観などが邦画を含めたアジアのミニシアター系映画に近いテイストなんだよね。これは監督が中国出身ということが影響しているのかもしれないなと思った。

まぁ、女性監督作品であるという点はあまり感じなかったが、排泄シーンや全裸での水浴シーンは女性でなければ撮れないかもと思ったりもした。

 

もし、クロエ・ジャオ監督が今回のアカデミー賞で監督賞を受賞すれば、女性としてはキャスリーン・ビグロー監督に次ぐ2人目。アジア人としては、アン・リー監督やポン・ジュノ監督に次ぐ3人目となるが、キャスリーン・ビグロー監督作品はいわゆる女性監督作品らしくはないし、アン・リー監督もアジア人を主人公にしたものを除くとアジア人監督作品らしくないから、ある意味、クロエ・ジャオ監督も女性監督視点でもアジア人監督視点でも、その系譜に連なっている気がするな。

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