自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

健康診断で「再検査」 

公的機関が実施する健康診断を受けると、かなりの高確率で再検査を受けることになるのは何故なのだろうか?

 

区市町村や学校など公的機関の健康診断は原則無料だ。もしかすると、医療機関は公的機関が実施する健康診断では利益が出ないから、再検査などをさせて利益を得ようとしているのではないか?

 

思い返してみれば、小学生の頃の健康診断では耳鼻科の健診で「耳垢を治療しなさい」という診断結果を渡されることがよくあった。そして、その診断書を持って耳鼻科に行き、治療済みの印をもらい学校に提出しなくてはいけないというシステムになっていた。

 

現在では、変な所にこびりついてしまったなどのケースを除けば、耳垢なんて取る必要がないとされている。当時はそういう認識はなかったかもしれないが、それでも、緊急性は全くないものだった。にも関わらず、すぐに治療しろと学校側から急かされることもあった。

 

それから、歯科の健診では小さな虫歯のようなものが見つかったとして、やはり、至急診察を受けろという診断結果を受けたこともあるが、こちらは耳鼻科と違って予約するのも面倒だし、金もかかるしで、歯科に行くのを無視してしまったのだが、普通に歯磨きをしていただけなのに、翌年の健診では全く引っかからなかった。というか、虫歯とされるものは消えていた。つまり、全然、治療が必要ないものを緊急性のあるもの扱いしていたってことなんだよね。

 

そして、社会人になってから、というか、つい3年半くらい前のことなのだが、区の健康診断を受けた時に“緑内障の疑い”と診断され、緑内障の検査を受けるハメになったことがある。

この時は区の健康診断の実施医療機関になっている眼科(=健診を受けた医療機関)ではなく、普段、自分が数ヵ月に1回くらいのペースでドライアイ治療用の目薬をもらいに行っている眼科で緑内障検査を受けることにしたが、結果は何の問題もないという診断だった。まぁ、区の健診の実施医療機関になっていない眼科へ行ったのは、健診を受けた時点で再検査にされそうなニオイを感じていたからなのだが、案の定、健診の実施医療機関でない眼科で検査を受けたら問題なしってなったしね。

 

今回は肺のレントゲン写真に怪しいものが写っている。“結節影の疑い”があるとして、健診を受けたクリニックと提携している大病院でCT検査を受けるハメになってしまった。

もしかすると、肺がん?結核?あるいは、いつの間にか新型コロナウイルスに感染していて肺をやられているのか?と色々と不安になったし、もし、それらのいずれかの診断が出たら、公私ともに活動が制限されてしまう。収入の不安もあるよなという考えも巡らせてしまった。

そして、この再検査は金がかかる!健診を受けた医療機関からCT検査を受ける大病院宛の紹介状を発行してもらうのに金を取られ、大病院での検査で金を取られ、さらに、その検査の結果はその大病院ではなく、健診を受けた医療機関で聞かなくてはいけないという面倒なシステムになっていて、当然、そこで結果を聞く際にも金を取られる。何回、金を取るんだ?ふざけんな!って感じ。しかも、再検査の結果は何の問題もなしだからね…。

 

医者としては、病気のもとを見逃して患者側から“医療ミス”だとかなんだとか言われるのが嫌だから、少しでも疑いがあれば再検査にしているという部分も確かにあるとは思う。

でも、再検査を受けるたびに問題なしという結果になったり、それこそ昔の小学校の健診のように治療の必要のない耳垢除去を強制されたりってのがあったりすると、公的機関の健診では利益が出ないから、再検査をさせて金儲けしているのではって疑いたくもなるよね。しかも、今回みたいにさらに大病院に精密検査を回せば、大病院の収入にもなるわけだしね。そして、診断結果は大病院ではなく町医者で伝えるってなるんだから、大病院と町医者の間でキックバックみたいな関係もあるのではって疑いたくもなるよね。

 

とりあえず、要精密検査の健診結果を受けてからは病は気からではないが、何か体調不良な気もしていたので、問題がなくなり、まずは一安心という感じかな。

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ドクター・デスの遺産―BLACK FILE―(少々ネタバレあり)

コロナ禍で中高年の映画ファンがシネコンを避けるようになり、映画ランキングはアニメばかりがランクインするようになった。

そんな中、本作は上位にランクインしている数少ない実写作品となっている(自分が本作を鑑賞した時点の最新ランキングでは実写作品最上位)。

しかし、その一方でネットの声は酷評ばかりとなっている。最近の風潮では、ランキング上位の邦画作品(実写、アニメ問わず)を批判すると老害映画マニア扱いされる傾向があるのに、本作に限っては異例ともいえる酷評の嵐…。

なので、鑑賞するかどうか非常に迷った。

 

これまでに劇場で北川景子出演映画を20本見ているが、主演だろうと、助演だろうと、結婚前の出演作品だろうと、結婚後の作品だろうと、ツッコミどころだらけの映画ばかりで、お世辞にも傑作と呼べるものは一つもなかった。

そして、決して演技は下手ではないと思うが、ほとんど変わらない彼女の表情はやはり、突っ込まざるをえない部分があり、それが彼女の出演作品の評価を下げている部分はなきにしもあらずだとは思う。

 

ただ、その彼女の無表情なルックスが、「謎解きはディナーのあとで」や「悪夢ちゃん」のような漫画的描写のある作品や、「スマホを落としただけなのに」のようなスリラー的要素のある作品にはハマったりもするので、出演作品全てがクソ映画かというと、そんなわけでもなかった。

 

そんな不安とわずかな期待を胸に鑑賞に臨んだが、途中までは、“コレって、北川景子出演映画の最高傑作じゃないのか?”と思うほど、良く出来ていた。ほどよく社会的メッセージも盛り込まれているし、スリラー的要素もある作品だから北川景子にも合っているしと思った。

 

まぁ、ツッコミどころは多かったけれどね。

 

主人公の刑事は、娘が大病を患っているのに平気で人前でタバコをプカプカ吸うのは理解できない。仕事にかまけて娘の見舞いとかが疎かになっているという設定ならまだしも、そうでないのにヘビースモーカーというのは娘の病気のことを考えていないとしか思えない。それに、大家の許可を得ずに勝手にアパートのドアを壊したりとか、遺族に話をする前に勝手に火葬場でボタンを止めたりとか、病院で走り回ったりとか、身勝手な行動ばかりで全く共感できない。

 

柄本明演じる“謎の医師”の似顔絵を作る際に、聴取された人たちが、“特徴のない顔”と言っていたのは笑うところなのか?それとも、“柄本明は何人もいるのでは?”疑惑が出るほど、彼がやたらと次から次へと色んな作品に出ているのは、特徴がない顔だから、どんな役でもできるってこと?んなワケねぇだろ!

 

予告などでは、患者を安楽死させたキボーキアン博士にインスパイアされた作品みたいなことをうたっていたのに、本編には全く、その名前は出てこず、何かよく分からないロシア系米国人の名前になっていたのは何?しかも、それを伝えるニュース番組が、この医師を呼び捨てにしていたのもおかしいでしょ。死んで何十年も経っているならまだしも、そうでないなら、ニュースでは呼び捨てにしちゃダメでしょ!キボーキアン博士がモデルだとしたら、まだ、歴史上の人物扱いではないんだしね。

 

といった具合に色々と文句を言いたくなる作品ではあった。でも、この程度のツッコミどころならご愛敬レベルだった。

 

しかし、“真犯人”が明らかになってからは、本当、ご都合主義だらけで、そりゃ、酷評されるのも納得という展開になっていった。もう、これは酷すぎる!

 

主人公の娘が目を覚ました瞬間に、突然、ホームページ掲載の動画が動き出すのは何?

“真犯人”が簡単に娘の入院先に入り込めるのは何?

主人公の相棒の女性刑事が簡単に娘の監禁場所にたどり着けたのは何?

映画のタイトルは「ドクター・デスの遺産」なのに、作中の事件を伝えるニュース番組のスーパーが「ドクターデス」となっていて中黒がなく、統一されていないのは何?

というか、もうツッコミどころ満載って笑い飛ばせるレベルではないほど、次から次へと、ご都合主義や、いい加減な演出が出てきて呆れてしまう。

 

それはさておき、今回、聴覚に障害がある人などに向けた日本語字幕付き上映で鑑賞したが、今まで、この手の上映で見た時って、結構、台詞はまとめられていたりしたのに、本作の字幕は一言一句、そのまま書かれていて驚いた。“うっ”みたいなものも、そのまま表記されていたのにはビックリした。

 

ところで、本作のオープニングタイトル部分の作りもそうだし、出動シーンになるといかにもな音楽がかかったりするが、本当、テレビドラマの作りだよね。まぁ、日テレ映画だからテレビドラマのスペシャルみたいなものなんだろうが。というか、映画ではなくドラマでやった方が良かったのでは?原作はシリーズものだから、ドラマで続編をやるのかな?過去にこの原作シリーズはドラマ化されているようだが、綾野GO!で新たにシリーズ化できそうな気はするな。

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グリザイア:ファントムトリガー THE ANIMATION スターゲイザー

冒頭の各社ロゴの後に、これまでのおさらい的なキャラクター紹介がついていた。まぁ、“90秒じゃ紹介しきれない”みたいなことを言っていたからネタなんだろうが…。 

「劇場版 鬼滅の刃」がこれまでのテレビ版を1話も見ていないor原作を1話も読んでいない人に対する何の説明もないのに記録的大ヒットとなっている。テレビ版にも原作にも全く触れていないのに鑑賞した人も多いのはすごいという論調をよく見聞きするが、本作は一応、これまでのゲームやコミック、アニメに接していない人に対する配慮はしていたってことなのかな?ちなみに自分もテレビ版を見ていない、原作も読んでいないのに劇場版を見ることが多いタイプです。

 

内容自体は、まぁ、いかにもオタクが好きな萌え系ミリタリーものって感じだが、他の同系統作品に比べるとハードボイルドな要素は多めかなとは思った。

 

それにしても、アニメ・コミック・映画・ドラマ・小説など、どの媒体でもそうだけれど、学生と生徒の違いを分かっていない人が多いよね。

しかも、間違ったまま世に出ているということは、プロデューサーとか編集長とか校閲とかいったチェックすべき人間がそれを知らないってことなんだからな…。本当、日本のマスコミとかエンタメの世界の人間って無知な連中が威張りくさっているんだなってのがよく分かる。

 

小学生は児童

中学生・高校生は生徒

大学生・短大生は学生

専門学校生は、中卒で入れる学校は生徒、高卒資格がないと入れない学校は学生

といった感じに呼称が違うんだよな…。

(専門学校生を見下しているメディアは、入学資格にかかわらず生徒呼びにしているところもある)

 

なので、本作に登場する学校では本来は生徒と呼ばなくてはいけない。なのに、やたらと学生呼びが出てくる。しかも、教職員までもが教え子を学生呼びしている。中高生は生徒と呼ぶってことを知らない人間が教職員をやってはダメでしょ!冷静に考えれば、中高生の身分証明書は学生証ではなく生徒手帳と呼ばれているし、生徒会って言葉もあるんだから、中高生は学生ではないって分かるはずなのにね。

それから、ずっと学生呼びならまだしも、本作もそうだけれど、時々、生徒呼びになることがあるんだよね。つまり、学生と生徒の違いが分かっていないってこと。 

こういう細かいところができていない作品は、やっぱり、リアリティのないダメ作品と言わざるをえないんだよね。いくら、作画がよくても声優の演技が良くてもダメ作品になってしまうんだよ!その辺の意識をきちんと持って作品を作ろうよ!それがプロってもんでしょ!

 

それにしても、この2ヵ月弱の間に劇場で内田真礼出演アニメを見たのは、これで3作目だが、全部、キャラの印象が違うんだよな…。何気に演技派だったんだな…。今までルックスにしか注目していなかった。というか、声優としてよりも、アニソン歌手として好きだった部分の方が大きかったからな…。

あと、ナンジョルノの主題歌も良い!

 

ところでデジタル上映なのに、特典がフィルムって意味不明だよな…。撮影にも上映にもフィルムを使っていないのにね…。

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君は彼方(ネタバレしないと批判できない)

池袋を舞台にしたアニメ映画ということで、どうせならご当地で見ようなんて気を起こしたわけではなく、たまたま、自分が他作品とハシゴするスケジュールの都合が良かっただけなのだが、結果として、作中にも登場するTOHOシネマズ池袋で本作を見ることになった。

TOHOシネマズ池袋は“アニメの聖地・池袋”にあるアニメファンを意識した映画館という触れ込みではあるが、この映画館って、本当にアニメファンのことを理解しているのだろうかと疑問に思うことが多いんだよね。

まず、ロビーが狭い!基本、アニオタって列を作るのが好きなんだよね。しかも、アニオタでない人間の視点から見ると何か説明の付けようのない独特な列の作り方で列を作る。基本、列を作る必要のないところでも、自分たちのイベント現場のルールで列を作ってしまう。今年はないけれど、コミケ開催時の新橋駅なんて、一般人から見たらおかしな列ができているからね…。

それと同様にアニメ映画が上映されているシネコンでも、アニメ映画以外の作品も上映されているにもかかわらず、独特なフォームの列を作ってしまう。だから、TOHOシネマズ池袋の狭いロビーではあっという間に居場所がなくなってしまうんだよね。当然、入場するまでの時間もかかってしまう。

 

それから、トイレも狭い。そして、男子トイレの大便器の数が少ない。男はあまり大便器を利用しないだろうというのは、非オタの発想。

長時間列に並んでいるためにたまっている排泄物の量が多くなっているのか、それとも、世間からバカにされる人種なので他人に自分の性器を見られたくないという人が多いのか、理由は知らないが、オタク向けの映画を上映している映画館や、オタク向けのコンサートを開催している会場では男子トイレの大便器を待つ行列ができるのは当たり前のことなんだよね。それを知らないで、わずかな数の大便器しか用意せず、アニメファンのための映画館を名乗るなんて、いい加減にしろと言いたい。

 

で、そんなTOHOシネマズ池袋で本作を見た感想としては、よくこんな内容で池袋や豊島区の関係者は協力する気になったよねって感じかな…。

 

全然、池袋の話じゃないんだよね…。

上映開始間もなくは、モブキャラや背景の草木も結構動いていて、日本のアニメにしては珍しく動きがいいじゃん!って思ったが、主人公たちが池袋周辺をデートするようになって以降は止め画だらけになってしまった…。しかも、この主人公たち、池袋を出て何とか岬に行こうとか言い出したやがった…。もう、池袋も豊島区も関係ないじゃん!その後、テンプレ的に池袋駅前の風景は何度か出てくるけれど、本筋はそれ以外のシチュエーションが目立ち、明らかに池袋周辺ではない河川の風景とともに花火大会の様子が描かれるし、クライマックスはまた海辺の話になってしまっている…。自分が池袋や豊島区の関係者だったら、脚本なりなんなりを読んだ段階で、こんな内容だったらタイアップはOKしないと思う。騙されているんじゃないのか?

 

そういえば、この作品の製作委員会に名を連ねているアジアピクチャーズの面接に行ったことがあるんだけれど、なかなか、胡散臭い会社だったな…。

金曜日の深夜に“希望面接日時を選んで返答してください”ってメールが来たんだけれど、先方の指定した日程って日曜日の午前中しかないんだよね…。選ぶも何もないし、そもそも、金曜日の深夜に日曜日の朝の面接に来いってのは、どう考えてもパワハラ企業のやることだしね。

でも、まぁ、たまたま、その日は仕事も休みだったし、試しに覗いてみるか?って感じで面接に行ってみたんだけれど、面接とは名ばかりで、実質はグループ面接の形式をとった社長の独演会だった。一応、社長から参加者に質問したり、こちらから質問したりってのもあったけれど、要はこれから業務拡大し、それに伴い社員の給料を上げます。そのために個々の社員による評価制度を導入していますというものだった。でも、自分以外の社員を評価する際に、その社員にボーナスを自分が与えるみたいな、よく分からないシステムだった。結局、他の社員からボーナスをもらえる場合もあるが、他の社員にあげなくてはいけないことの方が多いってことでしょ?何かネズミ講とまでは言わなくても、新興宗教みたいなお布施システムだなと思ったりもした。

で、この「君は彼方」って作品、見たことないけれど新興宗教団体が作るアニメ映画っぽい雰囲気がするんだよね。

主役の声を松本穂香が担当し、小倉唯早見沙織といった人気声優や、大谷育江山寺宏一といったベテラン声優も出演し、竹中直人夏木マリなどの非本業声優にも豪華キャストが参加しているので、幸福の科学作品のようなまがいもの感は何とか免れてはいるけれどね…。

 

ボイスキャストといえば、松本穂香は実写作品でも毎回のように違うイメージを見せてくれるので、その演技力を発揮し、本作でも好演はしていたと思う。他の非本業声優の演技はアニオタ得意の批判の対象になりそうな演技だったが、松本穂香は健闘していたと思う。ただ、終盤の謎の絶叫演技は意味不明だった。その辺が新興宗教映画っぽいって思われる要因の一つかな…。まぁ、80年代の角川アニメ映画「幻魔大戦」も豪華キャストによる新興宗教っぽい映画だったし、去年公開の「あした世界が終わるとしても」も、内田真礼悠木碧水瀬いのりといった人気声優出演作品なのに、そういうニオイがしたから、まぁ、アニメ映画ではよくあることなんだけれどね。

 

そして、何かに似ているといえば、本当、色んな他作品のシーンや設定をつぎはぎしたような感じで呆れるばかりだった…。

 

様々なデートスポットをメインの2人が訪れるシーンが止め画の連続で表現されるのは「あした世界が終わるとしても」と同じ演出。あれは新宿の話だったが。

 

主人公が上空から落ちてくる描写は「天気の子」。

 

空飛ぶペンギンは「ペンギン・ハイウェイ」。

 

クジラの描写は「海獣の子供」かな?

 

海上を列車が走る光景は、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」に近いかなと個人的には思ったが、人によっては、「千と千尋の神隠し」とか「ワンピース」なんかを思い浮かべるかもしれないなと思った。

 

そして、異世界から抜け出そうともがくストーリー展開は「バースデー・ワンダーランド」というか、その元ネタでもある「ふしぎの国のアリス」だし、マスコットキャラ的な人物や謎の人物と一緒に奮闘する話なんて、それこそ数多の魔法少女ものや、戦隊少女系アニメでおなじみの設定だ。

 

自分のペットが人間化したキャラクターになるなんてのも、「泣きたい私は猫をかぶる」といった最近の作品に限らず、よく使われる設定。

 

そして、主人公が忘れている何かを思い出さなければ異世界を脱出できないなんてストーリーもよくあるパターン。でも、本作に関しては主人公が思い出さなければいけないことなんて、誰が見ても分かるんだよ。そして、終盤のその言葉を発するシーンの台詞が消されているという演出も意味不明!同じ、なかなか現実世界に戻れない系の話でも、「エンドレスエイト」の方がまだマシと思えるほどの酷さだ。

 

それから、敵が蜘蛛姿になって登場するのは、誰もが「鬼滅の刃」を思い浮かべるしね。

 

そして、パクられたのは国産アニメだけではない。唐突にミュージカル・シーンが登場するんだけれど、そこで歌われている楽曲の自己啓発ソングっぽい歌詞がもろ、「アナと雪の女王」。

1作目の主題歌“レット・イット・ゴー”と2作目の主題歌“イントゥ・ジ・アンノウン”を混ぜて、10分の1くらいに薄めたような、もろパクリの内容だった。

 

さらには、アニメだけではなく実写作品のパクリもあった。自分が無視されていたのは実は自分が死んでいることに気付いていなかったからだと分かるシーンがあるが、それって、「シックス・センス」だろ!いまだに、「シックス・センス」をパクる作品があるなんて驚きもいいところ!しかも、「シックス・センス」は脚本、演出、撮影、編集、演技の巧さで主人公同様に観客も主人公が死んでいることに気付かなかったけれど、本作は誰が見ても主人公が死んでいる(というか死にかけている)のは分かっているしね。そもそも、主人公は現世と来世の狭間に迷い込んだって設定なんだから、そりゃ完全に死んではいないかもしれないが、死にかけているのは明白なんだし、それなのに自分は死んでいないって思っているのも意味不明。

 

とりあえず、本作はクソ映画愛好家にとっては、たまらない作品ってことかな。この機会を逃すと、今後鑑賞するチャンスが訪れないかもしれないしね。まぁ、見れば、「やっぱり、クソだった」と思うこと間違いなしではあるが。

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=LOVE WINTER TOUR『You all are "My ideal"』@東京都・TDCホール

これだけ、新型コロナウイルスの感染が拡大しているのに、予定通り実施するんだというのが正直な感想かな。

まぁ、日本の芸能界なんて自転車操業だから、中止・延期で払い戻したくなんてしたくない。政府も東京都も何もする気がないなら、こっちだって予定通りやるよというのが運営側の本音なんだろうね。でも、海外の事情に比べると日本の芸能界は危機感がなさすぎると言わざるをえないかな…。

 

しかも、グッズ付きプレミアムチケットを買った人は、会場でグッズを受け取れなかったら、後日、着払いで郵送になってしまうし、「グッズはいらない」「グッズ代の返金もいらない」と言ってもキャンセルは受け付けず、着払いで郵送するっていうんだから、本当に感染症対策する気あるのかなって思う。体調不良で来場できない人に対しては、チケット代金を払い戻しして、グッズの強制着払い郵送もやめるべきだと思うよね。結局、そういう対応がきちんとしていないから、ちょっとの体調不良だったら、会場に行こうってなってしまうと思うんだよね。

 

それから、アイドルやアニソン、ロックなどのライブでは市松模様の座席販売で着席鑑賞、発声禁止というのが定着しているけれど、いくら、公演中は黙っていても、開演前や終演後に場内でペチャクチャ喋っているんだから意味ないよねって思う。あと、笑うのはいいの?笑うのも発声でしょ?で、笑う原因というのはMCなんだから、MCもやめるべきでは?本気で感染症対策しているなら、そこまでやらないと。

あと、タオルを回すのは禁止なのに、ペンライトをふったり、バットを叩くのはOK。拍手や手拍子もOKというのも矛盾している。タオルだろうと、ペンライトだろうと、バットだろうと、拍手だろうと、手拍子だろうと、指や手についている汗は一緒に飛び散るのにね。それに、入口で強制的にアレルギーのある人でもアルコール消毒をスタッフの目の前でやらせているのに、トイレの石鹸が切れたままというのはどうなんだろうって思う。結局、感染症対策しているフリだけなんだよ!政府も東京都も何かしているフリだけで実際は何もしていないってのと一緒。

 

それにしても、通常料金の倍以上の額のプレミアムチケットを購入しても、アリーナ席ではないって限りなく詐欺に近いのでは?結局、市松模様の座席販売では利益が出ないし、グッズ販売も事前申込制にしているから通常ほどは売れない。だから、グッズと抱き合わせ販売の高額チケットで通常レベルの利益を得ようと考えるのはやり方としては間違ってはいないのだが、せめて、プレミアム席はアリーナ席の中におさめるべきでしょ。それができないなら、このご時世でコンサートなんか開くべきではないんだよね。

 

何か、イコラブ関連のライブに行くと毎回のように運営に対する不満ばかり出てくるの、なんなんだろうか…。

 

そうそう、肝心のライブの話をしなくては…。

イコラブも自前の曲だけで2時間ほどのライブをやれるようになったんだというのは感慨深いかな。まぁ、1曲目とアンコールの最後の曲は同じだったけれどね。今までは、秋元系アイドルの楽曲などのカバーをセトリに入れていたけれど、それなしでも場を盛り上げられるだけの曲数が揃ったってことだからね。

 

そういえば、「CAMEO」って、歌詞にあるDangerの部分は英語の発音に近い“デインジャー”って発音するのに、タイトル部分は“カメオ”ってローマ字読みなのは謎だな…。“キャメオ”じゃないんだ…。まぁ、“キャメオ”って言うと、“ワード・アップ”って叫びたくなるが…。

 

ところで、アイドルとか声優のライブって、“後半戦まだまだ盛り上がれますか?”って煽ると大抵、7割以上終わっていて、そこから4〜5曲歌うと本編終了ってのがお約束なのはなんなんだろうか?

あと、今回、カメコ席の観客に向けて、“ここで撮影タイムはいったん終了です。それでは次が最後の曲です”みたいなMCをやってしまったが、一応、アンコールは客が盛り上がった時のみやるという設定なんだから、“いったん”って言葉を使ってはダメでしょ…。

ついでに、アイドルのライブでよく聞く言葉で気になるものについて触れると、〇枚目シングルって言い方をよくするけれど、変な言い方だよね。英語の〇thシングルの直訳なんだろうが、やっぱり、しっくり来る日本語は〇枚目のシングルだと思うな。それから、MVをエムブイって言うのもなんだかなって感じ。文字で書くときはMVでいいけれど、口に出すときはミュージック・ビデオの方がいいのでは?昔、ミュージック・ビデオがプロモーション・ビデオと呼ばれていた時(海外ではとっくの昔に死語になっていたが、日本では2000年代に突入しても使われていた)にPVと略し、ピーブイと読んでいたのになれているのかもしれないが、何か違和感。

 

ところで、邦楽・洋楽問わず、どのライブでも本編終了直後からアンコールを求めるのが当たり前となっているが、何故か、AKBグループではしばらく経ってからでないとアンコール発動してはいけないという決まりがあるのは謎だよな。

まぁ、AKBグループのファンは中高年が多いから、“休む時間を与えないとメンバーがかわいそうだろ!”とか“着替える時間を考えろ!”とか、休息や着替えに時間がかかる自分基準で考えているのかもね。イコラブはAKBグループ出身者がプロデューサーということで、そちらから流れてきたファンもいるので、他のアーティストよりは若干待ってからアンコールを発動するけれど、AKBグループよりは若いファンが多いから、そんなに長くは待たないって感じかな。

 

それにしても、一番好きなアイドル・グループであるHKT48のライブは、今年は一度も見ていないのに(みくりんのソロコンと複数メンバーが出演したコント劇は見たが)、何故、イコラブは今年3回も見ているんだ?まぁ、どちらも指原チルドレンだからいいか…。

 

そして、コロナ禍になって以降、ライブに参戦するたびに思うが、着席鑑賞のライブって睡魔に襲われそうになるよな…。ジャズとかクラシックとか、元々、着席鑑賞のスタイルのジャンルならそうでもないけれど、やっぱり、アイドルとかロックとかはねって感じかな…。

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STAND BY ME ドラえもん 2

正直言って見る前は期待していなかった。

 

SBM」とか「スタドラ」とか略されているこのCGアニメーション版「ドラえもん」映画シリーズ、公式が自ら「ドラ泣き」なんてキャッチコピーで感動作アピールしていることには反感を抱かざるをえないというのがその理由。

 

また、実写だろうと、CGアニメーションだろうと、山崎貴作品という時点で、金をかけただけ(邦画としてはというレベルだが)で、ポリシーも内容もない映画というイメージを抱いてしまうのは、映画マニアなら当然のことだと思う。

 

そして、何よりも本作を期待できない最大の理由としてあげられるのは、3D上映ではないのに、CGアニメーション版「ドラ」映画の続編を作る必要があったのかという疑問を抱いたことだった。

この「SBM」もしくは「スタドラ」あるいは「ドラ泣き」と呼ばれるシリーズの前作は3D上映だから、通常の作画とは異なるCGアニメーションとして作る意義があったと思う。3Dとの相性でいえば、手描きアニメよりもCGアニメーションの方が良いと思うしね。でも、日本では3D上映のブームはとっくの昔に去ってしまい、洋画も含めて3D上映はされなくなってしまった。4DXとかMX4Dといったシステムの上映でも3D上映は除外されている。本来は3次元上映ににおいや水しぶき、振動などといったフィジカルな要素がプラスされるから、4Dなんじゃないのかと思うが、業界側は立体上映でなくても4Dだと言い張っているのは納得がいかない。

 

それはさておき、自分も最後に3D上映で映画を見たのは3年10ヵ月も前だし、この間に3Dと2Dの両バージョンで上映された作品は積極的に2Dを選んで鑑賞したくらいだった。3D上映を避けた理由はいたって明瞭で、立体を感じないから。昔のセロハンメガネの時代の3D上映の方が立体感があったと思う。眼科医にかかった時やメガネ店に行った時に、“もしかすると、右目と左目で見え方が違う?”と聞かれたくらいなので、おそらく、2000年代半ば以降のシステムによる3D上映は自分の目に合わないんだと思う。というか、日本で3D上映が廃れていったということは、自分に限らず日本人の目には合わないということなのかもしれない。

 

話は戻るが、「ドラ」映画は毎年、手描きアニメで製作されている。今年はコロナの影響で通常の春公開が夏公開になったが、来年は例年通り、春に公開するようだ。イベント上映の「LUPIN THE ⅢRD」シリーズや「コナン」とのコラボ作品を除くと、長らく劇場版が作られていなかった「ルパン三世」シリーズのような作品なら、CGアニメーション映画として新作を発表するのもありだろうが、毎年、新作を発表している「ドラ」では必然性は感じない。しかも、コロナの影響で今年の通常「ドラ」映画と、この「ドラ泣き」の公開時期が変わったため、8月に手描き映画→11月にCG「ドラ泣き」→年が明けて3月に手描き映画という、70年代くらいまでの邦画、もしくはつい20年くらい前まではそうだった香港映画みたいなペースで続編を発表しているので、正直、この「ドラ泣き」の必然性はさらに薄れている。

 

そうした諸事情を考えると、全く期待できなかったし、安直に公式側が「泣き」をアピールするなんて愚の骨頂としか思えなかった。

 

ところが、実際に鑑賞してみると、驚くほど泣けた…。おばあちゃんネタとか、のび太としずかの結婚とか、のび太の誕生とかベタベタな感動シーンをつなげているだけだから、そりゃ泣けるのは当然なんだけれどね。

 

まぁ、山崎貴作品としては最高傑作と言ったけれど、作品自体はご都合主義だらけで褒められたものではないけれどね。普通のタイムスリップものでは、異なる時代の自分と遭遇してはいけないわけで、コロナ禍に強行公開された「テネット」はあれだけ、複雑なルールを課していたわけだしね。それと比べると、本作のタイムスリップはご都合主義のかたまりで呆気にとられてしまう。

 

そして、時代設定も謎。おそらく原作が50周年(正式には51周年なのだが、本当、何周年とか何年目といった表記はいい加減なものが多すぎる!)ということを考えると、原作がスタートした1969年もしくはこの50周年という文言に合わせれば、70年が、作中の現在である10歳ののび太が生きる時代だと思われる。つまり、のび太は50年代末もしくは60年代初頭の生まれということになる。この映画でのび太たちは、のび太が3歳の時のおばあちゃんと遭遇するが、これが本当、記号的なおばあちゃんの容姿となっていて、いくら原作に沿ったとしても、どうなんだろうかという気はする。おそらく作中の時代設定である60年代前半だって、あんなおばあちゃんはいないよ。まぁ、自分はおばあちゃんっ子だったので、そういう細かいことは気になったものの、色々とおばあちゃんが生きていた頃を思い出して「ドラ泣き」してしまったが…。

 

そして、この時代設定から計算すると、のび太がしずかと結婚するのは劇中で25歳と言及されているので、時代は80年代半ばのバブルに突入するかしないかという頃のはず。

ところが、2020年時点でも存在しない技術が街中にあふれている。その一方で、携帯は最先端なのかレトロなのか分からないようなものになっている。もうデタラメもいいところ…。ついでに言うと大人のび太と子どものび太が入れ替わった際に声も入れ替わっていたのには違和感があった。

 

それから、本作の舞台となっていると思われる50年代末から80年代の半ばの基準では問題ないのかもしれないが、現代の子どもも見る作品ということを考慮すると、もう少し、ポリコレ的配慮をした方がいいのではと思った箇所も多かった。

 

しずかが同級生男子を下の名前のさん付けで呼ぶのなんて、男尊女卑そのものだし、ジャイアンのび太に対して“のび太を殴っていいのは俺たち(ジャイアンスネ夫)だけ”なんてのたまうのはいじめ容認だし、0点を取った子どもに対して折檻するような叱り方をする母親は児童虐待でしかない。しかも、この母親は“頭がおかしくてかわいそう”などといった差別的な発言もしてしまう。原作リスペクトなのかもしれないが、こういうところは変えるべきだと思う。

 

ジャイアンといえば、現在のジャイアン役の声優・木村昴が、声優によるヒップホップ・プロジェクト、ヒプノシスマイクで活躍しているのって面白いよね。音痴設定のジャイアンが音楽界でも活躍しているってことだからね…。

 

それにしてもガラガラだったな…。やっぱり、「ドラ泣き」前作を見てCG「ドラ」は好きになれないって思った人が多いのかな?個人的には良いと思うんだけれどな。まぁ、日本人は発展することをやめてしまった人種だからな…。

 

それから、コロナの感染者数が増えているから、「ドラ」映画のコアターゲット層である親子連れに避けられているんだろうなとは思う。夏に公開された手描き映画も前作より大幅に成績ダウンだったしね。

つまり、記録的な大ヒットとなっている「劇場版 鬼滅の刃」を見に来る親子連れはいても、それは普段のファミリー層向け映画を見に来る層とは別の人種なんだろうなということかな。

 

そして、やたらと泣いている子どもがいた。「ドラえもん」のポリコレ感覚の欠如いうのが今の子どもには向いていないのだろうか?あるいは、日本人は子どもですらCGアレルギーを抱えているということなのだろうか?

子どもといえば、菅田将暉の主題歌を口ずさんでいる子どもをよく見かけるな。ということは、今の子どもに「ドラえもん」が受け入れられていないってワケでもなさそうだな。テレビ版の放送日が土曜日の夕方に移動して、「ドラ」人気は大幅に低下したとマスコミは煽っているが、実際はそうでもないということか。というか、コロナ禍になって、子どもの土曜日在宅率が高まって、リアタイで見る子どもが増えてきたのかな?

 

余談だが、この菅田将暉の歌う主題歌の歌詞って、三木道三みたいだよね…。

 

ところで、作中の電脳的未来都市の風景には日本映画には珍しく実在の企業名が出てきたけれど、これって、「シュガー・ラッシュ」を意識したのかな?それとも、これだけタイアップしないと、見栄えのするCG映画は日本では作れないってことなのかな?

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エール

本作は働き方改革の流れを受けて週5回放送に短縮された(正確には戻ったかな)最初の朝ドラとなった。そして、制作中にコロナ禍に突入したため、放送を中断し、その期間は再放送になってしまった。そのため、復帰後の放送回数も削減された。さらには放送開始前には脚本家の交代劇というトラブルも発生している。そして、出番はもともと多くはなかったとは思うが、それでも重要キャラクターの1人であることには違いない大作曲家役の志村けんがコロナにより他界した。

こういう数々の事例を並べてみると、デフ・レパードも真っ青になるくらい、次から次へと不運が訪れていて、脚本や演出に何度も変更が出たであろうことは容易に想像ができる。

でも、そういうのを除いたとしても、この「エール」は駄作だと言わざるをえない。

 

ネットの声はやたらと絶賛だらけだが、それは作品そのものではなく、出演しているミュージカル俳優や、ミュージシャン、歌手業も行っている役者、ナレーションを担当する声優、そして、志村けんのファンがマンセーしているだけで、純粋にドラマとして見たら、これほど酷い作品はないと思う。「半分、青い。」や「なつぞら」の方がまだマシだった。

 

ところで、朝ドラに関してネットでつぶやく時に、ハッシュタグの後にタイトルだけを付ける場合は、批判コメントをしてはいけないとか、批判したい場合はハッシュタグの後にタイトル+反省会と付けるか、作品名を文字った名称(本作なら“萎えーる”)にしなきゃいけないみたいなアホなルールって、本当、自分と1ミリでも意見の異なる人間は敵扱いする今のネトウヨ思想もしくはパヨク思想が蔓延する日本って感じで、バカじゃないのかとしか思えない。

 

話は戻るが、「エール」の一番ダメなところは、架空の人物が実在の作品を作ったことにしてしまったこと。

朝ドラでは、実在の人物をモデルにしながらも、人物名やその人物が世に送り出したものの名称、その人物が関わった企業名などは架空のものにするのが定番となっている。

例外はあるが、せいぜい明治時代までが中心の大河ドラマに対して、朝ドラは大正以降の話が多く、モデルとなった人物の子や孫が存命の場合も多いし、朝の生ワイド番組の合間に放送している朝ドラで実名を出すのは宣伝につながってしまうという配慮もあるのかもしれない。だから、その是非はここでは問わない。

そのルールに従って、たとえば、「なつぞら」では、モデルとなったアニメーターや監督の名前は別の名前になっていたし、彼等が世に送り出したアニメ作品も実在の作品をパロったような別作品になっていた。

 

ところが、「エール」では、作曲家・古関裕而をモデルにした古山裕一を主人公にしたと言っておきながら、作中では、古関が作曲した作品がそのまま、古山の作品として出てきてしまった。古山だけではなく、仲間の作曲家や作詞家、歌手などが関わった楽曲や映画なども現実のもののタイトルや内容がそのまま使われ、架空の人物の作品として紹介されてしまっている。

百歩譲って、人物名は架空、作品名は現実みたいなパラレル・ワールドで全てが展開するならまだしも、原節子とかストラビンスキーなど実名で登場する芸能人・作曲家などもいる。

どうやら、ドラマに役として登場する音楽家や芸能人は架空の名前、役として登場しない人物は現実の名前としているようだが、そんなのは制作側の勝手な理由付けでしかない。統一すべきだと思う。

 

そして、コロナ禍に入り、現場に入ることができる人数の制限などが発生したことにより、ストーリー展開に変更を余儀なくされたという面もあるのだろうが、番組スタート時の印象では東京五輪開会式がクライマックスもしくは最終回になるものと思われたのに、そうではなかったのも意味不明。まぁ、これに関してはコロナの影響で2020年の東京五輪が延期になってしまったことも影響あるとは思うが。

しかし、それを差し引いても、五輪開会式当日の話は早送りにしてしまい、結局、何が言いたいのか分からぬまま終わってしまったのは謎だ。

また、ほとんどのキャラクターのその後もきちんと描かれず終わってしまった。五郎の野球具製造は成功したのか?梅は作家として成功できたのか?大将やプリンスの老後ですらどうなったのかよく分からない。ほとんど投げっぱなしなんだよね。

 

そして、裕一の妻、音の位置付けも意味不明。

少なくとも、番組スタート時の、五輪開会式直前の様子を見ると、大作曲家になった夫とともに音楽界に足跡を残した人物のような印象を受けたが、結局、自分の才能を見限って脱落したという描かれ方だった。

だったら、番組開始早々、主人公の存在を無視して1週間丸々、音の子ども時代を描いたのは何だったの?

朝ドラに多いヒロインが主人公であるというものでもなければ、男の主人公とそれを支えるヒロインという構図でもない。また、「まんぷく」のように従来のヒロインが主人公のものかと思ったら、実際は夫の方が主役だったというタイプでもない。なので、主人公とヒロインのW主演という作品なのかなと思ったが、結局、娘を出産してからは、添え物ヒロインにすらなっていなかった。何が言いたかったのだろうか?

 

それから、第1話の原始時代エピソードもそうだけれど、コント風の演出が多すぎる。特に中断から再開した後のコント描写は酷すぎる!演者のファンがネット上でマンセーしていて、好評なイメージが植え付けられているが、ドラマや映画、音楽などが好きな者なら、とてもではないが褒められたものではない。というか、正直言って寒すぎる!

 

しかも、最終回を「エールコンサート」と題して放送するのも理解不能。登場人物が歌うという設定で進行しているのだから、古関メロディを歌うと紹介するのはおかしいでしょ!あくまでキャラクターとして歌っているのなら、古山作品を歌うという形にしないと整合性が取れない!

しかも、作中では一切触れなかった「モスラの歌」を歌唱するのも意味不明。とりあえず、演者のファンや特撮ファンが騒いでくれれば成功としか思っていないのでは?

こういうことをやるなら、「うたコン」あたりで、演者があくまでと俳優として出演し、撮影中のエピソードを語りながら、名場面とともに歌うという形にした方が良かったと思う。

さらに、酷いのが、最終回の1つ前の回、ストーリー的には事実上の最終回となったエピソード。

ラストでいきなり、古山夫妻役の2人が現実の窪田正孝二階堂ふみに戻り、感想を言って、「明日の特別コンサートをお楽しみにね」と言うのは、中途半端もいいところ。やっぱり、ドラマはドラマ、お知らせはお知らせであるべき。“つづく”という文字が出た後の視聴者投稿コーナーで演者の作品が出てくるというのはアリだと思う(今回は何故かなかったが)。だから、その投稿コーナー部分で多少、いつもより尺は長くても演者の2人が現実の窪田と二階堂に戻って、明日の告知をするというのはアリだと思う。要は民放連ドラの次回予告と合わせて流れる視聴者プレゼントとか、配信サイト誘導の告知と同じ扱いだからね。

でも、「エールコンサート」はあくまでもキャラクターとして歌っているものなんだから、前日の予告で演者が現実に戻ってはいけないんだよ。メタ構造の意味を理解していないとしか思えないな。

 

それから、本放送終了後ではなく、本放送中にスピンオフのエピソードが流れるというのは、朝ドラの前作「スカーレット」でもあったが、今回はコロナの影響による中断前に2週間もあったうえに、最終回もコンサート形式となっていて、それだけ脱線するなら、中途半端な描き方で終わった本線の話をきちんとやれよと思ったりもした。

まぁ、冒頭に記したような諸事情があったのだろうが、それでも酷い。あと、中途半端といえば、GReeeeNの主題歌が流れなかった回が何度もあったのも、何だかなという感じかな。まぁ、深夜アニメでは、第1話とか最終回で主題歌が流れないというのはよくあるから、そういうテイストを狙っているんだろうが、朝ドラの正式名称が「連続テレビ小説」となっている理由を理解していない証拠だろうね。

最近の朝ドラはアバン部分があることが多くなったけれど、本来は時間とともにテーマ曲・主題歌を流し、時計がわりにしてもらい、出勤・登校時間を再確認するという意味合いもあったんだよね。NHKの視聴率主義の弊害かな。

 

と、文句ばっかり言ってみたが、朝ドラならではの楽しみとも言える新鋭役者の発見や、これまで過小評価されていた役者の評価の場はきちんとあったかなとは思う。

ニューカマー系でいえば、華役の古川琴音は、「ひよっこ」の伊藤沙莉や「まんぷく」の岸井ゆきののように朝ドラをきっかけに活躍の場が増えていく女優になりそうだし、吟役の松井玲奈は元々、演技力はあったと思うが、作品に恵まれていない部分もあったので本作で再評価されたと思う。梅役の森七菜は本当、出る作品ごとに違う人間に見えるが、本作でもそうした印象は持つことができた。「エール」で一番良かったのは、梅と五郎の恋愛絡みのエピソードだと思えるのは、彼女の演技力のおかげだと思う。

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