自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

マジムリ学園 蕾-RAI-

アルコール消毒は片手につけて、それを両方の手に広げるってのが主流だと思ったが、両手それぞれに噴射しろと言われた。そこまで、感染症対策をしているフリをするんだったら、全席販売するのをやめろよって言いたいし、場内でドリンクを販売するのもやめろよって言いたい。

 

そして、あれだけ不具合が報告されていて、意味がないと誰もが知る存在となったCOCOAのダウンロードを推奨しているのも意味不明。政府に媚び売っておきたいんだろうね。

 

それから、座席ごとに規制入場をするとかホームページには書いてあったのに、全然、関係なかった。全く感染症対策する気ないでしょ。

 

あと、退場時に一人一人にブルーレイ発売告知のビラを配っているのも理解不能。しかも、名刺サイズの小さいもの。全然、感染症対策していないじゃん。利益優先じゃん!

 

本当、日本の芸能界ってクソだよね。欧米を見習えって言いたい。まぁ、日本の芸能界が自分勝手で、来場者の安全を考慮しないのは、公演を延期・中止にした際に払い戻しをすると、運営不能になるほどの自転車操業だからだってことなんだろうね。

それに、朝ドラ「おちょやん」では、戦時中でも自分たちがやりたいからという理由で公演を続ける自分勝手な役者連中が描かれていたから、昔から日本の芸能界は客のことなんて何とも思っていないんだろうね。本当、最近の「おちょやん」の戦時中の描写って、今のコロナ禍と重なるな。

 

ところで、AKBチケットセンター以外でもチケットを販売したってことは、チケットが売れていないからじゃないのか?何故、チケセンで購入したのに3階席なんだよ?

女性ファンや若いファンに人気があるというのをアピールしたいから、チケセン以外でも販売し、そちらに良席を用意したってこと?

チケセン利用者というのは支店を含むAKBグループのモバイル会員がほとんどのはず。そういう人を冷遇して、一般客を優遇するってのは違うのでは?

 

そういえば、天王洲 銀河劇場の3階席の最前列って、本当に見にくい!まぁ、昔ながらの座高が高い日本人体型に合わせたつくりなんだろうが、自分にとっては見にくくて仕方ないんだよね。視界のほとんどが転落防止の柵に遮られてしまうんだよね。それで、よく見えるようにと、ちょっと体勢を変えると、後ろの席に座っている人からつつかれる。本当、腹立つ!

自分は意識したことないんだけれど、どうやら自分は平均的な日本人、特に30代以上にしては脚が長いらしいんだよね。マッサージとか行くと、よく脚が長いとか真っ直ぐだとか言われるからね。でも、身長は極端に高いというわけでもなく、173センチ程度だから、つまり、座高は平均より低いんだろうね。だから、こういう座席に座らされると見えなくなってしまうんだろうね。

 

というか、銀河劇場に限らず、他の劇場や映画館でも前列と後列の高低差がない所って、見にくいって思うし、シネコンの車椅子席の後ろなんかに座った時なんかは、その車椅子の観客の使っている車椅子とその人の座高次第では見にくくてたまらないこともあるしね。

電車のシートに座っている時でも、隣に脚を広げているオッサンがいると、つらくなって脚を組んでしまうのも脚が長いせいなのかな?

でも、世の中って脚を広げているスーツ系のオッサンには文句を言わないくせに、脚を組んでいる普段着の人間には文句を言うんだよね。本当、理不尽だ。

 

それにしても、チーム8のファンのマナーの悪さはコロナ前から指摘されていたことではあるが、コロナ禍の公演でもそれは変わらないなというのを実感した。効果がないと指摘されている布マスクをしている観客が多いし、ペンライト以外の応援グッズの持ち込みを禁止されているのに、うちわを掲げているのがいる。さらには、コールしたり、公演中に連れと長々と話しているのもいる。

それから、これは演出側が悪いとも言えるが、MCで誕生日メンバーを祝うのはいいんだけれど、それで「ハッピー・バースデー」をメンバー全員で合唱したら、ファンも歌っちゃうよね。コロナ禍になって長いんだから、いい加減、前とは違う演出をしようよ!この1年以上、何やっていたの?としか言えないな。

 

そもそも、映画や演劇は観客が動かないからという理由で全席販売が認められているわけだが、本公演は建前上は演劇でも、2部構成になっていて、多くのファンは2部のミニライブを楽しみにしているわけだから、ほとんど、コンサートだと思うんだよね。ペンライトの持ち込みは許可されているわけで、多くのファンがペンライトをふるなど動くわけだしね。だったら、他のコンサートと同様に市松販売にすべきだったと思うな。

 

まぁ、チーム8の若いファンには厄介と呼ばれるオタクが多いし、AKBグループ全体ではオッサンのオタクが多いから、いずれのパターンでもコロナは風邪論者みたいな行動を取るのが多いってことなんだろうね。

 

そんなわけで、本当、コロナ禍になってから鑑賞したライブ・エンターテインメント(演劇、ライブなど)って本公演に限らず、アーティストを含めた運営側、もしくはファン側、あるいは、その双方の感染症対策で不満を抱くことが多くて、全然、楽しめないんだよね。

 

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作品自体は途中までしか見ていないテレビシリーズの続編ということで、多少、頭の中で自分が見ていたところまでと本作における展開をつなげる作業に苦しんだりはしたが、まぁ、それなりに理解はできた。

 

ただ、秋元康関連作品が持ち込む社会的メッセージって、本当、いつも中途半端だよねって思う。秋元康は権力側の人間なのに、反権力的メッセージをやるからチグハグした感じになるんだよね。

 

本作に登場する難民問題というのは作中でも語られているように、外国人差別問題のメタファーであると思う。というか、作中で語っているからメタファーでもなんでもないんだけれどね。

でも、だったら、敵役にするのはどうかと思うし、ましてや、黒幕を政治家の娘にするのもどうかと思う。それこそ、“沖縄の米軍問題を主張する連中は中共の手先だ”なんてアホなことを言っているネトウヨと大して変わりない。敵役にするとしても、ジョーカーではないが、つい共感してしまうようなアンチ・ヒーロー的描写にすべきだと思う。形だけ社会性を取り入れるから、こういうチグハグしたものになってしまうんだよね。

 

本作における難民問題というのは、東京を出てきた人間が郊外にやってきて、元々、その郊外にいた人の仕事を奪うという形で描かれていて、その背景として外国人労働者によって仕事を奪われた日本人と重ね合わせているようだが、それも何か違うでしょって思う。

本作における郊外にやってきた人というのは優秀な人間として描かれているが、現実世界で日本人から仕事を奪っていると妬まれている外国人労働者は能力に関係なく低賃金でこき使える存在のことだからね。この辺が秋元康は世間知らずのボンボンだって批判される理由なんだよね。

 

そもそも、東京から郊外にやってきたっていうけれど、確か、本作の郊外って多摩地区をイメージした都内では?それも立派な東京なんですけれど!そういう認識の人に東京のことを語ってほしくないなって思う。

おそらく、こういう思想の連中の言う東京というのは都心、広げても23区までなんだろうが、だったら、そこははっきりと都心とか23区から来た連中と言うべきだよ。

 

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そして、おかしな言葉の使い方といえば、生徒会長が“学生諸君”という言葉を使っていたことだ。この生徒会長は生徒会長って言葉の意味を分かっていないのでは?高校生は学生ではないということは一般生徒は知らないかもしれないが、生徒会長が知らないのはまずいでしょ。

もっとも最近は、非正規の教職員が増えたせいか、教職に就いている人間でも、児童・生徒・学生の区別がついていない者が多いからね。本当、呆れるばかりだ。

教職員とか、小説家・脚本家など言葉を使って仕事をしている人間はちゃんと、児童・生徒・学生の違いくらい把握しておけよって思う。

 

それはさておき、ドラマ時代からの設定だが、生徒会に一般生徒が上納するシステムに批判的な主人公が金で人のケンカを買うっておかしいだろ!矛盾しているよね!

 

ところで、2部のミニライブだが、久しぶりに現場で「47の素敵な街へ」を聞いたけれど、やっぱり、神曲だよねって思った。ガチ恋口上が聞けないのは寂しいけれどね。

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