自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

なつぞら

きちんと、スピンオフや続編まで含めて全話見た朝ドラなんて「ひよっこ」くらいだし、スピンオフや続編が現時点でない作品で全話見たのも、「半分、青い。」や「まんぷく」があるだけ。とりあえず、レギュラー放送は全話見たというのを含めても「あさが来た」、「べっぴんさん」、「わろてんか」という近作がある程度。なので、朝ドラについて偉そうなことを評論できる立場ではないかもしれないが、あえて言わせてもらうと、朝ドラ100作目という看板を背負って気合いを入れて作ったとされる「なつぞら」はクソだった。

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著作権の都合上、今夏撮影した空の写真をアップします

 確かに泣けるエピソードはいくつもあったし、「半分、青い。」みたいな猛烈な怒りを感じることもなかった。でも、全体を通すと酷いとしか言えないかな…。

最終回もほとんど内容がなく、「主人公たちの戦いはまだまだ続く」みたいな打ち切られたジャンプ連載漫画みたいな終わり方だったし、なつ、あるいは演じた広瀬すずが次の朝ドラに登場するわけでもないのに、締めのナレーションが「なつよ、朝ドラよ、101作目に続けよ」ってのは、内輪ネタを通り越して意味不明。

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 それから、12年後になつとイッキューが「火垂るの墓」と思われる作品を作ると言っていたが、最終回は昭和50年夏の話なんだから、「火垂るの墓」は13年後でしょ!こういう細かいところに対する配慮をしないから、「アニメーター設定なんて必要ある?」って、酷評されるのでは?

 「半分、青い。」も確かに、団塊ジュニア世代を主人公グループにしておきながら、全然、団塊ジュニアの風俗が描かれておらず、団塊ジュニアからすれば、「おかしいだろ!」と腹立つことが多かった。ある事象が流行った時期とかが全然、違っていたりしたしね。しかも、それを指摘されても、脚本家は自分が正しいと言い張っていたので、この脚本家や、脚本家の主張をマンセーする人たちにも腹が立った。

でも、それは、脚本家が団塊ジュニアに興味がなく、自分が属するバブル世代の話を団塊ジュニアたちをメインキャラにして描いているから起きる不具合だったんだよな。
まぁ、その結果、バブル世代は絶賛し、団塊ジュニアは酷評するという世代間格差を生み、今までは水面下でひっそりしていた、ツイッターにおける「ハッシュタグ」問題を生み出す結果となってしまったが。

単なる朝ドラの作品名にハッシュタグをつけてつぶやいていいのは、作品や俳優、脚本家などに対して肯定的な意見のみ。酷評とかアンチ的な意見は別タグでという、アホはルールができてしまったんだよな…。本来、ハッシュタグは個人の自由なのに、自分たちと違う意見は見たくない。そういう意見を述べる奴らは非国民だみたいな風潮はまるで、ネトウヨやパヨクみたいだが。

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まぁ、かつては、朝ドラは夫や子どもの見送りを終えた主婦が、洗濯したり掃除したりしながら見る、というか聞くものというイメージが強かったが、今は、マンセー派もアンチ派も含めて、ネット上で喧々轟々するものになってしまったからな…。

で、話は「半青」に戻るが、団塊ジュニアの風俗の描写という面では非常に腹が立ったが、でも、脚本家自体がおそらく、団塊ジュニア世代を見下している部分もあるからなのだろうが、団塊ジュニアのこれまでの人生がうまくいかないことだらけ、不運だらけというのはよく描かれていた。

それから、脚本家という職業自体がクリエイティブ職であることから、主人公を含めた漫画家や映画監督といったクリエイティブ職の人間の苦難や挫折はよく描かれていたと思う。なので、この作品に対する批判の対象というのは、作品そのものよりも、脚本家にあるのかなというは気はする。
まぁ、放送当時は被害者に見えた主演の永野芽郁が、最近見たインタビュー映像では、ほとんど、スズメのような態度だったので、彼女は被害者ではなく、加害者だったのか?それとも、あの役をやったせいで、本人もああいう性格になったのか?というのは、ちょっと驚いたが。

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 というわけで、「なつぞら」は「半青」よりも酷いドラマだったというのが結論かな。本当、アニメーターの話である必要ないしね。そりゃ、世の中には大学や専門学校、普通科以外の高校などで学んだ分野と全く違う職に就く人間は多いし、社会人になってからも、全く異なる業界に転職する人間はいくらでもいる。
(人物名や設定は変えたとはいえ)実話ベースなんだから、ドラマや映画みたいに明らかな動機づけなんて人生にはないんだよと言われれば、その通りなんだけれどさ。はっきり言って、演出陣や脚本家は、そんなにアニメに興味ないよねってのが分かるよな。

 それから、主人公きょうだいが戦災孤児という設定も単なる飾りになっているように思える。また、比較対象にしてしまうが、「半青」は主人公たちが、コロコロと職を変えたり、生き方を変えたりせざるをえないのは、日本史上最も不運な世代と言ってもいい、団塊ジュニアの人生そのものだから、あの作品では団塊ジュニア設定は生かされていたとは思う。でも、「なつぞら」は就職とか縁談で差別されたという話を出すために利用している程度にしか見えないんだよね。

 だから、「なつぞら」は話をふくらますために、唐突に待機児童とかブラック労働という、21世紀の問題を昭和40年代の話に盛り込んでしまうんだろうな…。

これは、「半青」の時代考証のいい加減さよりも酷い気がする。過去の話に現在の世相の批評を入れること自体は間違いではない。というか、やるべきことなんだけれど、リアリティがないんだよね。最近の話だったら、アレでもいいが、昭和30年代や40年代だったら、ありえないって感じかな…。

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そのリアリティのなさを助長するのが、主人公たちの見た目がアラフォーに見えないって問題かな。朝ドラでは、若手俳優が、制服を着るような年頃から中高年までを演じるというケースが多く、中高年になると、カツラやメイク、衣装で無理やり老けて見させている。しかも、時間もないから、ハリウッド映画みたいな特殊メイクができるわけでもないので、ぶっちゃけ、コントに見えてしまうという問題が起きる。それはそれで、どうなのよ?とは思う。「まんぷく」の安藤サクラのように、最初から30代の女優が演じれば、中高年の演技もそんなに違和感がないけれどね。

そして、またまた、比較してしまうが、「半分、青い。」の主人公たちを演じる若手俳優たちは、ほとんど老けメイクをしなかったが、きちんとアラフォーに見えたんだよね。それは、現実世界における団塊ジュニア世代に年齢不詳な人が多く、年下に見えるのが多いからなんだよね。作品終盤の大震災の頃であれば、20代後半くらいに見られてしまう団塊ジュニアなんて、たくさんいたしね。

でも、「なつぞら」の主人公たちは、全然、昭和40年代のアラフォーには見えないんだよね…。令和の感覚で見ても20代だな。金がないのか、時間がないのか、若手俳優の所属事務所が老け演技をさせるなと言っているのかは知らないが、全然、なっていない。作品終盤は昭和50年の話だが、その頃、アラサーだった、うちの両親はもっと老けて見えていたぞ。白髪も多かったしね。

 ということで、朝ドラ100作目というので気負い過ぎて、アレもやりたい、コレもやりたいと盛り込んだ結果、何も描けなかったのが「なつぞら」だったという結論に達した。

 そういえば、スピッツの曲、今年は1〜3月は乃木坂主演深夜ドラマ「ザンビ」に「楓」が使われていて、4〜9月は、この朝ドラに新曲「優しいあの子」が使われていた。今年は久しぶりにスピッツを耳にする機会が多かったな…。

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