自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷

いくら、Vシネの先行上映とはいえ(アニメでいうところのイベント上映)、ゼロワンというのはそれなりに人気のあるシリーズだと思っていたので、上映館をチェックした際に、やけに上映館数や上映回数が少ないなと感じていた。

 

そんな疑問を抱きながら、ふと魔がさして、劇場への移動中にSNSで“ゼロワン”と検索してしまったが、“駄作”という言葉がサジェストされたので、もしかすると、上映館数、上映回数が少ないのは作品の出来に自信がない=ヒットすると思っていないからなのではないかと思ってしまった。

 

そして、いざ鑑賞となったが、確かに酷評する人がいそうなのも納得といった感じの出来だった。まず話がつまらない。そして、画がショぼい。Vシネがテレビシリーズや劇場版よりもショぼいというのはいまだに変わらないんだなと思った。そして、上映時間が1時間にも満たないのに、1600円もの入場料を取るのはぼったくりに近いと思った。この出来と上映時間なら高くても1300円までだね。というか、これ1作で完結しない内容なんだから、1300円でもぼったくりだな。

 

館内には女性観客が多かったが、もしかするとゼロワンというのは腐女子人気の高いコンテンツなのかな?こういうことを言うと、今では女性差別になってしまうのかも知れないが、腐女子に媚びた作品というのは、イケメンキャラがカッコよく見えるシーンや台詞があればOK。それだけで彼女たちは喜ぶから、ストーリーがおざなりになる傾向が強い。だから、かつて、こうした腐女子向け作品は、ヤマなし・オチなし・イミなしで“ヤオイ系”と呼ばれていたわけだしね。

 

本作で一番意味不明だと思ったのは、“(量産型兵士は)自分の弟や妹のようなものだから、父親として彼等を守らなくてはいけない”みたいな台詞があったことだな。弟や妹を守るのは、兄だろ!

 

ただ、社会性とか政治的メッセージは感じることができた。外国からの圧力で兵器を買うはめになる日本政府というのは、安倍政権時代にトランプ前米政権から兵器を押し付けられていたことを想起せずにはいられないしね。もっとも、本作の日本政府は自民党の連中とは違って、裏で策略を巡らすほどの頭を持っていたが。まぁ、仮面ライダーというシリーズは元々、反権力的なものだったから、こういう展開はおかしくも何ともないんだけれどね。

 

とりあえず、世の中には必要アーク(悪)というものは必要なのだろうかということを考えさせてくれる作品だった。つまり、前半はクソつまらなかったが、後半はそうでもなかったということかな。

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オリンピッグ問題と報ステ炎上に見る差別意識

一連の森発言を擁護できるのはネトウヨ思想の人間だけだと思う。

 

また、五輪セレモニー演出担当者が渡辺直美をブタとして出演させる上に大会名をブタ扱いする(まぁ、ブタを下卑な存在として見下すこと自体だめなんだけれどね)という“オリンピッグ”演出案を出したことは明らかに、ポリコレに配慮すべきか否かの議論以前の社会人の一般常識としてあってはならないアイデアだと思う。

 

そもそも、この演出家の代表作である「白戸家」と「宇宙人ジョーンズ」の両CMシリーズを見れば、この演出家が元々、差別主義者か、そうでなければ、何が差別かを全く分かっていない無知な輩だというのは明白だ。

 

白戸家」シリーズでいえば、血が繋がっているはずの日本人の家族の中に、何故か黒人が混ざっている、さらに犬も混ざっている。それで笑いを取るというのは明らかな人種差別だ。

「宇宙人ジョーンズ」シリーズでいえば、宇宙人を外国人の姿にしていることそのものが人種差別だ。

だから、この演出家の“オリンピッグ”発言が問題になった瞬間、“まぁ、そういうこと言いそうだよね”とは思った。

 

でも、今回のテレビ朝日報道ステーション」のWEB番宣はそこまで差別的だと目くじら立てるものではないと思う。というか、リベラルやパヨクと呼ばれる人たちも、ネトウヨと呼ばれる人たちも読解力がないだけではないかとしか思えない。

 

おそらく、リベラルやパヨクは、ネットニュースやSNSなどで切り取られたフリーズ画面や文字起こしされた記事に表示されている「どっかの政治家がジェンダー平等って言っているのは時代遅れ」という部分のみに噛み付いているのだと思う。

こうした問題を取り上げる政治家には野党議員が多いから、この切り取られた部分だけを見て、“野党批判”と思い込んでいるのではないだろうか。

 

また、ネトウヨと呼ばれる人たちはジェンダー平等なんてものは必要ないと考えている属性だから、そういうテーマが取り上げられること自体、日本の伝統を破壊しようとする勢力の反日活動だと思い込んでいる節がある。というか、ネトウヨテレビ朝日というだけで、反日・在日と連呼したがる勢力だしね。だから、テレ朝が訴えるジェンダー問題というだけで中身もロクに見ずに噛み付いているんだと思う。

 

でも、普通に流し見程度で見ていても、このCMで言いたいことは、理解できると思うんだけれどね。

“まだまだ海外から比べたらなっていない点は多いけれど、国内にだって、ジェンダー意識の進んでいる企業はあるんだよ。与野党問わず政治家が主張しているジェンダー平等だが、そんなことを今更、あたかも自分が発起人みたいな形で言ってんじゃないよ。もっと踏み込んだ議論をしろよ!”って意味合いが込められているのは、少なくとも義務教育レベルの国語や社会の教育を受けた人間なら分かるはずなんだけれどね。

 

結局、まとめ記事みたいなものでしかニュースをチェックしない、(紙・電子問わず)新聞や雑誌を読まない。アカデミー作品賞にノミネートされるような海外の社会性の高い映画を見ない。だから、知識は増えないし、読解力もないんだよ。

 

そもそも、ネトウヨにしろ、パヨクにしろ、リベラルにしろ、自分たちの信条とされるものから1ミリでもずれている主張をした人間を批判するのは読解力のない証拠だよね。

 

自民党を批判していても、改憲に理解を示すとパヨクやリベラルからはネトウヨと呼ばれてしまう。

 

枝野や山本太郎を批判していても、菅も批判しているとネトウヨにはパヨクと呼ばれてしまう。

 

結局、読解力がないのは、無知からくるんだろうね。

 

環境保護という名目のものなら、弊害が多いレジ袋有料化でも賛成するリベラルやパヨク。

 

環境保護は従来の右の思想からは外れている政策なのに、自民党がやっていることだからと、無意味なレジ袋有料化を黙認しているネトウヨ

 

結局、自分がないんだよ。そして、自分がないのは無知だからなんだよ。無知の知にすらなっていない。知らないことを知ろうともしないし、間違っていることを直そうともしない。そりゃ、読解力なんてないよねって思う。

 

だから、化粧品の話なんかをしている可愛いらしい女性が突然、政治家を批判したり、ジェンダー問題を語ったりするのが理解できないんだろうね。でも、一般の会話ってそういうもんでしょ。結局、ネトウヨもパヨクもリベラルも世の中を知らなさすぎるんだよ!ボンボンや嬢ちゃんが多いんだろうね。

 

まぁ、若い女性をこいつ呼ばわりしていることについては批判されても仕方ないかなとは思うかな。

 

というか、このCMで一番の問題はジェンダー意識の有無ではなく、あからさまなパクリをやっていることでしょ!

ジェンダー意識の欠如という観点や、批判する人の読解力のなさを指摘する意見はあるけれど、このパクリの部分を指摘する声は少ないよね。

 

おそらく、報ステの裏番組にテレ東が「WBS」をあててくることに危機感を持ったテレ朝が、WBSの視聴者層を取り込もうと、日経新聞永野芽郁が出ている野村証券のCMあたりのテイストを取り入れようとしたんだろうと思う。

でも、パロディとか、アンチテーゼ的なものになっているならまだしも、ほぼほぼ同じ演出だからね。こんなのダメでしょ!それだけ、テレ朝はWBSが裏番組になることに焦っているってことだよね。ワイドショー化しているテレ朝のニュースに嫌気がさしていた視聴者はストレートに経済や政治、国際情勢のニュースを伝えてくれるWBSを見るしね。

 

まぁ、このCM騒動で報ステの客離れはさらに進むのでは?自業自得かな。

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トムとジェリー

トムとジェリー」を映画館で見るのは米国から2年遅れで1995年に日本公開された「トムとジェリーの大冒険」以来だ。吹替版のみの公開で主題歌は小林幸子の歌に差し替えられていたんだよな…。しかも、声優としても幸子が参加していた。

吹替版で映画を見るのが嫌いな自分がこの作品を見たのは、当時、気になっていた女子(職場の後輩)と出かけたいからという理由だった。というか、見る作品は何でも良かったんだよね。多分、キャラクターものだし、その時、映画館でやっていた作品の中で一番女子受けしやすいのはこれだろうって感じで選んだのだと思う。

でも、最初は彼女は自分と一緒に映画館に行くのは嫌がったんだよね。理由は多分、自分に下心(=付き合いたい等々)があるってのを察知していて、自分とはそういう関係になりたくないって思っていたってことなんだろうね。

 

“映画を見に行こう”と誘った時、彼女は“試写会なら一緒に行くけれど、映画館は行かない”と答えたんだよね。

多分、これって、風俗嬢の中に“お小遣いをくれれば本番はやらせてあげる。でも、キスはしないで”っていうポリシーを持った娘がいるのと同じだと思う。

プリティ・ウーマン」のヒロインは、作中では曖昧な描写になっているけれど、どう見ても、彼女の職業は売春婦だと思う。その彼女も劇中で似たようなことを言っていたしね。

一般的な感覚からすれば、キスよりセックスの方が本気度が高い、ハードルが高い行為に思えるけれど、そういうポリシーの女性たちからすれば、セックスは所詮、スポーツのようなものだから愛がなくてもできるが、キスはメンタルな行為なので、恋愛関係ではない人とはできないってことなんだろうね。

 

それと同じで、試写会は別に鑑賞料金を相手の男に出してもらったりすることも、割り勘で自分が払ったりするということもない。第三者である試写会の主催者が招待してくれるものだ。でも、映画館で見る場合は、そうではない。男に鑑賞料金を奢ってもらったら完全に相手に貸しを作ってしまうことになる。それが嫌なんだろうね。

 

彼女とは買い物とか飲食には2人だけで行ったこともあったので、映画館がダメというのは納得いかないなと思ったりもしたけれど、コレも“セックスはいいけれど、キスはダメ”と同じ理屈なんだろうね。ショッピングセンターや飲食店は他の客や店員も目の届く範囲にいるパプリックな場だけれど、映画館は暗闇になってしまえば、パプリックな要素は消えてしまうからね。試写会なら一般向けならイベントの一環だし、マスコミ向けなら仕事場のようなものだし、いずれにせよ主催者の管理下にあるから、そんなに暗闇感はないけれど、プライベートでの映画館での鑑賞ではそうではないからね。つまり、どうやってもデートになってしまう。それを避けたかったってことなのかな。

 

よく思い出してみると、買い物とか飲食に2人だけで行った際も、彼女は少額でも払おうとすることが多かったから、恋愛関係になりたくない人には極力、貸しを作らない主義なんだろうね。

 

結局、この日は9月1日だったので、“映画ファン感謝デーだから、安く見られる”とか言って、何とか映画館に行かせることには成功したんだけれどね。でも、この“映画館デート”をしたあたりから、彼女とそれまでちょくちょく行っていた買い物や飲食も減ってしまうようになったんだよな…。やっぱり、彼女としては試写会に行ったり、買い物に行ったり、飲食したりは仕事の流れでできても、映画館に行くことはプライベートな行為という思いが強く、接触を避けるようになったんだろうね。

 

ということで、話を本題に戻すが、その吹替版で見た「トムとジェリーの大冒険」以降に製作された「トムとジェリー」関連作品は一切見ていないので、実に四半世紀以上ぶりの「トムとジェリー」体験となった。

そして、ハリウッド・メジャーの実写の拡大系作品を見るのは今年初めてだ。まぁ、本作が実写映画かどうかは議論の余地があるとは思うが。

 

とりあえず、誰が見ても「トムとジェリー」と思えるベタな作品だった。多様性とかは多少、アップトゥデートされてはいるけれど、現在の基準で見るとちょっと緩いかなって気はする。でも、完全ポリコレ仕様にしてしまうと、「トムとジェリー」らしさがなくなってしまうから、この程度でいいのかなとは思うかな。やっぱり、バイオレントな部分も含めての「トムとジェリー」だからね。

まぁ、アジア人キャラだから名前がジャッキーっていうのも安直すぎるとは思うけれどね。でも、このジャッキーを演じているケン・チョンって、こういうブチ切れ演技やらせらた天下一品だよね!

とりあえず、メインキャラだろうとなんだろうと、多かれ少なかれ悪事を働いた人間には罰を与えるし、その一方で救いも与える。そして、被害者も救済するというのは現代的かなという気もする。

 

何となく90年代っぽいテイストになっているのは、そういうポリコレ対策なのかな?実写とアニメの融合という映画の作り自体も90年代のワーナー映画「スペース・ジャム」を想起させるし、ア・ドライブ・コールド・クエストなど90年代音楽の使用も多いしね。はっきりと2020年代のテイストで作ると、ポリコレ的にはアウトだから、90年代っぽい雰囲気にしたんだろうねとは思った。

 

それから、90年代音楽ではないが、エンディング曲担当がアンダーソン・パークというのは、作品の舞台がセントラル・パーク周辺となっていることをかけたダジャレ的なものなのかな?

 

あと、色んなパロディも入っていたが、ジェリーが猫でないトムのようにミッション・インポなことをするシーンには笑ってしまった。

 

今回、自分は字幕版で見たけれど、木村昴が吹替版でやっている役って、犬のスパイクじゃなかったのか。スパイクはいかにもジャイアンな性格だし、原語の話し方もジャイアンっぽい口調だったから、てっきり、木村昴が吹替版で担当しているのはスパイクかと思った。

 

それにしても、クロエは可愛いな!

 

ところで、本作の予告編などのナレーションで、「トムとジェリー」を「トムジェリ」と略しているけれど、アレって略す意味あんのかなって思う。

ファンの中には昔からそういう呼び方をしていたって主張する人がいるけれど、「と」と「ー」しか省略していないからね。「トム」なんか一文字も省略されていない。

それに、「ー」なんて、ほとんど文字ではないから、実質カットしたのは「と」だけ。

小さいァィゥェォは実質、前の文字と合わせて一文字扱いとすると、「トムジェリ」は読みで4文字扱いになる。最近は、何でもかんでも読みの4文字で略称を作り、その呼称で呼ばせて、流行っている感を出すのが多いが、その流れなのかな?

 

でも、「花束みたいな恋をした」を「はなこい」と呼ぶのはいいんだけれど、その文字表記がタイトル表記に準じた「花恋」ではなく「はな恋」なのは納得いかないよな…。まぁ、漢字2文字だと音読みされてしまう可能性も高いからなんだろうけれど。

それから、「冴えない彼女の育てかた」は「彼女」と書いて「ヒロイン」と読ませるのに、略称は「冴えヒロ」でなく「彼女」を「カノジョ」と読ませた「冴えカノ」になっているのも納得いかないな…。

どうでもいいんだけれどね。

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少女文學演劇「雨の塔」三島・都岡Ver.

去年はコロナの影響でライブ・エンターテインメントを見る機会が2月の終わりくらいから秋になるまでなかった。去年初めて舞台鑑賞をしたのは10月だった(年間観劇本数は2本)。コロナ前のおととしは、先の読めないシフトの仕事をしていたので、11月になるまで舞台を見ることはできなかった(それでも年間観劇本数は3本になった)。

 

なのに、今年は3月にしてはやくも今年最初の観劇をすることができた。しかも、既に来月には2本を見る予定となっている。コロナ禍で来場を避ける人が多くチケットが取りやすくなっているのだろうか?それとも、少なくとも土曜日は99%休めるという先の読めるシフトになったおかげだろうか?

 

そんな今年最初の観劇作品に選ばれたのはさゆりんご主演の舞台「雨の塔」だ。

 

コロナ前から坂道シリーズ関連の現場では女性ファンの当選が優遇されているとウワサされていた。男でも10代、20代が優遇されている。あるいは、30代以上の男でもカップルとか家族連れで来場する人は優遇されている。そんな風に思われていた。おそらく、ライブやイベントの映像作品やワイドショーなどで流れるニュース映像で、女性に人気、若者に人気というのをアピールしたいから、むさ苦しい30代以上の男を排除していたのだと思う。モバイル会員になっていても、全然、チケットを取れないことには、本当、腹が立っていた。

 

だから、2019年はTOKYO IDOL FESTIVALで日向坂46のステージを見た以外は、坂道関係の現場に足を運ぶチャンスは一切なかった。

 

2020年はコロナ禍になり、坂道関連のライブはほとんどが無観客配信になってしまったのでリアルで見たものは全くなかった。

 

なので、ライブやイベントではなく、さゆりんごが出ている舞台の鑑賞という形ではあるものの、乃木坂46メンバーをリアルなステージで見ることができたのは超久しぶりとなった。2018年の夏に秩父宮ラグビー場でバスラを見て以来の乃木坂現場となる。

 

ところで今回、前日にたまたま公演の公式ホームページを見たら、来場者は事前登録するようにと書かれていることに気づいたが、来場者は必ずしも公演の公式ホームページを見るとは限らないのだから、こんな呼びかけは意味ないと思うな。

あと、感染症対策を本気でしているなら、ちょっとの体調不良でも来場を取りやめられるように、来場をキャンセルした人には手数料も含めた全額を払い戻すべきだし、運営側から取られた手数料を含めたチケット代に配送料を上乗せまでという上限付きで転売も認めるべきだと思う。

 

自転車操業だから払い戻しはしたくないし、自分たちの利益にならないから転売もさせたくないという自分たちの都合を押し付けるだけでは感染症対策はできないよ。本当、日本の芸能界は自分勝手だと思うな。欧米のエンタメ界のコロナ対策を少しは見倣えよって言いたい。

 

というか、アルコール消毒を促すだけで検温もしなかったし、使えないアプリのCOCOAをダウンロードしているか確認させろという形だけの対策しているフリもしていなかった。完全に日本の演劇界はコロナは風邪モードに入っているな…。

 

新国立劇場の小劇場に来たのって久しぶりだ。そして、前回同様、今回もバルコニー席だった。普通の劇場だとバルコニー席って、見にくいんだけれど、ここはセンターステージ形式で上演することが多いから、バルコニー席の真ん中あたりだと、ほぼ斜め上から演者を見ることができて、なかなか良席なんだよね。そういえば、前回もバルコニー席の真ん中あたりだったな。

 

というわけで本題に入るが、何気に乃木坂メンバーの中で一番の演技派はさゆりんごだと思うんだよね。ミュージカル的な分野に限定すると、いくちゃんがトップだとは思うが、ストレート・プレイや映画、ドラマ、アニメまで含めてトータルで見た場合だと、さゆりんごかなと思う。

 

アニメ「クリオネの灯り」の主人公役は棒演技と批判されたけれど、同じ声優仕事でも、「SNSポリス」は一聴すると棒のようでいて、実はそうではないということが分かったので、「クリオネ」の演技はわざとなんだなと思う。というか、ハニワ映画での声優仕事は良かったしね。

 

勿論、実写ではナチュラルな演技派ぶりを見せている。乃木坂メンバーが複数出演した「あさひなぐ」でも他のメンバーより演技がうまかったし、単独主演作「東京ワイン会ピープル」はナチュラル演技派の真骨頂って感じだった。

それから、「賭ケグルイ」シリーズの2面性のある演技は良かったし、「乃木坂シネマズ」の一編であるぶっ飛んだ設定のエピソードをナチュラルにこなせたのもさゆりんごだからだと思う。

 

舞台では過去に「すべての犬は天国へ行く」と「FILL-IN」を見ているが、舞台でも彼女は巧者と呼べる演技を披露していた。

ぶっちゃけ、自分が見た演技仕事で“うーん”って思ったのは、「クリオネ」だけだった。なので今回も期待値は高かった。

 

実際に観劇した印象としては、やはり、さゆりんごは、「賭ケグルイ」の時もそうだったが、2面性のあるキャラクターを演じるのがうまいよね。

ぶりっ子な部分と闇を抱えた部分の演じわけが見事。今月まで毎月配信されていたカップスターの「乃木坂毎月劇場」で、“みんな仲良くしようよ!”って仲裁しているように見せかけて、実は影でしめているのがさゆりんごの実態だと明かされていたけれど、こういう演技を見せられると、本当にそうなのかもねって思う。

 

ダークな青春ものってストーリー自体も結構良かったと思う。深夜アニメとか深夜ドラマで1クールじっくり付き合ったらハマりそうな内容だしね。病んだ百合展開とか好きな人多いしね。まぁ、所々、差別的な描写も感じたのはどうかと思うが、許容範囲かな…。

 

ただ、さゆりんごに限らず、演者全員に感じたことなんだけれど、何か早口に聞こえて、台詞がよく聞き取りにくい箇所が結構あったと思う。

終演後、整列退場の呼び出しを待っている間に時計を見たら、開演から1時間半も経っていなかったから、実際、マキで進行していた可能性はあるような気もする。

おそらく、マウスシールドを装着しての演技だから、呼吸が難しく、自然と台詞回しが早口になってしまったのではないだろうか?そして、早口になった影響で、噛むことも増えたのではないかと思う。本当、プロの舞台としては恥ずかしいレベルで噛む回数多かったしね。

 

勿論、ベテラン俳優でも噛むけれどさ、上演時間が1時間半にも到達しない舞台で全キャストの台詞回しが何度もおかしくなるってのは異常だよ。しかも、噛んでいない箇所の演技はしっかりしているんだから、これはマウスシールドの悪影響だと言わざるを得ないかな。

そこまでして焦って舞台をやる意味ってなんなんだろうか?欧米のようにきちんと段階を踏めないのは何故なんだろうか?って言いたくなるが、結局、自転車操業で金がないからなんだろうね。

 

追記

出演者の退場時にさゆりんごに声かけしたオタ、いい加減にしろ!コロナ禍だということを何も理解していないだろ、お前ら!あと、グッズを持って舞台を見に来るのは演劇をバカにしていると思われても仕方ないぞ!

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映画 ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!(ネタバレ含む)

きのう、自分がよく行くシネコンの上映時間や混雑具合をチェックしていたら、多くの劇場でプリキュア新作映画のチケットが売り切れ間近となっていた。正直言って驚いた。もしかすると、今週末に限っていえば、「エヴァ」よりも人気があるのではと言いたくなる勢いだった。

 

おそらく、その背景にはこれまでのプリキュア映画では子どもの来場者にしか配っていなかった来場者特典を大きなお友達にも配布すると発表したことが影響しているのではないかと思った。

どうせ、特典がもらえないのなら、子どもや家族連れに冷たい目で見られる土日祝日や、子ども・家族連れの多い時間帯に見る必要はない。それなら、大きなお友達しかいない曜日や時間帯にゆっくり見ればいいと思うが、特典をくれるとなれば品切れになる前にもらいたい。勿論、初日のはやい時間帯の回に行こうってなるのは当然のことだしね。

 

そして、今回、大きなお友達にも特典を配布することにした背景にはコロナがあるのは間違いないと思う。コロナ禍になって、興行的に苦戦を強いられているのは、中高年向けの作品か、子ども・ファミリー層向けの作品だ。プリキュア映画は大きなお友達の観客が多いとはいえ、メインターゲットは子ども・ファミリー層だから、去年秋に公開された映画は従来の作品よりも大幅に興行成績を落とした。だから、大人の観客をグッズで釣って来場者を増やそうという考えになったのかな?

 

オタクはコロナだろうとなんだろうと、イベントが開催されていれば、見たい映画が上映されていれば、中高年だろうとやってくるしね。しかも、グッズ目当てで何度もリピートしてくれるのもいるしね。そういう懐事情が大きなお友達優遇策に転じた理由ではないだろうか。

 

それにしても、「ドラえもん」や「ポケモン」といった東宝作品は大人の来場者にも特典を配るのに、東映の「プリキュア」はくれないのはあくまでも子ども・ファミリー向け作品だとアピールしたいからなのかな?まぁ、最近の「ドラえもん」や「ポケモン」の大人が泣けるアピールはしつこいと思うけれどね。

 

そして、映画館にはプリキュア以外にも「シン・エヴァ」の上映があるということで多くのオタクが詰めかけていたが、本当、オタクって、シネコンとかイベント会場近くの駅とかオタク以外がいる現場でも、コミケ会場とかで作られるような独特の列の作り方をするよね。うまく口で説明できないけれど、本当、オタク現場の列ってフォームが一般の列と違うんだよね。軍隊的に訓練された列というのかな…。自分たちのルールを一般の現場に持ち込むからオタクは嫌われるんだよって思ったりもする…。

 

そして、入場したが、いったん渡された特典を回収されてしまった。なんなんだよ…。それから、中学生以下にしか渡さないって、弁明された。大人ももらえる特典の配布は2週目らしい…。勘違いして初日のチケットを取ったオタも多いのでは?いったん渡したのに回収するってことは、映画館側でも、特典配布のルールが徹底されていないってことかな?まさか、一瞬、中学生に見えたなんてことがあるわけないしね。

 

あと、今回鑑賞した映画館(TOHOシネマズ上野)側の対応はこれに限らず疑問なことも多かった。特典配布が全員ではないということで入場時間に時間がかかるのに、上映開始10分前を切っても入場開始にならないし、入場をスムーズにするためにチケット確認前に体温を測ったはずなのに、別のスタッフがチケット確認時にまた検温しているし。

 

それから、客にもロクなのがいなかった。混んでいるのに、隣の席にこっちがついただけで睨みつけてきたいかにもオタクな風貌の観客がいた。脚は広げているし、しょっちゅう、マスクを外して飲食しているし、首とかをずっと、ボリボリとかいているし、他の観客への配慮がないのはお前だろって言いたい。しかも、これだけ偉そうな態度をしていながら横目で視界に入っている限りだと、しょっちゅう、スクリーンから目をそらしているように見える…。画面から1秒たりとも目をそらさずに見届けるのが、オタクやマニアってものではないのか?

 

そんなどうでもいい話を長々としてしまったが、併映の短編を除くと、同じ東映作品の「シン・エヴァンゲリオン」の半分以下の尺しかない「映画 ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!」の方は、まぁ、想像通りのストーリー展開だったが、バトル・シーンもしっかりしていて感心した。結局、「プリキュア」シリーズってのは、魔法少女アニメと特撮の戦隊ものという東映が長年得意としてきたジャンルを融合させたものなんだなというのを実感する。

 

それから泣けた!ベタな展開だけれどね。朝ドラの「おちょやん」もそうだし、古くは「スター・ウォーズ」シリーズもそうだけれど、悪事に手を染めた親とその子どもが和解するストーリーって弱いんだよね…。

まぁ、自分の父親が家を出て別の女と再婚した経験があるから尚更、そういうストーリーに弱いってのはあるけれど。うちの父親は、死期が迫り、だいぶ体が弱ってきた時に、再婚相手の息子ではなく、自分を頼ってきたけれど、そういうのを思い出してしまって泣けてくるんだよね…。

 

というか、今回の作品のベースって「竹取物語」だよね。ディズニーが童話の「人魚姫」をハッピー・エンディングの「リトル・マーメイド」にしたように、これは、「竹取物語」をハッピー・エンディングにしたって感じかな?

 

ところで、本作にはバーチャル・リアリティ的なシステムの“ゆめアール”というのが登場するが、最初はイベント会場限定で楽しむものみたいに扱われていたのに、いつの間にか東京全体で機能するシステムみたいになっているのは謎だったな。

 

それから、東京ガールズコレクションとか、国立競技場とかが実名で出てくるのは、日本のアニメにしては珍しいと思ったが、タイアップかな?

あと、東京スカイツリーもちょくちょく映っているが、最近、色んな作品にスカイツリーが登場するようになったのは、東武が昔ほど守銭奴ではなくなったってことなのかな?

東武スカイツリーを商業作品とされるものに使用しただけで莫大な使用料を要求するから誰も使わなくなり、その結果、みんな、東京タワーばかりを描写するようになったから焦って方針を変えたのかな?

 

併映の短編「映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア プチ とびこめ!コラボ♡ダンスパーティ!」は「プリキュア」の新シリーズのプロモーション・ビデオみたいなものだから、特に言及するも何もないとは思うが、意外と映像はしっかりしていたと思う。

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第44回日本アカデミー賞

これまでの国内賞レースの流れでいけば、「罪の声」か「ミッドナイトスワン」が最優秀作品賞受賞に近い作品だが、日本アカデミーは邦画大手のお祭りだから「罪の声」が有力かなと思っていた。

あるいは、民主党政権を笑うネトウヨ的視線の強い映画「Fukushima 50」が政権ヨイショにもつながるから、もしかしたら、これまでの賞レースの流れを無視したいかにも、日本アカデミーなセレクションではあるものの、先週、金曜ロードSHOW!で放送されたし、今年は東日本大震災から10年の節目の年だし、この作品は原発事故の映画のように見せかけて、実は国や都がやりたくて仕方ない五輪のプロパガンダだから、下手すると「罪の声」よりも有力かもと思ったりもした。なので、作品賞受賞の可能性は高いかもと感じていた。

 

でも、受賞したのは、最優秀作品賞候補の優秀賞受賞作品(こういう、映画会社や芸能事務所に気を使って全員一等賞みたいないかにも日本的なダサい制度、いい加減やめろ!)の中で一番、日本アカデミー向けでない「ミッドナイトスワン」だった。

 

去年の「新聞記者」に続いて、邦画大手3社ではない非メジャー作品が作品賞に選ばれている。しかも、2010年代後半(15〜19年度)には是枝裕和作品が3度も最優秀作品賞を受賞している。何かと、邦画大手3社の持ち回り=保守的と批判される日本アカデミーだけれど、こうした最近の傾向を見ると、かなり、リベラル寄りだよね。というか、左翼と言ってもいいかも。もしかすると、キネ旬ベスト・テンよりも左によっている気がするな。

 

とはいえ、「ミッドナイトスワン」はキネ旬などでは大絶賛とまではいっていない。この作品を絶賛しているのは元SMAPオタと、元SMAPが地上波に出る機会が少ないのはジャニーズとそれに忖度するマスゴミのせいだという批判をしたい勢力が中心だからね。

 

欧米的な価値観が全てのガチのリベラルやフェミは、米国の最近の流れのように、LGBTQがLGBTQを演じるべきだと思っているから、元SMAPが演じたことには否定的だ。それに、リベラルやフェミは本作の監督である内田英治が手がけた配信ドラマ「全裸監督」で倫理的には問題のある行為を連発し、現在はネトウヨでもある村西とおるを美化していることに反発している。だから、左寄りの選者が多いキネ旬などでの評価が低いのも当然なんだよね。

 

ところで余談だが、日本のリベラルとかフェミ、左翼、パヨクって海外では一般的な言い方であるLGBTQとは言わず、いまだにLGBTって言っているよね。つまり、彼等の意識ってその程度なんだろうね。政権批判につながるから何となく言っているだけで、本心は何とも思っていないってのがバレバレ。

 

話は賞に戻るが、アニメーション部門は予想通り「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」が受賞した。「君の名は。」を落として「この世界の片隅に」が受賞したケースもあるけれど、基本は作品の芸術的・技術的表現やメッセージ性よりかは東宝作品を中心にしたヒット作品を選んでいるだけって感じの部門だからね。「鬼滅」も含めて最優秀候補イコール優秀賞受賞の5本は今回全て、メジャー作品(東宝3、松竹2)だからね…。

本家のアカデミー賞で今回エントリー資格を得た日本作品のうち、配信先行の「泣きたい私は猫をかぶる」やテレビ放送先行の「アーヤと魔女」は日本アカデミーではエントリー資格がないし(「アーヤ」の劇場公開は今年になってからなので、そもそも対象外)、「きみと、波にのれたら」は日本アカデミーでは前年度の対象だけれど、その時は5本枠には入らなかった…。

同じく日本では前年度の対象だった「ルパン三世 THE  FIRST」は5本に入っているんだから、テレビアニメの劇場版のような知名度の高い作品が選ばれやすいんだろうね。

一方、米国ではエントリー資格を得ていた「音楽」は今回の日本アカデミーの対象だけれど、完全に無視された。まぁ、個人的にはセクハラ・パワハラ問題を起こした松江が絡んでいる作品は評価すべきではないと思うが…。

とりあえず、日本の映画人で、冷静にアニメーションの芸術性や技術、メッセージを評価できる人って少ないってことなんだろうね。

 

それにしても、コロナ禍になる前から実は鬼滅ブームって始まっていたけれど、その頃から思っていたが、本当、鬼滅信者って鬼滅以外のアニメ、コミック、アニソン、映画に興味を持たないんだよね…。過去にブームを起こしたアニメって、「エヴァ」にしろ、「ハルヒ」にしろ、「まどマギ」にしろ、一時期アニメから遠ざかっていた人を沼に引きずり戻したり、今までアニメから縁遠かった人をオタクの仲間にしたりしたけれど、鬼滅にはそういうのがないんだよね。

他作品に興味がないので鬼滅ばかり何度も見てしまい、その結果が興行記録更新になってしまった。趣味のない人が時間潰しでやる趣味と言われているパチンコをやる人ですら、パチンコ経由で「エヴァ」や「まどマギ」のファンになったりしたのに、実は鬼滅にはそこまでの影響力ってないんだよな…。だから、次の劇場版があるとすれば、それまで、興味を引っ張り続けられるのか心配だな。

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ミナリ

今回のアカデミー賞はコロナ禍で規定が色々と変更されているとはいえ、3月後半になってアカデミー作品賞にノミネートされた全8作品のうち、現時点で日本で劇場公開された作品が3本しかないとはね…。配信オンリーを含めると4本だけれど、個人的にはどうしても配信オンリー映画にはなかなか手を付ける時間がないので、現時点で鑑賞済みの作品は本作を含めた日本で劇場公開されている3本だけとなっている。

 

そして、実際に見た感想は、最近、米国でアジア系差別をなくせという動きがやっと出てきたが、見事にそれとリンクした作品だなと思った。そうした機運が本作の評価を高める要因になっているとは思う。

 

でも、個人的には駄作とはこれっぽっちも思わないが、大傑作とも全く思わないって感じかな。それから、本作の主人公であるらしい父親役のスティーヴン・ユァンがアカデミー主演男優賞にノミネートされているけれど、そこまで主役って感じはしなかったな…。妻や義母、息子、ちょっと狂った米国人の協力者なんてあたりの演技の方が印象に残ったかな。義母役ユン・ヨジョンの助演女優賞候補は納得かな。

 

あと、この主人公一家が勝手に近隣の清流から水を汲んできたり、その清流のそばでセリを栽培したりしているのを、いかにも良い話みたいに描いていることにも疑問を抱かざるを得なかった。自分はネトウヨは大嫌いだけれど、こういう描写を見ると、やっぱり韓国人って、そういう盗み癖がある人種なんだねって思われても仕方ないよねと感じてしまった。

 

全体としては、よくあるミニシアター系映画って感じだったな。繰り返しになるけれど、大絶賛するような作品ではないな。

ただ、毎年のように賞レースに絡む作品を世に送り出している日本の配給会社、ギャガの目利きの凄さには改めて感心するな。勿論、本作の本国・米国での配給であるA24や製作総指揮を務めているブラピのプロダクション、プランBも本当、賞レース絡みの作品をコンスタントに送り出していて見事だと思う。

 

ところで、本作が米国映画であるにもかかわらず、ゴールデン・グローブ賞では台詞の圧倒的多数が韓国語であるために、作品賞のノミネート資格を得られず、外国語映画賞の対象となったことについて差別的だという声が上がったが、実際に見た印象としては米国映画を見たというよりかは韓国映画を見たって感じの方が強かったかなと思う。

 

本作と同様に、米国で生活するアジア系を描いた作品といえば、アン・リー監督の初期の作品を思い出すが、ゴールデン・グローブ賞アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた「ウェディング・バンケット」にしろ、その前に発表された監督デビュー作の「推手」にしろ、台詞の多くは中国語でも米国映画って感じがした。特に「ウェディング・バンケット」なんて、英語の台詞も多いのに、何でこれが外国語映画賞候補なのって思ったくらいだ。

 

また、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞作品である「硫黄島からの手紙」は台詞のほとんどが日本語で舞台が日本とはいえ、メガホンを撮っているのが米国の象徴のようなクリント・イーストウッド監督ということもあってか、邦画を見ているような感覚はあまりなかった。でも、その時は外国語映画扱いするななんていう意見はあまり聞こえてこなかった。

同じ日本を舞台にしたワーナー映画でいえば、「ラスト サムライ」の方が邦画の色合いに近かったように感じる。それから、ワーナー映画ではないがスコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」も日本の時代劇に近いテイストだったと思う。

だから、別に今回、「ミナリ」が外国語映画賞の対象となったのは(最終的に受賞も果たした)のは差別でも何でもないんだけれどね。

 

まぁ、いかにもアメリカ人な御大が監督した「硫黄島からの手紙」とは異なり、本作はアジア系の監督作品だから差別されたと感じたのかも知れないが、ゴールデン・グローブ賞の歴史を知れば別に差別でもなんでもないんだよね。

 

韓国人はウソや間違いでも主張すれば、それが正論になると思い込んでいる節があるからね…。とはいえ、「硫黄島からの手紙」の頃と現在では社会情勢が異なるから、仕組みを変えていこうという意味で問題提起するのはありだとは思うが。

 

それにしても、この「ミナリ」は韓国映画っぽく見えるんだよね。韓国人以外のきちんとした役割を与えられたキャラクターって、頭のおかしい協力者と、息子と仲良くなる少年くらいしかいないしね。

 

そして、この主人公一家に好意的に接する米国人が2人とも白人であるというのが、最近、問題提起されているアジア系差別ともリンクされているというのを実感する。

アジア系を差別しているのって、白人より黒人の方が悪質なケースが多いんだよ。この問題が何かモヤモヤしているのは、そのことを隠しているからでは?

Black Lives Matter絡みの“事件”が起きると、“白人警官による過剰で暴力的な捜査で、疑いをかけられた黒人が亡くなった”と報道されるが、アジア系に対するヘイト行為に対しては、ヘイトを行った側の人種が明記されないんだよね。

それって、普段は差別を撤廃しろと訴えている黒人が差別行為を行っているからでは?それが明らかになると、黒人差別撤廃運動が続けられなくなり、黒人を優遇する措置が排除されてしまうからでは?

黒人のやることは批判してはいけない。黒人の主張は全て正しいってしなくてはいけない雰囲気が今の米国にはあるから、黒人のマイナス面は伝えられないってことでしょ。何が黒人の命は大事だよ?ふざけんなって感じかな。

結局、黒人は頭脳が優秀なアジア系が気に食わない。つまり、アジア系が活躍すると自分たちの出番がなくなるから嫌がらせをしているのでは?そうとしか思えないんだよね。

 

そして、本作の舞台はどうやらレーガン政権時代らしいが、それからかなりの年月が経っている=移民してきた世代の次の世代やその次の世代の時代になっているのに、アジア系に対する扱いは向上していないってのもよく分かるな。

 

それはさておき、本作でもそうだし、普通の韓国映画でもそうだけれど、よく、韓国人が会話の中で英語を混ぜるのが出てくるが、アレってなんなんだ?日本人が会話の中に英単語を混ぜるのとは完全に違うレベルの混ぜ方なんだよね。映画やドラマの世界だけではなく、一般人もああいうことをやっているのか?

そういえば、最近は中華圏の映画でも、そういう台詞を時々、耳にするな。もし、一般人の日常会話でもそうなのだとしたら、そりゃ、日本は世界から取り残されるのも当たり前だよねって感じだな。それだけ、韓国や中華圏では英語が日常的になっているってことだからね。排外主義が進む日本が後進国になってしまうのも当然って感じかな…。

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