自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

ミナリ

今回のアカデミー賞はコロナ禍で規定が色々と変更されているとはいえ、3月後半になってアカデミー作品賞にノミネートされた全8作品のうち、現時点で日本で劇場公開された作品が3本しかないとはね…。配信オンリーを含めると4本だけれど、個人的にはどうしても配信オンリー映画にはなかなか手を付ける時間がないので、現時点で鑑賞済みの作品は本作を含めた日本で劇場公開されている3本だけとなっている。

 

そして、実際に見た感想は、最近、米国でアジア系差別をなくせという動きがやっと出てきたが、見事にそれとリンクした作品だなと思った。そうした機運が本作の評価を高める要因になっているとは思う。

 

でも、個人的には駄作とはこれっぽっちも思わないが、大傑作とも全く思わないって感じかな。それから、本作の主人公であるらしい父親役のスティーヴン・ユァンがアカデミー主演男優賞にノミネートされているけれど、そこまで主役って感じはしなかったな…。妻や義母、息子、ちょっと狂った米国人の協力者なんてあたりの演技の方が印象に残ったかな。義母役ユン・ヨジョンの助演女優賞候補は納得かな。

 

あと、この主人公一家が勝手に近隣の清流から水を汲んできたり、その清流のそばでセリを栽培したりしているのを、いかにも良い話みたいに描いていることにも疑問を抱かざるを得なかった。自分はネトウヨは大嫌いだけれど、こういう描写を見ると、やっぱり韓国人って、そういう盗み癖がある人種なんだねって思われても仕方ないよねと感じてしまった。

 

全体としては、よくあるミニシアター系映画って感じだったな。繰り返しになるけれど、大絶賛するような作品ではないな。

ただ、毎年のように賞レースに絡む作品を世に送り出している日本の配給会社、ギャガの目利きの凄さには改めて感心するな。勿論、本作の本国・米国での配給であるA24や製作総指揮を務めているブラピのプロダクション、プランBも本当、賞レース絡みの作品をコンスタントに送り出していて見事だと思う。

 

ところで、本作が米国映画であるにもかかわらず、ゴールデン・グローブ賞では台詞の圧倒的多数が韓国語であるために、作品賞のノミネート資格を得られず、外国語映画賞の対象となったことについて差別的だという声が上がったが、実際に見た印象としては米国映画を見たというよりかは韓国映画を見たって感じの方が強かったかなと思う。

 

本作と同様に、米国で生活するアジア系を描いた作品といえば、アン・リー監督の初期の作品を思い出すが、ゴールデン・グローブ賞アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた「ウェディング・バンケット」にしろ、その前に発表された監督デビュー作の「推手」にしろ、台詞の多くは中国語でも米国映画って感じがした。特に「ウェディング・バンケット」なんて、英語の台詞も多いのに、何でこれが外国語映画賞候補なのって思ったくらいだ。

 

また、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞作品である「硫黄島からの手紙」は台詞のほとんどが日本語で舞台が日本とはいえ、メガホンを撮っているのが米国の象徴のようなクリント・イーストウッド監督ということもあってか、邦画を見ているような感覚はあまりなかった。でも、その時は外国語映画扱いするななんていう意見はあまり聞こえてこなかった。

同じ日本を舞台にしたワーナー映画でいえば、「ラスト サムライ」の方が邦画の色合いに近かったように感じる。それから、ワーナー映画ではないがスコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」も日本の時代劇に近いテイストだったと思う。

だから、別に今回、「ミナリ」が外国語映画賞の対象となったのは(最終的に受賞も果たした)のは差別でも何でもないんだけれどね。

 

まぁ、いかにもアメリカ人な御大が監督した「硫黄島からの手紙」とは異なり、本作はアジア系の監督作品だから差別されたと感じたのかも知れないが、ゴールデン・グローブ賞の歴史を知れば別に差別でもなんでもないんだよね。

 

韓国人はウソや間違いでも主張すれば、それが正論になると思い込んでいる節があるからね…。とはいえ、「硫黄島からの手紙」の頃と現在では社会情勢が異なるから、仕組みを変えていこうという意味で問題提起するのはありだとは思うが。

 

それにしても、この「ミナリ」は韓国映画っぽく見えるんだよね。韓国人以外のきちんとした役割を与えられたキャラクターって、頭のおかしい協力者と、息子と仲良くなる少年くらいしかいないしね。

 

そして、この主人公一家に好意的に接する米国人が2人とも白人であるというのが、最近、問題提起されているアジア系差別ともリンクされているというのを実感する。

アジア系を差別しているのって、白人より黒人の方が悪質なケースが多いんだよ。この問題が何かモヤモヤしているのは、そのことを隠しているからでは?

Black Lives Matter絡みの“事件”が起きると、“白人警官による過剰で暴力的な捜査で、疑いをかけられた黒人が亡くなった”と報道されるが、アジア系に対するヘイト行為に対しては、ヘイトを行った側の人種が明記されないんだよね。

それって、普段は差別を撤廃しろと訴えている黒人が差別行為を行っているからでは?それが明らかになると、黒人差別撤廃運動が続けられなくなり、黒人を優遇する措置が排除されてしまうからでは?

黒人のやることは批判してはいけない。黒人の主張は全て正しいってしなくてはいけない雰囲気が今の米国にはあるから、黒人のマイナス面は伝えられないってことでしょ。何が黒人の命は大事だよ?ふざけんなって感じかな。

結局、黒人は頭脳が優秀なアジア系が気に食わない。つまり、アジア系が活躍すると自分たちの出番がなくなるから嫌がらせをしているのでは?そうとしか思えないんだよね。

 

そして、本作の舞台はどうやらレーガン政権時代らしいが、それからかなりの年月が経っている=移民してきた世代の次の世代やその次の世代の時代になっているのに、アジア系に対する扱いは向上していないってのもよく分かるな。

 

それはさておき、本作でもそうだし、普通の韓国映画でもそうだけれど、よく、韓国人が会話の中で英語を混ぜるのが出てくるが、アレってなんなんだ?日本人が会話の中に英単語を混ぜるのとは完全に違うレベルの混ぜ方なんだよね。映画やドラマの世界だけではなく、一般人もああいうことをやっているのか?

そういえば、最近は中華圏の映画でも、そういう台詞を時々、耳にするな。もし、一般人の日常会話でもそうなのだとしたら、そりゃ、日本は世界から取り残されるのも当たり前だよねって感じだな。それだけ、韓国や中華圏では英語が日常的になっているってことだからね。排外主義が進む日本が後進国になってしまうのも当然って感じかな…。

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