自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

D4DJ First Mix #02

先日、地上波で「D4DJ」を放送しているMXでもBSで放送している日テレでもなく、何故かTBSでやっていた「D4DJ」と「CDTV」のコラボ番組で関連ユニットのパフォーマンス部分を見た時にも感じていたが、音楽マニア的な視点からだと批判的なコメントしかできないんだよね。DJ要素がほとんどない。単なるアイドル系アニソンなんだよね。
音自体も世界的レベルでいえば、90年代前半で止まっている。
まぁ、懐かしの邦楽カバーをやっているから、そういう音なのかもしれないが。あと、メンバーのほとんどがボーカリストという構成なのに歌唱力が微妙なのも絶望的。

 

ブシロードの音楽モノでいえば、バンドや歌劇ではそれなりに音楽的にも良かった部分もあったとは思うが、DJでは無理があるよね。バンドや歌劇なら声優アイドルが演技の一環としてパフォーマンスすることはできるが、DJはやっぱり無理がある。単なるフリにしか見えない。まぁ、多少はDJ経験のあるメンバーもいるらしいが、あまり、そういう人がいるというのを感じることができない。ただ、大人から言われたクラブ・ミュージック風の歌を歌っているだけだよね。バンドや歌劇なら自分で曲を作らなくても成立するが、やっぱり、DJは自分でその場に合わせてアレンジし、プレイする能力が必要なわけで、あれは単なるクラブ・ミュージック風カラオケだと思った。


「D4DJ」を見ていると、日本人ってDJをタンバリンとかカスタネットくらいにしか考えていない人が多いんじゃないかって気がしてくる…。
日本ではDJというのは、ファンモンの坊主やセカオワのピエロのようなマスコット的存在のことであり、ゲッタやカルヴィン・ハリスのようなアーティストではないということかな…。

 

そして、この「D4DJ」のアニメや実写版「とんかつDJ音楽アゲ太郎」を見ると、音楽マニアからすると、はてなマークだらけ、違和感だらけになる諸悪の根源が今回「D4DJ」の2話を見て分かった。
多分、日本の映画やアニメを作っている人にとって、DJのイメージって「気分上々↑↑」なんだな…。
洋楽好きからすれば、この曲はヒットしていた当時でも、「全然、クラブ・ミュージックじゃないだろ!」「ダサい」「単なるアイドル歌謡の一種だろ!」と思っていたあの曲でDJのイメージが止まっているんだな…。
そりゃ、ダサい音楽描写になるわけだ…。
ちなみに、「気分上々↑↑」のCDシングルは当時、買っているし、「D4DJ」関連のCDも何枚か持っているので楽曲自体は嫌いではないが、アレを堂々とクラブ・ミュージックとかDJとか言われると、やっぱり、洋楽好きとしてはカチンとくるところはあるかな。

 

それから、「D4DJ」のアニメも実写版の「とんかつDJアゲ太郎」もそうなんだけれど、レクチャーシーンでは、曲のつなぎがどうのって説明するんだけれど、肝心のステージのシーンでは単体でしか曲が流れないの意味不明だよね。結局、音楽を理解していない人たちが作っているんだよ。

 

ところで、今回の「D4DJ」2話に出てくるイベント告知のポスターに「well come」って書かれてあったが、おかしいだろ!アニメを作っている人たちって、その程度の教養もないのか?

それから、「D4DJ」に限ったことではないが、深夜アニメに多い食事シーンで声優が「ハムつ」とか言いながら食べるやつ、禁止にしてほしい!

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461個のおべんとう

自分が高校生の時を色々と思い出した。うちの母親は自分が料理が上手いと思い込んでいるフシがあるが、正直言って、他人に見せるものではないと感じていたので、弁当なんて作らなくてもいいよと思っていた。残り物を煮たり焼いたりしてごまかしたものがおかずになることも多かった上に自分はチャリ通だったから、カバンの中で汁もれしたり、においがこびりついたりすることも多かった。だから、弁当作りをフェイドアウトするように仕向けたんだよな…。

でも、自分の通っていた高校は都立高校なので、いわゆる学食もないし、購買でのパンの販売もわずかな量しか行われないので買い逃すことも多かった。そして、下校するまでは校外に出ることを原則禁止されていたので、近隣のコンビニやスーパーに行くこともできなかった。

なので、途中からは登校前にコンビニで買ったパンとかを食べたることが多くなったような気がする。

 

それはさておき、映画自体の出来は微妙だった。面白いけれど、“おべんとう”作りに生きがいを見出した父親を描きたいのか、両親の離婚に巻き込まれた高校生の葛藤を描きたいのか中途半端だと思った。親子の両方をジャニーズメンバーにするということで、両方を立てなくてはならないから、こういう中途半端な内容になったのではないかなという気もする。

 

ところで、本作では息子がさんざん、受験ノイローゼのような状態になり、かつてのドリカム状態のような関係の同級生2人に当たり散らしていたが、進路が決まらないうちに、“今日が最後の弁当だ”となっていて、思わず、“受験の話はどうした?”って言いそうになった。

確かに高校3年になると、2月以降は登校回数が減るけれど、その最後の弁当の前に息子がドリカム的仲良しグループの紅一点のみを誘ってライブに行っていたから、受験はどうでもよくなっていたのかな?まぁ、あまり、細かいことは考えていないんだろうなとは思った。

 

そういえば、この息子の携帯画面が映るシーンがあったが、そこに記されていた父親の名前が“父親”とか“お父さん”とかではなく、フルネームだったことに、ちょっと驚いた。それだけ、父親との距離感があるってことなんだろうな。自分なんか、母親にイラつくことがあっても、携帯には“母親”と登録しているからな…。

 

それにしても、森七菜って出る作品ごとに違う人物に見えるな。それだけ、演技力があるってことなんだろうが。今回のちょっとウザい女子も可愛いかった。本作の息子とは同級生だけれど、1歳年下の女子って設定だが、年下の娘に下の名前で呼び捨てにされるっていいよね。そして、今回も思った。森七菜って肉食系女子の役が合うよね。本作にしろ、朝ドラの「エール」にしろ、声優としてのヒロイン役での出演作「天気の子」にしろ。まぁ、全部、同じ人には見えないんだけれどね。

 

それから、野間口徹がまた、マネージャー役をやっていた!最近ではWOWOWドラマ「有村架純の撮休」でもやっていたが、彼のマネージャー的イメージって「AKB48SHOW」のコント「妄想少女」シリーズでSKE・大場みなるんのマネージャー役をやったおかげで定着したような気がするな。というか、本作で彼をマネージャー役でキャスティングした人の頭の中には、このイメージが絶対あったはず!

 

そして、ふと気付いた。本作って、ジャニーズメンバー主演映画としては画期的な作品なのではないかと。先述したように父親役(V6・イノッチ)と息子役(なにわ男子・道枝)が両方、ジャニーズの現役アイドルというのはレアなケースだよなと思った。というか、V6好きのオーバー30と、関西ジャニーズJr.をはじめとする若手のファンである彼らと世代の近いアンダー30。その両方をターゲットにする映画が作られるようになったってことに驚いた。

検察側の罪人」でキムタクとニノが共演したけれど、SMAPのコアなファン層と嵐のコアなファン層は親子2代ってほど離れてはいない。親子2代でSMAPや嵐のファンってのはいるだろうけれど、コアなファン層はSMAPが40代から50代半ば。嵐が30代から40代前半くらいだろうからね。

「エイトレンジャー」シリーズで関ジャニとヒガシが共演というのもあった。コアなファン層でいえば、親子2代くらいにはなっているだろうが、でも、あのシリーズはあくまで、関ジャニがメインの作品だった。なので、本作のように、ベテランと若手がW主演というのは珍しいケースだよなとは思った。

90年代前半までのジャニーズは、スクラップ&ビルドだったが、90年代後半以降は活動期間が長いグループも増え、それだけ、ジャニーズのファン層も拡大していったってことなのかな?

 

最後に一つ、どうでもいいことだが、冒頭の背景紹介シーンに流れる音楽、何かに似ているなと、ずっと考えていたが、TOTOの「パメラ」だよね、アレ?

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映画プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日

オタクが興味を示さない海外アート系アニメーション映画も、シネフィルが映画扱いしないイベント上映アニメも、年に数本しか映画を見ないくせに“過去最高の作品”などと鑑賞者がマンセーする「コナン」や「鬼滅」のような作品も(映画マニアとしては、その年の興行成績ランキングで首位争いをするような作品は無視するわけにはいかないから鑑賞している)、一般映画ファンや評論家が映画として認めているディズニー・ピクサー、イルミネーション、ジブリや新海、細田あたりの作品も、深夜アニメの劇場版などオタク向け作品も、もちろん、「クレしん」の劇場版も見る。

それだけ、色んなタイプのアニメ映画に手を出している自分だが、「プリキュア」映画を見たのは実は今回が初めて…。

テレビ版ですら、最初の2シリーズを仕事がない日や仮眠前などに、ながら見で何となく追っていただけ。3シリーズ目からは生活様式が変わり、日曜日の午前中には1週間分のたまった録画作品を見るようになったので見なくなってしまった。ここ数年は、そういう生活様式ではなくなりつつあるが、相変わらずプリキュアやライダーなどのニチアサ作品をリアルタイムで見るような生活には戻っていない。

 

そんな自分が「プリキュア」映画を見に行こうと決めた最大の理由は今回の「ミラクルリープ みんなとの不思議な1日」のストーリーが同じ日を繰り返す系のものだと知ったから。

そして、思った。やっぱり、同じ時間を繰り返す系の作品は何度も同じ時間を繰り返したことを説明するためにフラッシュ的に短くつないだシークエンスとか、アバン的なもの、エピローグなどを除けば、つまり、きちんとほぼ同じ展開を見せるのは3回程度でいいんだよね。

本作では、アバン的なシーンでそういう描写があったり、台詞で90回以上繰り返していることに言及されているが、主人公たちが同じ時間を繰り返すのは3回となっている。

①事件の発生

②同じ時間を繰り返していることに気付くが元の時間に戻ることには失敗する

③同じ時間から抜け出す方法を見つけて成功する

基本的にはこの展開でいいんだよね。

 

この手のストーリーのもので最も酷評された作品といえば、「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ内で8週にわたって、ほぼ同じ内容で放送されたエピソード「エンドレスエイト」だと思う。アレも3週にわたる放送で収めていれば絶賛されていたんだと思う。

タイトルの“エイト”にとらわれて、同じことを8週にわたってやったから批判されたんだよね。作中の人物たちは8回どころか1万回以上も同じ時間を繰り返しているんだから、別にほぼ同じものを8回も放送する必要はなかったんだよ。おそらく、8月の8を直訳して、“エイト”にしただけなんだろうしね(これはこれでおかしいけれどね、オーガストというきちんとした英単語があるんだから)。

ぶっちゃけ、3週目から7週目で放送された内容はフラッシュで良かったんだよ。あるいは、8回全て同じ物量で見せたいんだったら劇場版としてやれば良かったんだよ。まぁ、3時間近い作品になるとは思うが。

 

ところで、今回の「プリキュア」映画は時間がテーマということもあり、(作中での主人公たちが認識している)1周目の冒頭では、目覚ましが鳴って慌てて起きるとか、トーストを焼いていることを忘れるとか、友達との待ち合わせに遅れそうなのに色々とトラブルに巻き込まれるとか、時間にちなんだ伏線を色々と仕込んでいて良くできているなとは思った。

 

時間といえば、本作の上映時間って1時間10分とちょっとしかないんだよね。でも、2時間くらいの作品に感じた。まぁ、過去シリーズのファン向けの描写もあるので、「プリキュア」文化に対して思い入れがない自分には長く感じたのかもしれないが。

それにしても、上映時間1時間10分程度で通常の入場料金って高いよな…。昔だったら、東映まんがまつりのメインクラスの作品として1時間10分前後の作品が上映され、その同時上映として、短編や中編が数本付くというパターンだったしね。

ディズニー映画も今みたいに2時間近い作品が当たり前になる前は1時間10分台から20分台が主流で、その頃の作品は、旧作のリバイバル上映や短編が同時上映されていたからね。

 今時、1時間10分前後の作品といえば、ピンク映画かイベント上映のアニメ、レイトショー公開の邦画くらいだけれど、ピンク映画は旧作と合わせて3本立てというケースが多いし、イベント上映のアニメや尺の短いレイトショー邦画は通常より入場料金が安いからね。

まぁ、本シリーズは、そうしてボッタクったチケット代金から、子どもの入場者に配られるグッズ代を捻出しているのかもしれないから、まぁ、大きなお友達がああだこうだ言う資格はないのかもしれないが。

 

その子どもに配るグッズというのは、ペンライトみたいなもので、作中には、登場人物がそのライトをふるシーンが結構あったから、コロナ禍でなければ、子どもの観客に、このライトをふってもらいながら鑑賞してもらおうという作りだったんだろうなというのが、シリーズに詳しくない者でも容易に想像できる。それから、桜が重要な要素となっていることからも、本来の春公開に向けた作品だったいうことはよく分かる。あと、「ヒーリングっど」のメンバーが新プリキュア扱いになっているのも本来は、放送開始直後の公開予定だったからというのを感じずにはいられない。

 

ただ、本作の公開延期を巡る東映の対応は遅かったよね。東宝に比べると資金力は弱いから、できれば公開延期はしたくないという事情はあるのだろうが、1回目の延期にしろ、2回目にしろ、どう考えても、国や自治体の対応を見れば、子ども向けとされる映画を公開できる状況じゃないのは明らかだったのにね。まぁ、東映なんかは保守系老害オヤジの発想がいまだに根強い会社で、こういう人たちには“コロナは風邪”と思っているのが多いから仕方ないのかもしれないが。

 

老害といえば、本作のストーリーって、土曜日の学校や職場が半ドンだった昭和の時代からいまだに抜け出すことができない老害を、若者が改心させる話ってことでいいんだよね?

東映って会社自体は保守系のイメージだけれど作品は結構リベラルなんだよな…。

ただ、学校の半ドンがなくなって(最近では、土曜日登校が復活している学校がコロナに関係なくあるようだが)30年近く経っているのに、主人公の母親が半ドンを懐かしんでいたのに、ちょっと違和感があった。母親が40代には見えないしね…。でも、主人公の年齢を考えれば40代キャラなのかな?

 

ところで、現在放送中の「プリキュア」についている「ヒーリングっど」って、やっぱり、フィーリング・グッドから来ているのかな?

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第33回東京国際映画祭

相変わらず国際感のない国際映画祭だ。

確かにここで見なければ一生スクリーンで見ることができないのではと思われるような作品や、日本での一般公開まで長い年月がかかりそうな作品も上映されている。

でも、一般的な映画ファンの視点で語れば、世界一つまらない国際映画祭だと思う。

それは、コロナ禍であろうとなかろうと関係ない。

アジアを代表する映画祭というのは釜山や上海のことで、誰も東京のことなんて思い浮かべない。

東京国際映画祭の略称TIFF(ティフ)は国際的にはトロントのことだと思われている。日本国内でもFは一つ足りないけれど、同じくティフと呼ばれている音楽フェス「TOKYO IDOL FESTIVAL」はアイドル業界関係者やマスコミのみならず、一般のドルヲタのほぼ100%に認知されている。でも、東京国際映画祭の略称のティフに関しては東京国際映画祭の運営側の仕事をしている人(配給、宣伝、通訳含む)以外には全然認知されていないし、それどころか芸能メディアにすらほとんど知られていない。

なのに、キネマ旬報では東京国際映画祭に関するネガティヴな言及はほとんどされない。だからいつまで経っても酷いままだ。

 

まだ、00年代初頭くらいまではラインアップは3大映画祭には全然及ばないけれど、一応、映画祭としての華やかさはあったんだよね。

でも、日本で洋画が当たらなくなり、海外の大物映画人の来日が減ると、上映作品もショボくなってしまった。というか、邦画の上映が増えてしまい、全然、国際映画祭でなくなってしまった。今年はコンペティション部門がコロナの影響でないが、ここ最近はコンペに邦画数本出品なんてのが当たり前になっていた。それから、オープニング上映作品やクロージング上映作品も邦画が多い。特別招待作品で上映される洋画はほとんどが海外では公開済みだが、日本では間もなく公開される作品の宣伝を兼ねた上映ばかりになった。そんな映画祭のどこが国際なんだよって感じ。

あと、それまでは渋谷で開催していたのが、六本木開催に変わったのも映画祭から国際感覚をなくした理由の一つかな。

まぁ、邦画中心のラインアップになったら舞台挨拶をワイドショーで取り扱ってもらいやすくなるから、NHKしかない渋谷よりも民放キー局全てが居を構えている港区内でやった方がいいというのはあるんだろうけれどね。

その結果、国際映画祭ではなく単なる芸能イベントになってしまったが、それによって皮肉にも観客動員は好調となってしまったんだから、業界側としては批判できないってことなんだろうね。

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 それと同じ現象は音楽フェスでも起きている。サマソニにアーティストというよりかは芸能人と呼んだ方がいい人やジャニーズ、女子アイドル、K-POP、アニソン系が増えたり、フジロックに邦楽アーティストが増えたのもそう。海外エンタメに興味ない人が増えたから、洋楽アーティストだけでは運営費用をペイできない。だから、客寄せパンダが必要だというのは分かる。ボランティアじゃないからね。しかも、そういう芸能人やアイドルを呼べば、音楽専門でないスポーツ紙やワイドショー、ネットメディアも取材してくれる。つまり、話題になり次回の予算増につながるというのは理解できる。

でも、こういう人たちのファンって自分の目当てでないアーティストには見向きもせず、ただ場所取りだけしているんだよね。そんなのフェスじゃないでしょ。よく知らないアーティストでも、その場にいる以上はそのアーティストやそのアーティストのファンと一緒に楽しむのがフェスでしょ。だから、ネット上ではこうした金儲け主義に走ったフェスへの批判的なコメントが増えるようになった。

しかし、ロッキング・オンなどの音楽メディアは全然問題提起しないんだよね。というか、絶賛している。結局、自分たちもフェスを主催したり後援したりしているから批判できないんだよね。こういう本来はフェス向きでなかった出演者のファンは金を落としてくれるから、人数の少ない洋楽好きや邦楽インディーズ系より歓迎するってことだからね。まぁ、慈善事業ではないから利益を上げなくてはならないというのはあるのだろうが。でも、そんなので文化的に健全なイベントになると思っているのだろうか?

 

と散々、批判したが、それでも、いつ日本で一般公開されるか分からない作品。特にアジア映画(この場合は日本映画も含めてもいいかも)が見られるチャンスであるのは事実だし、日本で劇場上映されるかどうか分からない配信系映画も上映されたりるすのは感謝している。なので、今回はアクション、ファンタジー、コメディの要素が混じった韓国映画「スレート」を鑑賞させていただいた。

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フリムンシスターズ

阿部サダヲ新型コロナウイルスに感染したばかりなのに上演するのか?中止か延期にすべきではないのかと正直思った。

もう、これ以上、中止や延期にできないほど、日本の演劇界が金不足になっているんだろうなというのがよく分かる。

来年初夏まで休演するブロードウェイなど海外の対応と比べると日本の演劇界に対しては危機感がないというか、呑気というか、守銭奴というか、そういう悪いイメージしか持つことができない。

しかも、前売スタート時点では市松模様販売だったのに、政府が緩和策を打ち出したのに合わせて全席販売に変更したのもなんだかなという感じだ。まぁ、自民党やその支持者などのネトウヨ的思想の人間は基本的に「コロナは風邪」論者だし、演劇人などパヨクやリベラルの思想の人間は「経済を回せ」論者だから、どちらの視点から見ても中止・延期という発想にはならないんだよな…。

何か日本だけパラレルワールドを生きているみたいだな。「劇場版 鬼滅の刃」の記録的大ヒットに世界が驚いているみたいな報道があるけれど、アレは危機感のない日本人をバカにしているだけだと、気づいた方がいいね。

 

というか、観客に緊急連絡先の登録をお願いしますって呼びかけるくらいなら中止もしくは延期にしろよ!阿部サダヲが本当に大丈夫か確信を持てないから呼びかけているんでしょ!本当、日本の芸能界って自分勝手だよね。海外とは全然違う。それで、国や自治体の芸能・芸術に対する支援が少ないとか何をホザいているんだって感じだな。

 

そして、この「フリムンシスターズ」だが、お前ら日本の演劇人には自民党を批判する資格はないと言いたくなるほど、差別や偏見に満ちた内容だった。普段、自民党やその支持者を差別主義者だなんだと批判しているが、あんたらの考えは自民党と同等かそれ以上に酷いと思うぞ。

最近、トランプ憎しの思いだけで偏りすぎたポリコレを展開しているハリウッドのリベラル勢力には「いい加減にしろ!」という思いしか抱けない自分ですら、本作を観劇して、「お前ら、少しは世の中が変わったことを理解しろよ!」と言いたくなった。本当、日本の演劇界は老害だらけだ。

 

今時、オ○マとか、ホ○、ガ○ジン、ク○ンボ、キ○ガイなどと言った言葉を使うのはありえないでしょ!何十年も前の話ならまだしも、せいぜい、この10年くらいの話なんだから、そんな言葉を使うのはありえない。

LGBTQとか外国人が自ら言うならまだしも、そうでない演者がテンプレ的なゲイや外国人を演じているんだから、現在のポリコレ視点から考えたらありえないでしょ!

 

しかも、差別や偏見に満ちた表現はLGBTQや黒人だけではない。韓国や沖縄、障害者、精神的な病気を抱えた人に関する描写も酷い。

さらには、「ゲイにレイプされてエイズになった」とか「黒人の先祖は出ていけ」なんて台詞も出てくる。呆れるばかりだ…。

 

演劇好きは〝わざと差別や偏見に満ちた描写をすることで差別や偏見の実態を浮き彫りにしているんだ〟とかマンセーするのだろうが、さすがにあの表現は今時ありえないよ!

 

こんな連中が、政府とか米軍は差別主義者だとか批判するんだから笑ってしまうよね。こんなクソみたいな思想の演劇人に対する支援なんて必要ないんじゃないか?コロナで一度、日本の演劇界は全て焼き払われた方が良かったのではないか?と思えてくるほどだ。まぁ、基本的に左翼ってのはネトウヨ以上に差別主義者なんだけれどね。ネトウヨが差別する対象は、韓国や中国など限られているが、左翼は逆に韓国や中国以外は差別の対象と言ってもいいくらい拝外主義だからね。本当、ここまで差別や偏見の表現で腹立つエンタメ作品を鑑賞したのは久しぶりだ!

 

ところで、通常、アイドルや声優が主演でない舞台を見ると、ストレート・プレイだろうと、ミュージカルだろうと、歌舞伎だろうと、観客は女性ばかりなのだが、本作は男性の観客も多かった。長澤まさみ効果かな?つまり、長澤まさみはアイドルってことなのかな?彼女の演技は良かったとは思うが、彼女の口から差別や偏見に満ちた台詞が連発されるのは耐えがたいものがあったかな…。

 

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とんかつDJアゲ太郎

個人的には、問題を起こした俳優が出演している映画(やドラマ、舞台)の公開(や放送、上演)を中止にしたり延期したりすることに関してはケースバイケースだと思っている。

何でもかんでも「作品に罪はない。予定通り公開(放送、上演)しろ」と主張する人がいるが、それは違うんじゃないかなと思う。

薬物問題で逮捕された人間は、本人だけの問題なら公開(放送、上演)の中止・延期は過剰反応だと思う。

ただ、この人物が薬物の影響下で他人に暴力をふるったり、性的暴行を働いたりした場合は、それは被害者がいるので、公開(放送、上演)は中止もしくは延期すべきだと思う。

不倫などのスキャンダルに関しては、少なくとも日本では不倫は犯罪ではないので、公開(放送、上演)の中止・延期は不要だと思う。

窃盗や詐欺、傷害、殺人などを起こした場合に関しては言うまでもなく、即刻、公開(放送、上演)を中止・延期すべきだと思う。

そして、交通事故を起こしたケースについてだが、自分がガードレールにぶつかっただけとかならそこまでの処置は不要かもしれないが、今回の伊藤健太郎のように負傷者、つまり、被害者を出してしまった場合は即刻、公開(放送、上演)は中止・延期にすべきだったと思う。

ただ、チョイ役やゲスト出演の俳優の場合は被害者が出ていも、そこまでの処置は不要かなという気もする。

男優、女優のそれぞれのクレジットのトップ、男女問わず5番手くらいまでの演者、それに、助演や端役も含めたキャストの後に“and ○○”みたいにクレジットされる扱いの出演者に関しては、上記の対応をすべきだと思う。

だから、今回の「とんかつDJアゲ太郎」における伊藤健太郎は3番手のクレジットだから、公開は中止・延期すべきだったと思う。

伊藤が釈放されたから、おそらく予定通り公開されるのだろうが、「十二単衣を着た悪魔」は主演なんだから、これは問答無用で公開中止もしくは延期すべきだと思う。

何故、公開中止・延期すべきかというと、他の出演者やスタッフに迷惑をかけるからなんだよね。結局、公開初日(最近は金曜日初日が多いから2日目に公開記念という名目でやることも多いが)舞台挨拶を行っても、共演者や監督が謝罪をするはめになる。あるいは、謝罪しなければ、ワイドショーやスポーツ紙、ネットニュースに「事件についてはふれませんでした」と言われてしまうから。それは、作品のためにならないよね。

「作品に罪はない」論者の人たちは、作品が不本意なイメージを持たれることに関しては何とも思わないのかな?ただ、自分が見たかった作品が公開中止・延期になるのが嫌なだけでしょ?

しかも、こういう主張をする人たちって、自分が好きな俳優が出ている作品の時は、そういうことを言うくせに、そうでない時は逆のことを言っていたりもするんだよね。というか、何でも「公開中止しろ」という人もそう。

ピエール瀧新井浩文の時と、今回の伊藤健太郎で異なる主張をしている人、結構いるのでは?

イケメン無罪って言葉があるが、イケメンだから許していないか?

新井は在日だから嫌いってだけで公開中止しろって言っている人いないか?

ピエールはイケメン枠でないから支持するが、伊藤はイケメンだから許さないって人もいるよね?

そんなのじゃダメだよ!

 

まぁ、コロナ禍で製作・配給・宣伝・興行含めた映画各社は東宝以外は厳しい状況になっている。だから、少しでも収入を得るために公開中止・延期はしたくないという気持ちは分からないでもないが、被害者がいる以上は中止もしくは延期にすべきだったと思うな。

公開中止・延期せず、なおかつ、舞台挨拶を実施したのは、たとえ炎上したとしても、舞台挨拶をすればワイドショーやスポーツ紙が取り上げる。共演者が謝罪すれば、それは大々的に取り上げられるし、伊藤の件にコメントしなくてもそれはそれで「事件については語りませんでした」と報道される。つまり、いずれにせよ作品名が世に出る。つまり、コロナ禍で厳しい財政事情なんだから、プロモーションになることなら何でもやってしまえってことなのかな?

 

そして、被害者といえば、「被害者が公開中止しろと言っていないんだから、公開中止する必要はない」なんて主張する人が結構いたが、アホかと思ったな。普通、自分をけがさせた奴の顔なんて見たくないでしょ。映画やドラマで、家族の命を奪った者やその親族が葬儀に訪れた際に遺族がその者を追い出すシーンってのをよく見ると思うが、そういう気持ちになるよね、普通。わざわざ被害者が声明出さなくてもね。本当、「作品に罪はない」論者って自分勝手だよね。

 

それにしても、伊藤の釈放ははやかったな。スポーツ紙が被害者の姉が元アイドルという記事を出した際は、「そんな個人情報必要ないだろ!」と思ったが、結構、重要な情報だったんだな。芸能界の力関係でいえば、伊藤の方が上だから、元アイドルの弟である被害者は示談させられたってことかな?芸能界って汚いね。

 

そして、伊藤健太郎の釈放時の様子を見ていると、反省しているようには見えないな。コロナ禍なんだから、謝罪コメントを言う際にわざわざ、マスクを外す必要はない。でも、外すってことは自分は俳優なんだから、何かをしゃべる時にはきちんと顔を見せなくてはいけないって思っているからでは?つまり、容疑者になった人間としてではなく、俳優として謝罪している演技を見せているだけなんだよ。本当、腹立つな。

今まで、映画やドラマで伊藤健太郎は好青年に見えていたが、実際はクソ野郎だったんだな。まぁ、好青年に見せていたということは、それだけ演技力があったということでもあるのだろうが。

 

ところで、「とんかつDJアゲ太郎」も「十二単衣を着た悪魔」も伊藤と、薬物問題で逮捕された伊勢谷友介が共演しているんだな…。ほぼ同時期に公開される映画2本に最近逮捕された俳優2人が揃って出ているというのは、いかに日本の映画やドラマが、その時売れている一部の俳優のローテーションで作られているかが、つまり、作品重視ではなくキャスティング重視で作られているかが分かるな。

 

何か、俳優の犯罪行為の話ばかりしているな…。だから、こうなるから、問題起こした俳優の出演作は公開中止・延期にすべきだと思うんだよ。冷静に見られなくなるしね。

 

ということでネタついでにというか、出演者の不祥事の影響で批判が高まり、打ち切りになるかもしれない。というか、コケそうなニオイがプンプン漂っているので、そちらの理由で打ち切られそうな雰囲気もするので、とりあえず見ることにした。

 

渋谷で見たが、結構、客入りが良かった。作品の舞台が渋谷、伊藤健太郎が事故を起こしたのも渋谷区内ということも関係あるのかどうかは知らないが、7割くらいの客の入りと結構、盛況で驚いた…。まぁ、渋谷以外ではガラガラなのかもしれないが。

 

とりあえず、そこそこ面白かったが、主人公の成長というのがイマイチ描かれていなかったという気がする。デビューの場でミスった主人公が簡単に立ち直りすぎる。カンフー映画ではないが、再特訓の場面とか必要では?まぁ、今の若い観客はそういうものを求めていないのかもしれないが。

 

それから、この作品で描いているのって、クラブ・シーンではなくディスコでは?一番盛り上がる曲がベリンダ・カーライル「ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」って、完全にターゲットが40代後半から50代半ばでしょ!踊りもディスコだしさ…。

 

ところで、WOMBが舞台になっていたけれど、ここに出入りするDJ役が伊勢谷友介って、なかなかチャレンジングだな…。あと、伊藤健太郎は途中までは感じ悪い演技を見せていたが、アレが本性なんだろうね。

 

それはさておき、伊藤健太郎伊勢谷友介だけではなく、伊藤沙莉も「とんかつDJアゲ太郎」と「十二単衣を着た悪魔」の両方に出ていたんだな…。

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泣きたい私は猫をかぶる

新型コロナウイルスの影響で劇場公開が中止され、Netflixでの配信公開となったアニメ映画「泣きたい私は猫をかぶる」がごくわずかな上映館、しかも、かなり小さいミニシアターでの公開とはいえ、映画館で上映されることになった。

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コロナの影響で国内外の多くの作品が、劇場公開を取りやめて配信作品にしたり、あるいは劇場公開と同時に配信開始したりという形で世に出ることになってしまった。
映画会社はボランティア事業ではない。だから、利益を上げなくてはいけないし、製作に関わったスタッフ・キャストに払うものもきちんと払わなくてはいけない。だったら、公開延期作品が多くスケジュール調整が難しい劇場公開を待つよりも、配信ですぐに収益を得た方がいいと考えるのは企業としては正しい判断だと思う。
ましてや、ハリウッド系なんて欧米の感染状況が再び悪化しているのだから、NYやLAといった大都市での劇場公開の見通しが全く立たないわけで、そりゃ、劇場公開を見送り配信デビューさせる作品が相次ぐのも当然だよなとは思う。
でも、邦画にしろ洋画にしろ、これまで、宣伝に協力してくれた映画館やマスコミ、その映画の前売券を買った映画ファンなどに対する配慮が足りないよねとは思う。
せめて、ネトフリが賞レースを賑わせそうな作品でやっているような、あるいは、OVAとして作られたアニメ映画のイベント上映みたいに、配信直前に上映館数や期間は限定的でいいから、劇場公開すべきだと思うんだよね。

ちなみに、自分はネトフリで配信開始してから1ヵ月くらいして、自宅PCで本作を鑑賞した。その時の印象は映画館で見たかったというものだった。
最近では、最初からネトフリ接続がデフォルトになっているテレビもあるが、自宅はテレビにネット接続していないので、PCでの鑑賞となった。
現状ではネトフリなどの配信サービスをPCやスマホで見ている人が圧倒的多数だと思うんだよね。少なくともテレビの多チャンネル化がいまだに進んでいない日本では。欧米ではネトフリとかはチャンネルの一つ扱いなのかもしれないけれどね。

ネトフリで独占配信される映画には他社が劇場公開を断念した作品も多い。つい最近発表された「シカゴ7裁判」だって、元々はドリームワークスなどの製作によるパラマウント映画として世に出るはずの作品だったし、「ROMA/ローマ」や「アイリッシュマン」といった賞レースを賑わせた作品も同様。配給会社が興行的にペイできないと判断して放棄したから、ネトフリに回ってきただけなんだよね。こうした海外作品は完全に映画館で見てこそ満喫できる作品だった。「ROMA」や「アイリッシュマン」なんて、自宅のPCやスマホで見たらつまらないと感じるのでは?

こうした賞レース向け作品ほどではないものの、本作「泣きたい私は猫をかぶる」もシーンによってはPCのスピーカーでは台詞が聞き取りにくい場面もあったし(昔に比べればPCやスマホのスピーカーの音質はかなり向上したけれどね)、ネトフリで見た時は、やっぱり、映画館で見ることを考えて作られた作品だったんだなと実感した次第だった。

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ということで遂に都内でも、この「泣きたい私は猫をかぶる」が劇場で上映されるということで見ることにした。
まぁ、上映館が下北沢トリウッドという中学や高校の理科室の映写用スクリーンに毛が生えた程度のスクリーンの劇場なので、大スクリーンで堪能というほどのものではないが、それでも、自宅のPCで見るよりかは、遥かに音質も画質も良いものになっていて、台詞が聞きとりにくいといったようなことはなかった。

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ところで、ネトフリで見た時には冒頭と巻末にあったネトフリのロゴがなかったが、今回上映されたのが本来のバージョンということなのだろうか?
でも、エンドロールにIn Association with Netflixというクレジットは入ったままだった。ということは、元々、ネトフリでの配信計画はあったということなのだろうか?同じ東宝映像事業部作品でいえば、「アニゴジ」みたいに日本では劇場公開するが、世界的にはネトフリで配信公開みたいな感じにするつもりだったのかな?

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とりあえず、劇場で見て思ったことは、ネトフリで見た時よりも感動できたって感じかな。やっぱり、スクリーン向きの作品だったんだな。
それから、これは、ネトフリで見た時から思っていたが、ムゲのウザ可愛い感じが良いよね。志田未来の声優演技も良いし。あと、ヨルシカの曲も良い!