自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

ホリミヤ(アニメ版)

全13話の前半は驚くべきスピードで進んでいった。第4話で主人公の宮村がヒロインの堀に告白したが、これって普通のアニメなら1期の最終回くらいでやっと到達する展開だと思う。また、第7話では直接の描写はないものの、明らかに性行為を行ったあとと思われるシーンが挿入されていたが、これなんかは2期の最終回とか劇場版のクライマックスとかでやっと出てくるシーンだと思う。

 

なので、後半戦になると突然、ほとんどストーリー展開のないショートストーリー集みたいになってしまったことには再度驚いてしまった。ラスト2話(クリスマス編、卒業式編)は完全に水増し状態だったし。

 

そして、こうした展開は概ね、女性視聴者には好評のようだ。昔、女性オタク、いわゆる腐女子と呼ばれる人たちが支持する作品をヤマなし・オチなし・イミなしの“ヤオイ系”と呼んでいたが、結局、女性ファンにはストーリーのしっかりした作品よりも、キュンとくる台詞や動作が連続するものの方が受けるってことなんだろうね。

 

また、アニメに限らず、最近は実写のドラマでもシリーズ終盤ではなく前半終了くらいまでに、主人公カップルが結ばれるケースが多いが、それも今の女性は終盤で結ばれてメデタシメデタシとなる作品よりも、結ばれたカップルがイチャイチャしたり、時には口論したりするような日常が見たいってことなんだろうね。

恋人未満の2人がくっつくかどうかより、結ばれた2人が離れずに済むかどうかの方が興味あるってことなのかな?

 

実写映画「花束みたいな恋をした」は冒頭で主人公カップルが既に別れていることを提示した上で過去の話が振り返られる構成だけれど、あの作品が大ヒットしているのもそういう流れなんだろうね。同じ有村架純ものでいえば、ドラマ「姉ちゃんの恋人」でも終盤戦を待たずに主人公カップルは恋人関係になっていたし、そういう世の中になったってことなのかな?

 

男は相変わらず、終盤で結ばれてメデタシメデタシ。あるいは悲劇に終わって悲しいみたいなストーリー展開の方が好きだけれど、女性は変わったってことなのかな。それだけ、女性が強くなったってことだよね。

 

ところで、1クールで卒業まで描いてしまったので2期は難しそうだよね。まぁ、テレビアニメ版で描かれなかった途中のエピソード、あるいは最終回で言及のあった“卒業後に免許を取ってみんなで車に乗って旅行する話”などを劇場版やOVA、単発放送作品としてアニメ化する手はあるとは思うけれどね。

 

それにしても、戸松遥って、こういう、ちょっと乱暴でちょっとツンデレ。でも意外と繊細みたいな女子生徒役って合うよね。「あの花」のあなるもそうだけれど。そして、アイドル声優扱いだったのに、今では母親になっているんだから驚く。そして、今でもこういう女子生徒役ができることにも感心する。

 

レミと桜の生徒会仲良しコンビや、友達以上恋人未満の透と吉川あたりはもっと描いて欲しかったし、ほのかの出番がほとんどなかったのも勿体ないなと思った。麻倉もものほのか演技は最高だったので、もっと主人公カップルと絡むシーンを見たかったなと思う。

 

原作コミックの終了に合わせてアニメや実写ドラマ(プラス実写ドラマの冒頭3話をまとめた実写映画)を発表して、それぞれが同時期にラストを迎えるようにして盛り上げようくらいのノリだったのかな?

 

ネット上の声などを見ると女性ファンを中心に今期覇権みたいな声が出ているようだが、ここまで腐女子人気の高まる作品になるとは思っていなかったんだろうね。

 

それにしても、オープニング、エンディングの両主題歌が1話も欠かすことなく流れるって最近のアニメにしては珍しいよね。全話流れても1話とか最終話ではBGM扱いってパターンも多いしね。

オープニングの神山羊「色香水」も、エンディングのフレンズ「約束」もかなりの良曲だったしね。まぁ、「約束」は最終話ではいつものエンディング映像ではなかったが。

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出版社、書店など出版業界の怠慢

ネット時代になり、世の中における書籍や雑誌などの存在意義が変わってきた。

 

しかし、出版社側は取次社を通じて書店に強制的に出版物を購入させるシステムを崩したくない。

おそらく、キックバックのような恩恵を受けている者もいるのだろうし、書店側は返本できるとはいえ、一時的には取次店を通じて出版物を購入することになるから、一旦は出版社側の収入になる。

 

そうした旧態依然とした不透明な利益で儲けることができないから、出版社は電子版の販売に消極的で、販売しても紙の出版物とほとんど変わらない価格で世に出している。

 

単なるデータなのに、フィジカルの商品と同じ金を支払うのはバカらしいから、消費者は電子版を買わない。しかし、電車の中で書籍やコミック、雑誌を読む習慣はなくなってしまった。というか、読んでいるとスペースを無駄に取る邪魔者扱いされることもある。なので、読書離れは進み、書籍などは売れなくなる。

 

問題は出版社や取次社だけではい。書店側の愚策も多い。書店は売れないのは立ち読みする客のせいだと思い込み、雑誌やコミックに次々とビニールカバーをかけてビニ本状態にしてしまったり、ビニール紐でとじたり、ビニールテープでとめたりして、中を見られないようにしてしまった。中には小説ですらビニールがかけられているものもある。

 

確かに立ち読みで済ませて購入しないケースも多々あるが、それと同時に中身を確認してから購入するケースだって、かなりあったのに、そのチャンスを客から奪ってしまったので、無駄金を使いたくない客は、お気に入りのアイドルが表紙を担当しているとか、付録が付いてくるなど、明らかに損をする要素がないものしか買わなくなってしまった。

 

当然、この愚策のせいで、どんどん書籍や雑誌などは売れなくなっていった。

 

そこへ来て、去年7月からレジ袋の有料化が義務付けられるようになると、今度は紙袋を有料化しだした。中には、小説やコミックにかける書店名入りのカバー(実質広告)ですら有料にしているところもある。

 

ビニール消費を減らすのが目的のレジ袋有料化なのに、紙袋を有料化するのは全くもって意味不明だし、ビニール製のレジ袋よりも紙袋の方が高い店も多い。全くもって理解できない策だ。

 

とにかく、何かに便乗して客から金をむしり取ることしか考えていないようだ。

 

そして、本来ならレジ袋を拒否した客は環境保護に協力したのだから、書店側は感謝すべきなのに、多くの店は、わずかな追加料金を払うのをケチった歓迎できない客とみなすようになった。というか、万引き犯扱いするようになった。

 

その結果、書籍や雑誌などに直接、購入証明としてビニールテープを貼る書店が続出した。ビニールテープの中には剥がしにくいものもあるし、ビニールは剥がれても糊部分が商品に残ってしまうことも多い。つまり、商品にビニールテープを貼る行為というのは、書籍などを傷つけていることになる。書店員というのは、本を愛している人たちではないのか?本を愛しているのなら、本を傷つける行為なんてできないはず!

 

そもそも、レジ袋有料化になっても、相変わらず、立ち読みさせないために商品にビニール袋をかぶせたり、ビニール紐でとじたり、ビニールテープでとめたりという愚策は続いている。つまり、書店は相変わらずビニールの過剰消費を続けている。

さらに、万引き防止という名目で商品にビニールテープを貼る愚策中の愚策まではじめてしまった。全くビニール消費を減らす気がないのはミエミエだ。

 

結局、紙袋なのに“レジ袋”代金を取っているのは、立ち読みさせないために雑誌やコミックなどをビニ本状態にした際に使うビニール袋や、万引き防止という名目で商品に直接貼られてしまうビニールテープ代をかわりに請求されているってことでは?

 

本当、出版社、取次社、書店問わず出版業界は愚策ばかりで全く同情する気がない。

 

作家や読書家の中には、商品の税込み表示義務化は、多くの絶版作品を生むことになるから反対だと言っているが、個人的には税抜き価格表示は安く思わせて買わせる詐欺行為だと思っている。商品を手に取った瞬間に、客がいくら払うかが分かる税込み価格表示は客に優しいサービスだと思う。

 

どの分野でもそうだけれど、熱心な支持者って業界側の意見になってしまう人間が多いけれど、自分は単なる読者なんだから、そういう業界側の詭弁に騙されてしまうのはダメだよ。

 

商品に直接ビニールテープを貼ることは万引きに苦しむ書店を救うためだとか、税込み価格表示の義務化は出版社の負担を増やすだけだとか、自分も業界人になったフリして愚策を擁護するのはやめようよ!

 

旧態依然としたシステムはとっとと駆逐しなければ、日本の出版業界はどんどん劣化していくだけ。海外の出版社は、ネット時代だって、きちんとやっているんだからさ!

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リアル花見@上野公園

上野公園の桜を飲食せずに園内をぐるっと回りながら眺めるだけというリアルな花見を2003年からずっと同じ相手と一緒にやっている。

その相手というのは、かつて自分が担当していた番組で学生バイトをやっていた人で、2003年は彼が大学を卒業してフリーターになったばかり。自分は休職する直前というタイミングで、たまたま、両者とも時間があり余っていたから、上野でも行くかって感じになったのだと思う。

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そして、それ以降ほぼ毎年、上野公園でガチな花見をするのが恒例の行事となってしまった。

自分の仕事の都合でどうしてもスケジュール調整ができず相手のみがソロで行ったこともあったし、悪天候が続き中止となったこともあった。

去年はコロナの影響で上野公園への立ち入りが制限されたりもしたし、プライベートで人と会うのは極力避けようという風潮だったので、恒例の会は中止となり、自分一人で上野公園の入口をちらっと覗いただけで終わってしまった。

 

ということで、2年ぶりに恒例の会が催されることになった。もっとも、ここ最近は相手が正社員になり、かなりの激務をこなしているということだし、自分もここ最近は土日に仕事をすることもあるので、なかなか両者のスケジュール調整は年々、厳しくなっていた。なので、タイミングを逸した今年は完全に葉桜状態での花見となってしまった。

 

それにしても、自分たちも出かけておいてなんだが、日本人のほとんどはコロナは風邪論者になっているのではないか?ここまで緊張感のない国民って世界中見渡してもいないと思うぞ。なので、自粛しようと言い出しにくい雰囲気もあり、今年は開催となった。

 

まぁ、これまでと同様、園内をぐるっと15分くらい歩きながら、お互いの近況を話すというのがこの会の趣旨みたいなものだから、葉桜になっていても、そんなに問題ではないんだけれどね。

 

このリアル花見が始まった2003年は先述したように自分の休職時期ということもあり、一旦、色々なものをリセットしようというモードになっていた。その流れで高校時代の同級生に声をかけ、定期的に飲み会を開くようにしたのだが(最大で5〜6人くらいの面子だったのかな?)、そっちの方は、参加メンバーの1人が行方不明になったり、離婚だの再婚だのがあったりして、メンバーが徐々に欠けていき、そして、3年前にはメンバーの1人の老害化が激しくなってしまい、それにガマンができなくなり、彼との付き合いを考えるようになったので(こっちが39度の高熱を出した時に、“自分は鍛えているので風邪をひきません”なんて言ってくる奴とは縁を切って当然でしょ!ちなみに、こいつの職業は社労士。社労士って、こういうマインドの奴が多いんだよ!全然、労働者の味方ではない!企業の手先だからね!)、そっちの会は少なくとも自分が参加する形では開かれなくなってしまった。

 

でも、こちらのリアル花見は今でも続いているんだよね。まぁ、アニメ・声優系という共通のオタク趣味があるし、自分も相手も広義のクリエイティブ職だから、話が通じる部分はあるんだろうね。

高校時代の同級生は、職種も趣味も全く違うからね。彼等はジムで体を鍛えることか、飲みに行くことくらいしか趣味はないし、彼等からすれば、クリエイティブ職みたいな、どこまでが仕事で、どこまでが趣味か分からない仕事は仕事として理解できないんだろうね。

 

ということで、自分も相手も40代になった状態で開催された最初で最後のリアル花見は無事終了した。来年は自分は40代ではないしね。

まさか、こんなに長く続く恒例イベントになるとは思わなかった。今でも最初に開催した時の待ち合わせのことを思い出せるからね。本当、年月って、あっという間に過ぎていくよね。

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マジムリ学園 蕾-RAI-

アルコール消毒は片手につけて、それを両方の手に広げるってのが主流だと思ったが、両手それぞれに噴射しろと言われた。そこまで、感染症対策をしているフリをするんだったら、全席販売するのをやめろよって言いたいし、場内でドリンクを販売するのもやめろよって言いたい。

 

そして、あれだけ不具合が報告されていて、意味がないと誰もが知る存在となったCOCOAのダウンロードを推奨しているのも意味不明。政府に媚び売っておきたいんだろうね。

 

それから、座席ごとに規制入場をするとかホームページには書いてあったのに、全然、関係なかった。全く感染症対策する気ないでしょ。

 

あと、退場時に一人一人にブルーレイ発売告知のビラを配っているのも理解不能。しかも、名刺サイズの小さいもの。全然、感染症対策していないじゃん。利益優先じゃん!

 

本当、日本の芸能界ってクソだよね。欧米を見習えって言いたい。まぁ、日本の芸能界が自分勝手で、来場者の安全を考慮しないのは、公演を延期・中止にした際に払い戻しをすると、運営不能になるほどの自転車操業だからだってことなんだろうね。

それに、朝ドラ「おちょやん」では、戦時中でも自分たちがやりたいからという理由で公演を続ける自分勝手な役者連中が描かれていたから、昔から日本の芸能界は客のことなんて何とも思っていないんだろうね。本当、最近の「おちょやん」の戦時中の描写って、今のコロナ禍と重なるな。

 

ところで、AKBチケットセンター以外でもチケットを販売したってことは、チケットが売れていないからじゃないのか?何故、チケセンで購入したのに3階席なんだよ?

女性ファンや若いファンに人気があるというのをアピールしたいから、チケセン以外でも販売し、そちらに良席を用意したってこと?

チケセン利用者というのは支店を含むAKBグループのモバイル会員がほとんどのはず。そういう人を冷遇して、一般客を優遇するってのは違うのでは?

 

そういえば、天王洲 銀河劇場の3階席の最前列って、本当に見にくい!まぁ、昔ながらの座高が高い日本人体型に合わせたつくりなんだろうが、自分にとっては見にくくて仕方ないんだよね。視界のほとんどが転落防止の柵に遮られてしまうんだよね。それで、よく見えるようにと、ちょっと体勢を変えると、後ろの席に座っている人からつつかれる。本当、腹立つ!

自分は意識したことないんだけれど、どうやら自分は平均的な日本人、特に30代以上にしては脚が長いらしいんだよね。マッサージとか行くと、よく脚が長いとか真っ直ぐだとか言われるからね。でも、身長は極端に高いというわけでもなく、173センチ程度だから、つまり、座高は平均より低いんだろうね。だから、こういう座席に座らされると見えなくなってしまうんだろうね。

 

というか、銀河劇場に限らず、他の劇場や映画館でも前列と後列の高低差がない所って、見にくいって思うし、シネコンの車椅子席の後ろなんかに座った時なんかは、その車椅子の観客の使っている車椅子とその人の座高次第では見にくくてたまらないこともあるしね。

電車のシートに座っている時でも、隣に脚を広げているオッサンがいると、つらくなって脚を組んでしまうのも脚が長いせいなのかな?

でも、世の中って脚を広げているスーツ系のオッサンには文句を言わないくせに、脚を組んでいる普段着の人間には文句を言うんだよね。本当、理不尽だ。

 

それにしても、チーム8のファンのマナーの悪さはコロナ前から指摘されていたことではあるが、コロナ禍の公演でもそれは変わらないなというのを実感した。効果がないと指摘されている布マスクをしている観客が多いし、ペンライト以外の応援グッズの持ち込みを禁止されているのに、うちわを掲げているのがいる。さらには、コールしたり、公演中に連れと長々と話しているのもいる。

それから、これは演出側が悪いとも言えるが、MCで誕生日メンバーを祝うのはいいんだけれど、それで「ハッピー・バースデー」をメンバー全員で合唱したら、ファンも歌っちゃうよね。コロナ禍になって長いんだから、いい加減、前とは違う演出をしようよ!この1年以上、何やっていたの?としか言えないな。

 

そもそも、映画や演劇は観客が動かないからという理由で全席販売が認められているわけだが、本公演は建前上は演劇でも、2部構成になっていて、多くのファンは2部のミニライブを楽しみにしているわけだから、ほとんど、コンサートだと思うんだよね。ペンライトの持ち込みは許可されているわけで、多くのファンがペンライトをふるなど動くわけだしね。だったら、他のコンサートと同様に市松販売にすべきだったと思うな。

 

まぁ、チーム8の若いファンには厄介と呼ばれるオタクが多いし、AKBグループ全体ではオッサンのオタクが多いから、いずれのパターンでもコロナは風邪論者みたいな行動を取るのが多いってことなんだろうね。

 

そんなわけで、本当、コロナ禍になってから鑑賞したライブ・エンターテインメント(演劇、ライブなど)って本公演に限らず、アーティストを含めた運営側、もしくはファン側、あるいは、その双方の感染症対策で不満を抱くことが多くて、全然、楽しめないんだよね。

 

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作品自体は途中までしか見ていないテレビシリーズの続編ということで、多少、頭の中で自分が見ていたところまでと本作における展開をつなげる作業に苦しんだりはしたが、まぁ、それなりに理解はできた。

 

ただ、秋元康関連作品が持ち込む社会的メッセージって、本当、いつも中途半端だよねって思う。秋元康は権力側の人間なのに、反権力的メッセージをやるからチグハグした感じになるんだよね。

 

本作に登場する難民問題というのは作中でも語られているように、外国人差別問題のメタファーであると思う。というか、作中で語っているからメタファーでもなんでもないんだけれどね。

でも、だったら、敵役にするのはどうかと思うし、ましてや、黒幕を政治家の娘にするのもどうかと思う。それこそ、“沖縄の米軍問題を主張する連中は中共の手先だ”なんてアホなことを言っているネトウヨと大して変わりない。敵役にするとしても、ジョーカーではないが、つい共感してしまうようなアンチ・ヒーロー的描写にすべきだと思う。形だけ社会性を取り入れるから、こういうチグハグしたものになってしまうんだよね。

 

本作における難民問題というのは、東京を出てきた人間が郊外にやってきて、元々、その郊外にいた人の仕事を奪うという形で描かれていて、その背景として外国人労働者によって仕事を奪われた日本人と重ね合わせているようだが、それも何か違うでしょって思う。

本作における郊外にやってきた人というのは優秀な人間として描かれているが、現実世界で日本人から仕事を奪っていると妬まれている外国人労働者は能力に関係なく低賃金でこき使える存在のことだからね。この辺が秋元康は世間知らずのボンボンだって批判される理由なんだよね。

 

そもそも、東京から郊外にやってきたっていうけれど、確か、本作の郊外って多摩地区をイメージした都内では?それも立派な東京なんですけれど!そういう認識の人に東京のことを語ってほしくないなって思う。

おそらく、こういう思想の連中の言う東京というのは都心、広げても23区までなんだろうが、だったら、そこははっきりと都心とか23区から来た連中と言うべきだよ。

 

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そして、おかしな言葉の使い方といえば、生徒会長が“学生諸君”という言葉を使っていたことだ。この生徒会長は生徒会長って言葉の意味を分かっていないのでは?高校生は学生ではないということは一般生徒は知らないかもしれないが、生徒会長が知らないのはまずいでしょ。

もっとも最近は、非正規の教職員が増えたせいか、教職に就いている人間でも、児童・生徒・学生の区別がついていない者が多いからね。本当、呆れるばかりだ。

教職員とか、小説家・脚本家など言葉を使って仕事をしている人間はちゃんと、児童・生徒・学生の違いくらい把握しておけよって思う。

 

それはさておき、ドラマ時代からの設定だが、生徒会に一般生徒が上納するシステムに批判的な主人公が金で人のケンカを買うっておかしいだろ!矛盾しているよね!

 

ところで、2部のミニライブだが、久しぶりに現場で「47の素敵な街へ」を聞いたけれど、やっぱり、神曲だよねって思った。ガチ恋口上が聞けないのは寂しいけれどね。

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ノマドランド

2009年度にアカデミー作品賞のノミネート枠が10本に拡大されたのは(のちに最低5本最大10本に変更)、5本枠ではSF、ファンタジー、アクション、コメディ、ホラー、アニメーションなどの“大衆的”ジャンルの作品の中で批評家筋や映画通に評価された作品をカバーしきれない=“大衆的”ジャンルの映画が作品賞にノミネートされていないと授賞式が注目されない=視聴者数が増えない=スポンサーからの収入を得られないという背景があった。

 

その結果、毎年のように、そうした“大衆的”ジャンルの映画が作品賞にノミネートされるようになった。

しかし、作品賞を受賞するのは毎年、アート路線の作品だった。唯一の例外は、実話を基にした作品で政治的な要素はあるとはいえ、基本はサスペンス映画という娯楽ジャンルの作品である2012年度の「アルゴ」くらいだ。

また、作品賞受賞作を映画会社別で見てみると、FOX傘下のブランド(現在はディズニー傘下)のサーチライトをアート系・インテーズ系として括ると、ワーナー作品であるこの「アルゴ」以外では、日本ではギャガ配給になってしまったが、米国ではユニバーサル映画として世に出た「グリーンブック」しかない。

また、大ヒット作品の目安とされている全米興収1億ドルを突破した作品も「アルゴ」以外では「英国王のスピーチ」しかない。

 

そして、トランプ大統領就任が決まった2016年11月以降、ハリウッドは“トランプ憎し”の思いだけで、どんどん偏ったポリコレを推し進めていき、黒人・女性・LGBTQ・障害者の差別撤廃を訴えた作品ばかりが評価されるようになり、作品賞受賞作の地味さはどんどん増していった。なので世間のアカデミー賞に対する興味はどんどん薄れていった。

 

黒人に対する差別的な発言をしたカントリー歌手モーガン・ウォレンを巡っては、Black Lives Matterという動きに反発すると吊るしあげられてしまうという今の米国の風潮を考慮し、多くのラジオ局が彼の楽曲のオンエアに消極的になっているにもかかわらず、彼の最新アルバムが全米アルバム・チャートで10週連続ナンバー1という大ヒットになっているのは、そうしたエンタメに持ち込まれた偏ったポリコレに嫌気がさしている人が多い証拠だと思う。

 

また、最近、アジア系を差別するなという運動が米国でやっと活発化してきたのも、黒人の権利ばかりが優先されるが、その黒人がアジア系を差別しているという矛盾・欺瞞・偽善を無視するんじゃないという怒りのあらわれだと思う。

 

トランプ政権時代は、トランプ支持を主張すると変な目で見られる風潮があったが、ポリコレ勢の共通の敵であったトランプが追い出されたことにより(=ポリコレ勢の全てがバイデン政権支持ではない)、ポリコレの矛盾・欺瞞・偽善を自由に訴えられるようになったということなのだろうか。

 

そして、今回(2020年度、正確には2020年1月から2021年2月までを対象)のアカデミー賞はコロナ禍での実施(=大作が軒並み公開延期)ということで、これまで以上に作品賞ノミネートの顔ぶれはアート系寄りになってしまった。

というか、トランプ政権時代ですら、娯楽系ジャンルの作品や、ドラマ性の強い作品でも大ヒットとなった作品の作品賞ノミネートはあったが、今回は8本全てがアート系・インテーズ系の作品となっている。

しかも、そのうち3本は配信系映画。一時期は今回は作品賞ノミネートの過半数が配信系映画になるのではなんて言われていたことに比べれば物足りない結果かもしれないが、過去最多の本数であることには変わらない。

当然、コロナ禍で興行成績がふるわないので(賞レース向きでない作品を含めても去年2月公開の「ソニック・ザ・ムービー」以来、全米興収1億ドル突破作品はない)、8本全てが世間一般的には知る人ぞ知る映画だ。勿論、8本とも最近の偏ったポリコレ路線の米エンタメ界の指針に沿ったような作品ばかり。これでは、アカデミー賞授賞式の視聴者数はさらに減るのではないだろうか。

 

というわけで、そんな一部の映画マニア以外注目していない今回のアカデミー賞で(Wikipedia日本語版の「アカデミー作品賞」のページはいまだに、今回のノミネート作品の記述がないくらい、日本では映画ファンにすら注目されていない)、もっとも作品賞受賞の可能性が高いと予想されている「ノマドランド」を鑑賞した。

 

作品賞最有力であるにもかかわらず、アカデミー賞そのものに対する注目度が減っている影響で、公開1週目の成績がイマイチだった。なので、2週目は上映回数が減らされてしまった。上映スケジュールのチェックが大変だった…。

 

サーチライト作品で主演がフランシス・マクドーマンドということで、嫌でも2017年度作品賞ノミネートの「スリー・ビルボード」を思い浮かべてしまうが、この「ノマドランド」も「スリー・ビルボード」同様、よくあるポリコレ映画とは違う左右・リベラル、あらゆるベクトルに対する批判を込めた作品だと思った。

スリー・ビルボード」は女性の権利を主張する主人公に、人種差別的、障害者差別的感情があることを描いていたが、この「ノマドランド」もリーマンショック以降の米国で格差社会が広がっていったこと。つまり、民主党オバマ政権がブッシュ(息子)政権時代に起きたリーマンショックの後処理をきちんとできなかったから、格差社会が広がり、トランプ政権を生むことになり、そのトランプ政権によって、さらに格差は広がったと主張しているようにも見える。

活動拠点は米国とはいえ、メガホンをとったクロエ・ジャオ監督が中国生まれの女性だからこそ、民主党的なエリート視点だけでは問題は解決しないと主張できたのかもしれない。

とはいえ、リーマンショックが起きたのはブッシュ(息子)政権のせいであるという明白な悪役がいるから、それほど、民主党批判には見えないので、今の偏り過ぎた米エンタメ界の賞レースでも評価されているのだと思う。

 

その辺が、同じように、民主党政権クリントン)時代の闇を描いた「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」が反民主党映画扱いされ、グレン・クローズ助演女優賞以外、賞レースではほぼ無視状態になっているのとは異なる点だろうか。「ヒルビリー・エレジー 」ではクリントン政権時代に郊外や地方の住民は暗鬱になったと明らかに描かれていたしね。

 

作品自体の雰囲気はぶっちゃけて言ってしまえば、ストーリーらしいストーリーはない。いかにも、映画賞とか映画祭で評価されるタイプの作品だと感じた。主人公はいくつかの場所を転々として生活し、それぞれの場で出会いを経験したりもするけれど、深掘りせずに、気づくと別の場所に移ったりしているからね。わざとだとは思うが、少々、つなぎが強引なところも多い。

 

転々生活が1周したところで終わればきれいにまとまるのに、2周目に入って、ちょっと経ってから終わるというのも構成の難を感じたりもした。まぁ、ノマド生活者には高齢者が多く、死と隣り合わせの世界であるというのを描きたかったのかもしれないが。

それを表現するために素人俳優を使っているのでリアリティはあったと思う(役名=俳優名が多い!)。

 

かといって、これがいかにも賞受けの良いアート系思想のマスターベーション映画かというと、そうでもないんだよね。とりあえず、良い作品を見たという気持ちにはなるしね。

 

カントリーやクリスマス・ソングが流れるし、絵面だけを見ていれば、紛れもない米国のアート系映画なんだけれど、人生観とか死生観などが邦画を含めたアジアのミニシアター系映画に近いテイストなんだよね。これは監督が中国出身ということが影響しているのかもしれないなと思った。

まぁ、女性監督作品であるという点はあまり感じなかったが、排泄シーンや全裸での水浴シーンは女性でなければ撮れないかもと思ったりもした。

 

もし、クロエ・ジャオ監督が今回のアカデミー賞で監督賞を受賞すれば、女性としてはキャスリーン・ビグロー監督に次ぐ2人目。アジア人としては、アン・リー監督やポン・ジュノ監督に次ぐ3人目となるが、キャスリーン・ビグロー監督作品はいわゆる女性監督作品らしくはないし、アン・リー監督もアジア人を主人公にしたものを除くとアジア人監督作品らしくないから、ある意味、クロエ・ジャオ監督も女性監督視点でもアジア人監督視点でも、その系譜に連なっている気がするな。

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「ガールズ&パンツァー 最終章」第3話

2015年11月に劇場版が公開された際にはリピーターが続出した。“ガルパンはいいぞ”といった流行語も生まれ、興行収入は25億円を記録した。これは今でも深夜アニメの劇場版の興行収入では歴代のトップ5に入る成績だ。

そして、このガルパン人気を受けて全6作からなる最終章(6本もあって最終章はないだろ!テレビドラマが一時期最終回と勘違いさせて見させる最終章詐欺をやっていたが、それより酷い…)が発表されたが、何しろOVAをDVD/ブルーレイの発売に先駆けて劇場で上映する、いわゆるイベント上映作品だから、1作品あたりの上映時間も短い。

 

2017年12月公開の第1話こそ、劇場版の余韻がある中で公開されたから、イベント上映作品としては特大ヒットと呼んでいい成績をあげたが、その後はなかなか、続きが上映されず、2019年6月公開の第2話は若干、失速した興行成績となってしまった。

そのせいか、やっと、この3月に公開された3作目は上映回数などが過去2作よりも減ってしまったようだ。

 

あと3話も残っているのに(第1話と2話の間の1年半ペースで今後も公開されたとしても、完結するのには4年半もかかる)、既にガルパンというコンテンツがオワコン状態になってしまっているが大丈夫なのか?

 

やっぱり、連作もののイベント上映作品というのは最低でも年1ペースで上映しないと飽きられると思うんだよね。特に上映時間が60分前後と短い作品は尚更。

 

数ヵ月の間に3本とか4本を立て続けに公開する作品に対してはさすがに観客のことを考えろよ!その作品以外に興味がない人はともかく、普通のアニメファン、映画ファンは他の作品も見るんだからさって言いたくなるが、ガルパンのように1年半とか1年9ヵ月とかの長いスパンがあるのはダメでしょって思う。

 

「シン・エヴァンゲリオン」のように上映時間が2時間35分もある作品なら、前作から8年4ヵ月も待たされても構わないけれど、「ガルパン最終章」のような50分前後の作品なら、もう少し短いスパンで出さないとね。まぁ、1本作ってそれで得た利益で次の1本を作るといったような自転車操業なんだろうね。あと、水島努監督が忙しいってのもあるのかな。

 

そういえば、「ガルパン」といえば、ミリタリー思考=戦前の古き良き日本を礼賛=ネトウヨ的思想の人が喜ぶ作品というイメージが強いが、去年、水島努監督がコロナ禍における政府の対応を批判したりしたことからも分かるように、結構、作中でも反戦的メッセージは含まれていたりするんだよね。でも、同じミリオタ思考のパヤオの作品ほど政治的メッセージが表に出ないというか、戦闘シーンが中心の構成だから、あまり、そうしたメッセージが気づかれていないってのはあるのかもしれないな。

 

もっとも、最終章の過去2作に比べて本作が盛り上がっていないのは、去年の水島発言でネトウヨ寄りのアニオタが監督を反日扱いし、彼の作品から離れていったという部分があるのかもしれないなと思ったりもする。

 

それにしても、今回の第3話も劇場版などと同様、戦闘シーンばかりだったな。2話はそこまで感じなかったけれど、今回はちょっと冗長に感じた。

個人的にはアクション・シーンの長い作品って、実写だろうとアニメだろうと苦手なんだよね…。集中力がないからなのかな?あるいは、ドライアイで長時間瞬きしないのが難しいからかな?まぁ、描写はリアルで迫力はあったとは思うけれどね。

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モンスターハンター

海外で去年の年末に公開された際に酷評されていたことは知っていたので正直なところ、見に行くかどうかは非常に迷った。

でも、観客動員数ランキングでは今年公開の外国映画としては最高位となる2位を記録しているので(というより去年9月日本公開の「テネット」が首位を獲得して以来の好成績)、今年上半期を代表する洋画になることは間違いないと思い、仕方なく見に行くことに決めた。

 

今年は、アニメーションやアジア映画も含めて外国映画がランキングのトップ10内に1本も入らない状態が5週間も続くという異例事態になるほど洋画の需要も供給も激減している。

マーベル映画「ブラック・ウィドウ」は7月に劇場での上映と同時にディズニープラスで配信するという公開方式に変更されたので、おそらく、現状では、上半期終了までの間に本作を上回る興行成績をあげる可能性がある洋画は、同じく東宝が海外と提携して送り出す作品である「ゴジラvsコング」くらいしかない。

なので、上半期2番目の洋画ヒットになるであろう作品を見逃していては、映画に関するウンチクを語る資格がないと思ったのが鑑賞理由だ。

 

本作が海外で公開された時にアジア人蔑視とされる童謡(チャイニーズ、ジャパニーズ、ダーティ・ニーズ)が使用されていると問題になったが、自分が鑑賞したバージョンには含まれていなかったので、どうやら、そのシーンは削除されたようだ。

というか、日本の東宝と中国のテンセントが製作会社に名を連ねているのに、何故、タイトルからして中国人や日本人を蔑視している楽曲を使うのか意味不明だ。

 

そして、実際に本編を見てみると、この楽曲を削除したくらいでは解決しないくらいアジア人を蔑視するような描写が満載だった。

トニー・ジャー演じるハンターを野蛮で無礼な奴扱いしているし、ミラ・ジョヴォヴィツチ演じる主人公が、ハンターがお祈りの際に使っている用具を破壊しようとしたりもしている。仏教を野蛮な宗教と見ているとしか思えない。これが仏教でなくイスラム教だったら、上映館でテロが起きていたぞ。

 

また、山崎紘菜の扱いも酷い。出番が少ないのは予想通りなので構わないが、キャラクターが典型的なバカな日本の女の子という感じだ。

 

それにしても、山崎紘菜は最近になって、やっと話題作に出られるようになり、単にTOHOシネマズの幕間でハリウッド・スターを呼び捨てにしているだけの傲慢な人ではないというのが認識されつつあるが、本作にしろ、純粋な日本作品の「ブレイブ 群青戦記」にしろ、クソ映画ばかりだな。本来なら、浜辺美波や上白石姉妹、福本莉子あたりが演じるような役をやってもいいのにね…。

 

まぁ、アジア人蔑視問題とか関係なく純粋につまらないし、打ち切られた少年漫画の最終回みたいな終わり方も酷いんだけれどね。

 

それにしても、ゲームの実写映画化作品って凡作・駄作が多いな…。アンジェリーナ・ジョリー版「ドゥームレイダー」の1作目は本当、例外的な良作なのかな?最近だと、「名探偵ピカチュウ 」が健闘していたくらいかな?

 

ポール・W・S・アンダーソン監督は「バイオハザード」シリーズや「モータル・コンバット」といったゲームの映画化作品で有名だけれど、彼だって、傑作は放っていないしね。

 

それにしても、冒頭で国内向けに通常の東宝ロゴが出た後、東和ピクチャーズのロゴも出たが、東宝東宝東和系のレーベルが共同で配給って珍しいな…。東宝系の配給会社同士の共同配給だからね…。昔、松竹が今はなき松竹富士と共同配給したことがあったが、そんな感じなのかな?

 

そして、その後にオリジナルの国際仕様の映画会社ロゴが出るけれど、東宝マークの下の文字がいつもの東宝株式会社ではなく、TOHOとなっているのが新鮮だった。東宝マークはそのまま、漢字なのに下の文字だけ英語だから、なんか中華系の映画会社のロゴに見えるよね。東宝のロゴの何社か後にテンセントのロゴも出たけれど、それがまさに漢字と英語が混じったものだったから、尚更、中華感はしたかな。

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