自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

スーパー戦隊MOVIEレンジャー2021

『魔進戦隊キラメイジャー THE MOVIE ビー・バップ・ドリーム』

 

3本立て(オープニングの3S映像をカウントすると4本立て?)の中で一番尺が長いということもあり(といっても、上映時間は39分だから日本アカデミー賞の審査対象にはならないんだけれどね)、この作品が3本の中では最も映画らしい作りになっていた。

 

本来なら毎夏恒例の「仮面ライダーシリーズ」の劇場版と「戦隊シリーズ」の劇場版の2本立て興行で公開される予定だったものの、新型コロナウイルスの影響で公開が延期になったために、今回は「ライダー」はシリーズ2作の劇場版をまとめて年末に(通常、この時期は「ライダーシリーズ」のクロスオーバーもの映画が公開される時期)、「戦隊」はシリーズ3作の劇場版をまとめて2月に(毎年きっかり、この月というわけではないが、「戦隊シリーズ」のクロスオーバー映画は第1四半期に公開されている)公開という変則的な形となったようだ。

 

通常、「ライダー」映画と同時上映される「戦隊」映画はかろうじて30分を超える程度の上映時間のものが多いが、今回の「キラメイジャー」はもう少しで日本アカデミーで長編扱いしてもらえるくらいの尺になっているってことは、ここ最近の「戦隊」ものの中では、「キラメイジャー」の人気は高いってことなのかな?それとも、「ライダー」のオマケという公開ではなくなったから、通常ではカットされていたようなシーンも見せることができたということなのだろうか?

 

本作のストーリーが複数の階層にわたる夢の世界で主人公たちが奮闘するというものだと聞けば、多くの人が「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」を想起してしまうが、こういう構成の作品は「インセプション」など、前から頻繁に作られていたんだよな…。

 

それにしても、最近の「戦隊シリーズ」にしろ、「仮面ライダーシリーズ」にしろ、女子キャラが可愛いよね!「キラメイジャー」でいえば、個人的には緑が好みかな。

 

あと、今回の悪役の壇蜜、ハマっていたね。元々、ウヨ思想オヤジに受けるようなタイプの女性だから、こういう悪女役ってハマるよね。保守系政党の女性政治家ってこんな感じだし。

 

あと、全米ヒット曲「PPAP」を久々に聞けたのも良かった。何か最近のネット発でヒットしている邦楽よりも、きちんとした音楽に聞こえてしまう…。

 

『騎士竜戦隊リュウソウジャー 特別編 メモリー・オブ・ソウルメイツ』

 

これは3本の中で一番上映時間が短い作品でわずか15分しかないらしいが、もっとボリュームがあるように感じた。もっとも、変身シーンやアクションシーンは全メンバー分の時間は割いていなかったので、いかにもオマケ作品という作りであることは誰が見ても明らかではあるが。

 

そして、こちらは謎の女性役の宮原華音が可愛かった。あと、アクションは誰よりも光っていた。本当、「ライダー」にしろ「戦隊」にしろ、最近の特撮モノって、イケメンと可愛い系をキャスティングしたり、人気声優をボイスキャストに起用したりしていて、女性、男性問わず大きなお友達のファン獲得に熱心だよね。

 

『機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!』

 

最後のコレは間もなくスタートする新シリーズのエピソード0的作品。上映時間は通常のテレビ版の1エピソードより気持ち長い程度。

今回の劇場版を見た限りでの印象ではあるが、どうやら、「ライダーシリーズ」ではすっかりおなじみとなったメタ構造が、この「戦隊シリーズ」最新作でも取り入れらているようだ。エンディングで(放送開始日の)3月7日にふれているのもメタな要素かな?

 

「戦隊」といえば、変身したヒーロー姿で悪と戦った後に、メンバーたちのそれぞれのメカが合体してロボットとなり、巨大化した敵と戦うというのがお約束になっているが、本作は通常のヒーロー1人と人間サイズのロボット4人でチームを組むという不思議な組み合わせになっているようだ。

しかも、その唯一の通常ヒーローは、「戦隊シリーズ」が始まった頃のようなデザインになっている。約46年(今回で45作)もやっているので、「戦隊シリーズ」は3世代で楽しまれるものになっているが、その一方で、初期のシリーズを親しんだ世代の中には、最近のイケメン・可愛い系キャストや人気声優ボイスキャスト路線にはついていけなくなっている人も多い。ここで改めて「戦隊シリーズ」を総括し、初期シリーズを楽しんだ世代にも、最近のシリーズを楽しんでいる世代にもアピールできるものを試してみようって感じなのかな?

 

とはいえ、イケメン・可愛い系のキャストは今後、増えていくんだろうとは思うけれどね。

それにしても、ネトウヨ思想全開のつるの剛士がヒーローものの主題歌を歌うって、どうなんだろうか…。まぁ、当時は反権力のイメージがあった金八役の武田鉄矢もすっかり、ネトウヨ老害になっているしね…。

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ライアー× ライアー

正直言って、森七菜に対するイメージが悪化してしまったので、冷静な目で本作を見ることができなかった。でも、ムカつくくらい、森七菜が可愛い映画だった。

 

血の繋がらない姉(常にすっぴん)を毛嫌いする弟が、姉と似ているギャルっぽい女子高生に恋するなんて話はどう考えてもありえない設定だが、それをリアリティあるものにしているのは森七菜の演技力や、つかみどころのないルックスのおかげだとは思う。

彼女はぶっちゃけ、出る作品、演じるキャラクターごとにイメージが変わるから、本当に同一人物なのかって、出演作品を見るたびに思うしね。映画「ラストレター」の主人公の高校生時代を演じた女優と、朝ドラ「エール」の文学少女を演じた女優が同じとは思えないしね。しかも、「ラストレター」にしろ、「エール」にしろ、彼女の演技が作品を感動的にしていた部分は大きかったからね。

なので、そうしたつかみどころがないのに演技力がある彼女なら、こういうありえない設定でもリアリティのある演技にしてくれるとは思っていたし、実際に見てもそう思った。

 

でも、事務所移籍騒動のせいで、彼女に対するイメージが悪化してしまったので、可愛いかもしれないけれど、だから何?演技力あるかもしれないけれど、だから何?って感情しかわかないんだよね…。

もしかしたら、本人はまだ若くて、世の中をよく分かっていないから、親や業界の人たちの言うように移籍しただけなのかもしれないけれど、やっぱり、イメージは良くないよね。

 

元々、ホフディランのオリジナル版が出た時から「スマイル」っていう曲は好きではなかったけれど、彼女のカバー・バージョンを聞くと、本当、イラッとするんだよね。今回の移籍騒動が起きる前からそれは感じていたけれど、この騒動が明るみに出て以降は尚更、イラッとくるかな。多分、新興宗教みたいな感じがするんだうな、この「スマイル」って楽曲は…。

 

そして、本作の中では、結果として、美男美女は良い思いをし、メガネの地味男子が悪者扱いされてしまっているが、それも、尚更、森七菜って腹黒いなというイメージを増長させてしまった。結局、“いい人”のメガネ男子を利用しているだけだしね。本当、この映画、現実世界の森七菜がちらついて仕方なかった。現実でも性格悪そうって思ってしまうよね。

 

それにしても、ガラガラだったな…。今、人気があるとされるSixTONESのメンバーが森七菜とW主演なのにね。もしかすると、SixTONES人気って下降しているのか?ネット記事などで書かれているように、同時デビューのSnow Manに差をつけられてしまったのか?まぁ、男でロック好きの人間なら、SixTONESを好きって奴はいないよね。あの偉大なバンドの略称と同じ名前を名乗るなんて許しがたいことだしね。しかも、SixTONESのファンがザ・ローリング・ストーンズのファンに対して、ストーンズという略称を使うな、ローリングと呼べとか言ってくるんだから、そりゃ腹立つし、SixTONES自体のイメージも悪くなるよね。

 

 そういえば、本作を含む劇場で見た映画が3作品連続で同じシネコンの同じスクリーンだった…。さすがに座席は違うけれどね。しかも、これって、わずか2日間での出来事なんだよね。

つまり、緊急事態宣言下にもかかわらず、邦画は新作の公開ラッシュになっているってことなんだよね。おかしいでしょ!

本当、日本映画界って、コロナは風邪論者ばかりだよね。自転車操業だし、国や自治体からの支援は期待できない。しかも、国も自治体も中途半端な対策しかしないから、映画館の営業も続いている。だったら、こっちだって、構わず、バンバン新作を公開するよってことなんだろうけれど、もう少し考えろよって気もするかな。

まぁ、「エヴァ」や「ドラえもん」、「ザ・ファブル」、「キネマの神様」など公開延期になった作品もあるから、要はフルな状態で公開したい作品は延期するけれど、とりあえず、劇場公開作品という箔付けだけが欲しい作品は、構わず公開してしまえってことであり、公開ラッシュになっているってことは、当たるとは限らない作品がそれだけ多いってことなんだろうね。粗製濫造だな…。

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あの頃。

まず、アイドルの定義とは何ぞやという問題がある。日本でいうアイドルと、韓国でいうアイドル、洋楽の世界でいうアイドルは違うとよく言われている。韓国ではアイドルやアーティストといった明確な区分けはないとか、本来のアイドルという単語の意味は“偶像”とか“憧れの対象”という意味で日本でアイドルと呼ばれているようなタイプの芸能人をさす言葉ではないなどど言う人は多い。

 

でも、BTSの「IDOL」の歌詞は、アイドルをアーティスト扱いしない人もいるが、そんなのはどうでもいいといった日本でもよく言われていることが歌われているし、一時期は圧倒的な影響力を持っていたオーディション番組「アメリカン・アイドル」におけるアイドルというのは、本来の“偶像”や“憧れの対象”などといった意味よりかは、日本でよく言われる“国民的アイドル”の意味に近いと思う。

 

多くの人は、自分で作詞・作曲やプロデュースをせず、楽器も演奏せず、歌唱力よりもルックスやキャラクターで人気を集めている人がアイドルと思っている節がある。

でも、バンド形式のザ・ビートルズだってアイドルだし、日本だって、チェッカーズは最初はバンド形式のアイドルだった。ジャニーズにだって、時々、バンド形式になる関ジャニ∞を含めて、男闘呼組TOKIOといったバンド形式アイドルが存在する(した)。だから、作詞・作曲、プロデュース、楽器の演奏の有無はアイドルか否かの判定基準ではないと思う。

 

個人的には長らく、バンドだろうと、演歌歌手だろうと、声優だろうと、洋楽だろうと、K-POPだろうと、ジャンルや年齢を問わず、異性ファンの多いアーティストがアイドルだと定義していた。

要は純粋に音楽性だけではなく、そのアーティストを疑似恋愛の対象として見ているファンが多いのがアイドルであり、結婚したり、熱愛が発覚したりして人気が落ちたアーティストは自作自演型でもアイドルだと思っていた。

福山雅治が結婚後、人気が下降したのは彼が自作自演型のアーティストであっても、アイドル視する女性ファンによって支えられていたことの証明であるし、CDショップが一時期、オシャレな邦楽アーティスト扱いでプッシュしていた声優アーティストの坂本真綾花澤香菜が結婚や恋愛発覚によって、CDセールスが下降していったのは、結局、アーティストとしての評価よりも声優アイドルとしての人気だったんだなというのを表していると思っていた。

 

また、女性アイドルよりも男性アイドルの方が“寿命”つまり、人気アイドルとして活躍する期間が長くなっているのも、こうした疑似恋愛の対象となっているからだと思う。

フェミ的な思想の人からは批判される意見かもしれないが、女性は一度に1人の相手との間の子どもしか妊娠することができない。でも、男は同時期に複数の女性を妊娠させることができる。

つまり、男性アイドルの女性ファンは、そのアイドルの本命にはなれなくても、2番手、3番手として、そのアイドルの子どもを産むことはできる。でも、女性アイドルの男性ファンは、そのアイドルが妊娠していたら、少なくとも、そのアイドルが出産するまでは、そのアイドルと恋愛関係にあっても、そのアイドルを妊娠させることはできないわけだからね。男性アイドルのファンの方が疑似恋愛を楽しめる期間が長いのはそういうことだと思う。

 

ところが、最近は、そういう自分のアイドルに関する定義を変えざるを得ないと思う現象も目立っている。坂道シリーズや指原莉乃プロデュースの=LOVE、≠MEのコンサートなどでは、女性ファン優遇でチケットを当選させていると思われる節がある。実際、会場でも多くの女性ファンを見かける。また、K-POPの女性アイドルのコンサートなどの映像を見ると、女性ファンが多く、男のファンは居場所がなさそうにも見える。

 

今回の映画「あの頃。」の題材となっているハロプロは元々、女性ファンが多いと言われていたが、最近は、ハロプロに限らず、女性アイドル好きの女性ファンはかなり増えていると実感する。それが一番、顕著になっているのが、アイドル好きな風俗嬢の増加だと思う。おそらく、推し活の資金を集めるために風俗嬢をやっているのだと思う。

 

まぁ、女性ファンが女性アイドルに夢中になる理由には、男性アイドルの対象が、ジャニーズかK-POP、それでなければ男性声優しかいないという状態で、選択肢が少ないってのもあるのかなとは思う。

80年代まではジャニーズ以外の男性アイドルもいたけれど、90年代以降はジャニーズが権力を持ちすぎたことにより、他の国産男性アイドルが事実上排除されるという独禁法違反状態になってしまい、本来ならアイドルとして売り出すようなグループが、ボーカル・グループとか、ダンス・グループと名乗っているしね。

 

女性アイドルは確かに売り上げ面では秋元系が圧倒的かもしれないけれど、色々な事務所から様々なアイドルが出ているから、まぁ、選択肢の少ない男性アイドルよりかは、女性アイドルの方が見ていて面白いってのはあるのかもしれない。

 

それにしても、本作では、あややこと松浦亜弥をフィーチャーしていたが、あややの全盛期が過ぎて以降、男女問わず、ソロ・アイドルって、ほとんどいなくなってしまったよね。

まぁ、秋元康による“会いに行けるアイドル”商法が他のアイドルにも広まり、握手会やチェキなどといった接触系イベントの参加券を付けることでCDを大量に買わせるという手法が、アイドル業界の主流になってしまったから、1枚でも多くCDを売るには、ソロよりもグループの方が都合がいいし、ソロだとコンサートでバック・バンドの生演奏をつけなくてはならないが、グループならカラオケ歌唱や口パクで済むから予算や時間の節約になるってのもあるんだろうけれどね。

 

だから、本来のソロ・アイドル的なものが好きだった層は男女問わず、声優アーティストの方に興味を持つようになったんだろうね。

まぁ、声優アーティストがアイドル的人気を得るようになったのって、ちょうど、女性アイドルがソロ、グループ問わず不発な時期だった90年代半ばだからね。

本来ならアイドルとして売り出すようなタイプの歌手やグループ、たとえば、安室奈美恵とか華原朋美、SPEEDなんてあたりも、アイドルとして売り出すと売れないと思ったんだろうか、アーティストとかボーカル・グループ風のプロモーションで売り出されていたしね。

そんな時期に、それまでのアイドル的な楽曲をソロで歌う声優アーティストが続々と出てきたから、従来のソロ・アイドルが好きな人たちが、そっちに移っていったってのはあるとは思う。

実際に、ほとんどアニメは見ないのに、声優アーティストとかアニソン歌手は好きって人、結構いるしね。自分も90年代後半はそれに近い状態だった。

 

90年代終盤にハロプロによって、女性アイドル文化が復活し、90年代半ばにSMAPによってジャニーズアイドル文化が復活しても、なかなか、ソロ・アイドルがあやや以外は目立った存在が出てこなかったのは、声優アーティストにそのポジションを奪われたってのもあるのかもしれないな。

 

ところで、“推し”って言葉の意味合いというか、主語がここ何年かで変わってしまったよねって思う。

2010年にAKB48の公演曲として世に出た「チームB推し」では確実にチームBを推すファンが主語だった。でも、最近使われている推しという言葉は、我々ファンが推している誰々という意味になっているんだよね。

「推しが武道館いってくれたら死ぬ」というコミックが出た辺りから主語が変わった気がするな。本来の意味だったら、ファンが武道館にいくことになるが、この作品では武道館にいくのはアイドルだからね。

あと、ジャニオタが、本来の誰々推しに相当する言葉として、“○○担”と言うようになり、単独で“推し”と言った場合には、我々、○○担が応援する○○という意味に変化したことも影響しているのかな。

結局、日本の流行ってのは女性が動かしているし、女性が動かなければ金にならないってことなんだろうね。

 

そんなアイドル文化について考えてみたくなるほど、ドルオタでもある自分としては、この映画に興味を抱かずにはいられなかった。

この映画におけるアイドルやオタク、サブカルの描写がどこまでリアルに描かれているのか非常に気になったからだ。

 

福田雄一作品「ヲタクに恋は難しい」は、福田やメインどころの俳優の信者以外のほぼ全てのオタク(ヲタク)に酷評された。その理由は明白だ。オタク(ヲタク)を見下した目線で描写している上に、オタク(ヲタク)の言動が遥か昔のステレオタイプ化されたオタク(ヲタク)像だからだ。

 

現在公開中の「花束みたいな恋をした」は何故か一般的な評判は良いようだが、真のマニアとかオタクと呼ばれる人やサブカル論者からの評判はあまりよろしくない。その理由は、メインのカップルの語るサブカルが“知ったかぶり”レベルだからだ。

確かに、「はな恋」の中でネタにされていた「ショーシャンクの空に」は過大評価されていると思う。でも、アカデミー作品賞にノミネートされたくらいだから、クソ映画ではないんだよね。しかし、この映画は、“「ショーシャンクの空に」を大したことないって言えるオレってカッコいいでしょ!私ってイケてるでしょ!”って言っているようにしか見えないんだよね。

クラスや職場で自分以外誰も知らないような映画やアーティストを知っている自分に酔っているだけって感じがする。本当のマニアやオタクって呼ばれる人は、映画なり音楽なりの中で特定のジャンルを追求するか、映画なら映画、音楽なら音楽に含まれるあらゆるジャンルに足を踏み入れるような人間かって感じだから、ぶっちゃけて言ってしまえば、「ショーシャンクの空に」は絶賛もしなければ酷評もしないと思うんだよね。他に、名作はいっぱいあるしね。

 

また、「はな恋」の中では触れられていない、というか、サブカル通ぶっている連中にはハナから対象外かもしれないが、映画マニアやアニオタは「劇場版 鬼滅の刃」についても、“面白いとは思うが、映画としての評価は微妙。ましてや、コレが生涯最高の作品だとは思えない”といった比較的冷静な評価をしている人が多いんだよね。

なので、「はな恋」で描かれているサブカル通の描写というのは、真のサブカル論者やマニア、オタクからすると評価はできないものだと思う。

 

そして、本作「あの頃。」だが、「ヲタ恋」や「はな恋」に比べれば、オタクやマニアに対する見下した目線もないし、“他人の知らないモノを知っているオレってカッコいい”みたいな主張もしていない。オタクやオタク文化の描写に関する不満は両作品に比べれば、ほとんどないに等しい。

でも、正直言って、これ、ハロオタの映画でも、ドルオタの映画でも、あるいはジャンルを問わない広義のオタクやマニアの映画でもなんでもないんだよね。途中からほとんど、ハロプロの話が関係なくなっているし、劇中に何度も登場する作中のハロオタたちが定期的に開催しているイベントのネタも終盤では、ハロプロ絡みではなく身内ネタになっているしね。

 

まぁ、メガホンをとっているのが今泉力哉監督だから、邦画至上主義の映画ファンには絶賛されるだろうし、曲の使い方も上手いから、ハロオタからも評価されるとは思うが、ドルオタ映画を期待していた観客からすると期待はずれもいいところっていうのが本音かな。

 

とりあえず、仲野太賀って、ブレイクのきっかけとなった「ゆとりですがなにか」にしろ、本作にしろそうだけれど、クソ野郎を演じさせると天下一品だよね。

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名探偵コナン 緋色の不在証明

いくら総集編ものとはいえ、そして、突然、公開が発表されたとはいえ、コナン映画が観客動員数ランキングで初登場2位というのは物足りなさすぎる成績だと思った。ましてや、緊急事態宣言下で興行界全体が低調なんだから、ぶっちぎりで初登場1位を記録すると思っていたのに、「花束みたいな恋をした」の3週連続1位を許してしまうとは…。

「花束」は絶賛されているみたいだけれど、評価しているのって、作中のメイン2人みたいに中途半端にサブカルに足を突っ込んだ人たちで、尚且つ、メインの2人同様、東京の西側に住んでいる人、あるいは、そういう地域での生活が東京だと思って憧れている地方民だけだと思うんだよね。

完全にサブカルの世界に足を突っ込んでいる人間からすれば、何言ってんだこいつらって感じだし、東京の都心や下町地域の人間、特に東京生まれ東京育ちの人間からすれば、田舎者が都会人のフリしているだけでダサいなとしか思えないしね。

だから、この映画を評価しているのは、自分は田舎者で、尚且つ、知ったかぶりで映画や音楽、小説などを語っている連中だと思うな。まぁ、こういう言い方をすると、トンキン批判が好きなネット民には文句を言われるかもしれないが。

 

話はコナンに戻るが、ここ何年もコナン映画の興収は前作超えを続けていて、総集編の本作を除く直近2作に関しては興収100億円も期待されるほど(最終的には90億円台)の記録的大ヒットとなった。その要因となったのは、何度も繰り返し劇場に足を運ぶリピーターのおかげであることは言うまでもない。だから、既に世に出ている内容の総集編映画でも興行成績は変わらないはずと思っていたのだが、まさかの首位を逃すことになってしまうとは…。

 

以前から、コナン映画に熱狂する人は、テレビシリーズに興味がないというか見ていない人が多いのではないかと思っていたが(自分も今の土曜日の夕方放送になってからは、まともに見たことないし…)、この総集編映画の興行成績を見ると、本当にそうなんだろうなというのを実感する。だから、テレビシリーズをまとめた本作には興味がないのではないかと思う。

 

と同時に、テレビ、映画問わずコナンに対する興味を失ってしまった人も結構いるのではないかとも感じた。その要因となったのは、去年の緊急事態宣言で、劇場版最新作「緋色の弾丸」の公開が延期され、毎年ゴールデンウイークにコナン映画を見るという習慣がなくなってしまったことにあるのではないかと思う。

コナン映画に熱狂する人には、他のアニメや映画には興味を持たず、同じ作品を何度もリピートする傾向が見られるが、最近、それと同じような現象を4倍以上の規模で具現化したテレビアニメの劇場版作品があった。言うまでもないが、「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」だ。アニメや映画の熱心なファンからは、“面白いけれど大絶賛するほどじゃないよね。テレビスペシャルだよね”と言われるところも、コナン映画と同じ構図だ。

毎年恒例のコナン映画が途切れた時期がちょうど、緊急事態宣言下であり、その時期に配信サービスなどで「鬼滅」を見た人がハマってしまい、いつの間にか、コナン映画好きではなく、「鬼滅」のファンになってしまったってのも多いのではないかと思う。

 

こうした、コナン映画や「鬼滅」のファンには熱心なアニメや映画のファンではない人が多いから、緊急事態宣言下のような状況になると、映画館には足を運ばなくなる。

2度目の緊急事態宣言が発令されるや否や、「鬼滅」の興収は落ち着くようになったのが(まぁ、その前に興行記録は塗りかえているけれど)それを証明している。

そして、それと同じように今回のコナンの総集編映画も、わざわざ、緊急事態宣言下の映画館に、既にテレビで放送されたものをまとめただけのものを見に行く必要はないと判断されたのが思ったほど伸びていない成績の理由ではないだろうか。

 

それにしても、コナンってツッコミどころだらけの話だよな…。四半世紀にわたって放送されているけれど、キャラクターたちが年を取らないから、彼らが使っているアイテムがおかしなことになっているんだよね…。

10年前の話で、キャラクターたちがスマホを使っているのって違和感あるよな…。2021年の現在の視点からすれば、特に今の小中学生あたりからすれば、何もおかしくないかもしれないし、高校生や大学生あたりから見れば、10年前はまだ、ガラケー使っている人いたよねって記憶がうっすらあったとしても、コナンのキャラクターたちは上級国民だから、10年前でもスマホを使っていたかもねって理解できるかもしれないが。

でも、原作やアニメがスタートした頃を知っている世代からすると、10年前ってのは、80年代だからね。スマホどころか、携帯電話ですら一般人は持っていなかったよねって感じだしね…。というか、80年代の携帯電話は今の基準で見れば、携帯ってレベルじゃないしね…。

 

何が言いたいかっていうと、そろそろ、コナンはいったん完結させた方がいいんじゃないかって気がするんだよね。長期シリーズのアニメでも、「ドラえもん」とか「クレしん」は1話完結型だからいいんだけれど、コナンは、全体を通してのストーリーがあるから、四半世紀も続くと無理があるんだよね…。時代ものとか、未来の話なら、キャラクターたちが年を取らないものでも何年も続けられるけれど、現代が舞台だと、どうしても、辻褄が合わなくなってくるよね…。

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劇場版『美少女戦士セーラームーンEternal』<後編>

よく考えたら、TOHOシネマズデイにTOHOシネマズで映画を見るのは久々だ。去年は1回もなかった。そもそも、自分は原則、仕事が休みの日か、休日前日の夜勤・早朝勤務明けにしか映画館へ行かないから、TOHOシネマズデイとかファーストデイ(映画ファン感謝デー)などの割引サービスが適用される日や時間帯だからといって、それに合わせて映画を見ることもしない。また、コロコロ変更される不規則なシフトの仕事をしているので、上映期間中に見られるとは限らないため、ムビチケなどの前売券も基本購入しない。

だから、映画鑑賞は当日料金での鑑賞が基本だ。年間100本以上、劇場で見ているのだから、割引サービスを利用したり、前売券を購入すれば、年間で何万円単位の割引になるのに、何故、利用しないんだと思う人も多いだろうが、それは、余程のことがない限り毎週同じシフトが延々と繰り返されるようなシフトの人か、自分でシフトを決められるような人、つまり、超絶ホワイトな勤務をしている人にしかできないことだと思う。

ネット民には、割引サービスで見るのが当たり前みたいな意見が多いが、そういうのを見ると、ネット民って、思想の左右問わず、“上級国民”が多いんだなというのを実感する。

 

というわけで、TOHOシネマズデイにTOHOシネマズで映画を鑑賞するのは、おそらく、「アナ雪2」の吹替版以来の経験となった。ただ、前日の夜に大きな地震があったので、地震情報のチェックで遅くまで起きていた人がいたり、余震を警戒して映画館に行くのを避けた人がいたのか、それとも、緊急事態宣言下だから映画館に行かないのか、あるいは、前編の出来がイマイチなせいかは分からないが、TOHOシネマズデイにしては空いていた。

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そもそも、今回の劇場版、前後編に分ける意味ってあったのだろうか…。シリーズがスタートした90年代なら女児がメインターゲットだから上映時間が長い作品はNGだろうが、今回は確実に90年代にリアルタイムでシリーズに接したアラフォーがターゲットだから、2時間半くらいの長さで1本の作品にまとめた方が良かったのではないかと思う。

 

それから、今回の後編では上映前に長々と前編のダイジェストが流れていたが、それって、わずか1ヵ月前に公開された作品なのにダイジェストが必要なくらい、パッとしない内容ってのを自ら認めているようなものだしね。

テレビか映画かOVAかは知らないが、続編を作る気マンマンのようだが、どうなんだろうという気もする。

 

それにしても、今回の前後編を見て思ったが、「セーラームーン」というコンテンツって、女性の活躍とか多様性という、いまだに日本や米国で進んでいない問題を90年代に描いていた作品なんだなというのを改めて感じた。今回の作品における鏡を割る描写というのは、女性の活躍を阻害するガラスの天井の破壊のメタファーなのかなと思ったりもした。

 

あと、今回の前後編って、もしかすると、ベースになっているのは「眠れる森の美女」なのかな?呪いで人々が眠ったり目覚めたりするってのもそうだし、祝いの場に招かれざる客=悪役がやって来るってのもそう。ただ、キスで眠りから目覚めるのが女子ではなく男子になっていたのは現代的だなとは思った。

 

そして、前編の時も思ったが、ももクロの主題歌は良い!ここ最近のももクロ曲ではダントツの良曲だよね!

 

ところで、三石琴乃の演技はうまいとは思うんだけれど、さすがに年齢的に女子生徒役は厳しいんじゃないかなという気もするな。昭和のアニメを見ているような感じがしてしまうんだよね…。

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すばらしき世界

2週間前に公開された「ヤクザと家族」同様、本作もヤクザにも人権はあると訴える作品だった。しかし、本作にしろ、「ヤクザと家族」にしろ、登場人物たちは出所後も暴力的な生き方を全否定していないわけだし、そもそも、現役ヤクザだった頃にはカタギの人たちにも迷惑をかけているんだから、死ぬまで人権なんて与える必要ないと思うんだけれどね。生かされているだけでも感謝すべきだと思う。

やたらと映画人はヤクザに人権がないのはおかしいと言うし、映画ファンの多くもそれに同調し、本作や「ヤクザと家族」を絶賛している。いい加減にしろって言いたい!実際にヤクザやそれに近い存在の連中の被害にあった人や、血筋にそういう連中がいるせいで苦労した人からすれば、あんな連中に人権なんて与えるべきではないと思う。

 

なのに、本作にしろ、「ヤクザと家族」にしろ、ヤクザに感情移入できるような感動的な作品になっているんだから、本当に腹立つな!

ちなみに自分は血筋にそういう連中がいて、迷惑を被ったこともあるので、ヤクザには人権なんて不要だと思っています。今、そいつが生きているか死んでいるかは知らないけれどね。

 

こういうヤクザに人権をという主張をする人たちが自民党政権を批判しているの矛盾していると思うけれどね。自民がクソならヤクザもクソでしょ。

 

それから、大手マスコミを批判したがるのも、映画人は好きだよね。本作ではフリーランスのディレクターに対しては感情移入しやすいキャラにしているけれど、局の女性プロデューサーに関しては完全に視聴率のことしか考えていないクソ女的描写だったしね。それにしても、このプロデューサー役の長澤まさみの出番は少なかったな。彼女じゃなくても良かったよね。特別出演とか友情出演みたいな感じか?

 

ところで、本作にしろ、同じく今週公開の「ファーストラヴ」にしろ、東京スカイツリーが映っていたが、東武って、方針を変えたのか?

かつては、映り込んだだけでも莫大な使用料を東武が請求してくるから、スカイツリーは映らないように撮影したし、アニメでも高層タワーは描いても造形は変えたりしていたくらいなのにね。

結局、東武のそういう強欲なやり方のせいで、東京の景色として東京タワーばかり映されるようになってしまったから、このままでは存在が薄くなると考えて態度を軟化させたのかな?

 

そういえば、本作はワーナー邦画だけれど、こういうミニシアター系向けの内容の作品って珍しいよね。ワーナー邦画といえば、コミック実写化作品とか、アクションやサスペンス系の作品が多いのにね。あと、本家のハリウッド製ワーナー作品でもおなじみの、ワーナーのロゴを作風に合わせて変えるやつを本作でもやっていたのが面白かった。

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ファーストラヴ

北川景子出演映画を映画館で見るのは本作が24本目だ。その作品群は彼女が主演であろうと、ヒロイン役や助演、ゲスト出演であろうと、基本的には、面白いけれどツッコミどころ満載の映画かクソ映画のどちらかにしか分類できない。つまり、傑作と呼べる作品は1本もない。

 

まぁ、彼女と同世代の綾瀬はるか新垣結衣も同じようなものだし、宮﨑あおいは演技派扱いされているが、その割には傑作の部類に入る映画は数えるほどしかない。それから、長澤まさみだって、演技力が評価されるようになったのはここ最近の話だから、彼女の演技と作品そのものの両方で評価できる作品なんて数えるほどしかない。「コンフィデンスマンJP」シリーズは彼女の演技は良いとは思うが、作品自体はツッコミどころだらけだしね。

 

そして、話は戻るが、北川景子出演作品がツッコミどころ満載な理由には彼女の演技もあると思う。いつも同じ演技で、いつも無表情だしね。本作も、演技や表情はいつも通りだった。でも、作品としては、これまでの出演作品で一番マシだと思った。まぁ、ツッコミどころは多いけれどね。

 

本来なら、フェミ思想の人が共感する内容のはずなのに、フェミの人が嫌いな要素がたくさん入っているんだよね。

男は女性を呼び捨てにしているのに、女性は男をさん付けか君付けで呼んでいるしね。北川景子中村倫也間だけはお互い呼び捨てだったけれどね。

それから、女児に対する性的虐待を批判する内容なのに、男の手が女児の体を触るシーンを描写したり、女児と裸の男の並んでいる絵を見せたりするのもテーマとぶれている気がするんだよね。

限りなくセカンドレイプをしている作品に見えてしまった。まぁ、日本の映画やドラマを作る人間の人権意識なんて、その程度ってことなんだろうね。

 

つまり、この「ファーストラヴ」という作品は小説として読む分にはいいけれど、映像化すると、どうしても、テーマからブレてしまう題材ってことなんじゃないかなって思う。

 

それから、何かマスコミ批判をしたいのかなって思いたくなる描写も多かった。テレビ局のアナウンサー試験の面接官を性的虐待を行う連中みたいに描いていたしね。そもそも、殺人の容疑をかけられた人間が犯行直前にアナウンサー試験を受けたなんていう情報は普通は流さないと思うんだけれどね…。殺害した相手がセクハラ面接をしたテレビ局員とかなら話は別だけれどね。

 

まぁ、法廷シーンは日本の映像作品とは思えないほど良くできていたと思うけれどね。洋画や海外ドラマなみのリアリティがあったと思う。

 

そうそう、クソ映画やツッコミどころ満載の作品が多いといえば、本作のメガホンをとった堤幸彦監督もそうだけれど、本作は小ネタ系でない堤作品の中では最高峰の出来だったように感じた。

 

それはさておき、北川景子の女子大生演技および処女喪失演技は無理があったよね…。ガッキーや綾瀬はるかなら、まだ、女子大生くらいの役をやっても違和感ないが、北川景子だと無理あるかな…。やっぱり、結婚すると男も女性も老けてくるのかな?

 

とりあえず、芳根京子の演技は素晴らしいので、それだけでも見る価値はあると思う。

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