自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

夏の夜空と秋の夕日と冬の朝と春の風

これは、オムニバス映画というよりかは、短編の4本立てと呼んだ方がいい内容かな。1篇ごとに独立したエンド・クレジットが出るし、エピソード間を繋ぐ映像とか、冒頭やラストにクロスオーバーするシーンがあるわけでもないし。

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とりあえず、夏篇のなーたんが異常に可愛いかった。秋篇の松田るかと冬篇の飯豊まりえも可愛いかった。それから、何故、春夏秋冬の順ではなく、夏の夜空から始まるのかも納得した。まぁ、イベントとかの発表時期に合わせて、春を終わりにしたかっただけなのかもしれないが…。

一番感動する話は、市原隼人主演の春篇だった。しかし、小学校教師の話なのに、その教師が自分の教え子を「生徒」と呼んでいたのは、残念極まりなかった。「児童」と呼ぶのが堅苦しいと思うのであれば、「子ども」とか「教え子」でいいのに。多分知らないんだろうな、小学生は「生徒」ではなく「児童」だということを。こういうところが、日本の映画やドラマにリアリティがない理由なんだよな…。というか、日本の映画やドラマの関係者は仕事以外のことを知らなさすぎる。ブラック労働で仕事以外の知識を吸収する時間も金もないのかもしれないが、それではダメだよ!

それにしても、自分は23区以外に住んだことがないから、こういう町おこし映画や、キラキラ映画、ミニシアター系邦画などで舞台になる地方都市や郊外の感覚ってのが、時代劇とかファンタジーの領域なんだよな…。

特に自分は下町文化の影響が大きいから、幼なじみって感覚がファンタジーに感じるんだよな…。何しろ、23区、特に下町地区で公立学校通いだったら、同級生どころか、同学年、それどころか、全校児童・生徒の自宅まで歩いていけるからね。つまり、全校児童・生徒が幼なじみなんだよね…。

この「オムニバス映画」でも、夏篇は幼なじみの恋心が描かれていたからね…。そういう感覚が自分にはないからね…。

※追記

邦画には珍しくエキストラの個人名がずらりとクレジットされていたが、それって、出資者の身内か?

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