自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

甦る三大テノール 永遠の歌声

一般的には“3大テノール”表記なのに、このドキュメンタリーの邦題は“三大テノール”表記になっているのは何故?こういうのが、日本の映画関係者って、映画以外のことは知らないよねってバカにされる要因なのでは?

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それはさておき、自分が3大テノールを認識した時期っていつなのだろうかというのを思い出してみると、今はなきFMラジオ情報誌というより、多ジャンルをカバーしていた音楽誌と呼んでいいFM fanを立ち読みするようになったのが中学生の頃で、毎号買うようになったのが高校生の頃だから、ルチアーノ・パヴァロッティプラシド・ドミンゴホセ・カレーラスの3人のテノール歌手の存在は既にその頃には認識していたと思う。

ドミンゴに関しては、高校生の頃にはバーブラ・ストライサンドがカバーした「ゴヤ」プロジェクトを通じて音楽そのものも認識していたし、カレーラスに関しては白血病報道を通じて人物像も認識していたと思う。

そして、3大テノールという言葉を初めて認識したのはおそらく、専門学校生の頃に電車の中で読んだFM fanに掲載されていた、1990年にイタリア・カラカラ浴場で行われた最初のワールドカップ前夜祭3大テノール公演のライブ盤リリース告知の広告か何かだったと思う。

日曜日に専門学校の同級生との用事だかなんだかがあって、代々木上原小田急線に乗り換える時に、その広告だかなんだかを見たのを何故か今でも覚えている。

 

そんな3大テノールのドキュメンタリーということだが、パヴァロッティのドキュメンタリー「パヴァロッティ 太陽のテノール」が去年の秋に日本公開されたばかりなので、どうしたって同じようなトピックを扱う作品を間髪あけずに見る必要性はあるのかとの思いもあった。

また、「パヴァロッティ」はハリウッド資本で作られた作品で、監督は自作における音楽の使い方に定評があり、ザ・ビートルズのドキュメンタリーを手掛けているロン・ハワードなので面白かったが、本作はドイツ製作の作品なので正直なところ、つまらないのではないかとの不安もあった。

 

でも、鑑賞して良かった。というか、歌唱シーンだけでも泣ける。ブツ切れではあるけれど、映画館の大スクリーン(まぁ、ミニシアター上映だけれど)と大音響で見聞きする3大テノールのパフォーマンスはそれだけで感涙ものだった。

 

パフォーマンス以外の内容に関しては、3大テノールのせいでクラシック音楽、オペラが単なるポップになってしまったという専門家などの意見が出されるのは「パヴァロッティ」と同じなので新鮮味はない。

まぁ、PAを使って大会場で行うコンサートは、ポップやロックのやることだ。そんなことをやるのはクラシックではないという古臭い考えは日本だけではなく、欧米でもクラシック音楽の批評家やリスナーには多いということなんだろうね。

サラ・ブライトマンアンドレア・ボチェッリ、ヴァネッサ・メイなど3大テノールの成功以降、クロスオーバー系アーティストが続々と成功を収めたけれど、クラシック専門の批評家やリスナーはクラシック扱いしなかったしね。

彼等がクロスオーバー仕事で評価しているのって、ヨーヨー・マくらいじゃないかな?まぁ、ヨーヨー・マは“正統派”クラシック録音も多いけれどね。

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ところで、本作で一番言いたかったことというのは、「3大テノールはワールドカップの一部となった」ということではないかなと思う。

冒頭にアバン的に、そうした意見が紹介された後、中盤あたりで改めて、その意見がクローズアップされているので間違いないと思う。

1990年のイタリア大会で、初の3大テノール公演を行って以降、94年の米国大会でも、98年のフランス大会でも公演は行われ、ライブ・アルバムがリリースされ、ワールドカップ決勝前夜祭イベントとして3大テノール公演は欠かせないものとなった。

それと並行して、ワールドカップ以外の場でも3大テノールとしての活動が行われ、2000年にはクリスマス・アルバムまでリリースされてしまった(これは、ドミンゴが90年代にやっていたチャリティ・ライブの一環としてリリースされたものだけれど)。

ただ、日本では3大テノールの公演はクラシック愛好家からは邪道と見られていると同時に、一般の音楽ファンからはオペラとしか思われず、欧米のような大衆的な人気は得られなかったため、3大テノールのCD売り上げは海外に比べると地味な結果に終わってしまっていた。

なので、2002年のワールドカップ日韓共催大会ではコンサートは行われたものの、ライブ・アルバムはリリースされなかった。

 

日本で欧米ほど3大テノールのCDが売れなかったのは、クラシック音楽ファンとそうでない音楽リスナーの双方が偏見を持っていたということによるものが最大の理由かもしれないが、それと同じくらい大きな要因として考えられるのは日本のスポーツ好きの中にスポーツイベントに音楽を取り入れることを極端に嫌う者が多いからというのがあるのではないかと思う。

 

スーパーボウルというのは、開会セレモニーでの有名アーティストによる「星条旗よ永遠なれ」の歌唱(戦闘機のフライオーバーとセットで!)と、大物アーティストによるハーフタイム・ショーも含めて一つのパッケージとして構成されている。

しかし、日本のスポーツ好きには、堂々と“ハーフタイム・ショーなんていらない”ってぬかす連中が多い。そういう声に合わせているのか、日テレが深夜に行う録画中継ではハーフタイム・ショーは、行われたよという事実だけ告げてほんの少し流れるだけの編集にされてしまっている。

 

五輪の開会式や閉会式で人気アーティストやダンサーなどがパフォーマンスする時に、実況アナウンサーが延々とパフォーマンスに解説をかぶせて、せっかくの歌唱や演奏などを台無しにしているのも、日本のスポーツ好きは音楽やダンスに興味がないから、実況で繋ごうという発想なのだと思う。

 

ワールドカップなんかは、開会セレモニーや閉会セレモニーにおけるアーティストのパフォーマンスなんて、日本では滅多に放送されない。

 

 こうした日本のスポーツファンが音楽に興味を示さない姿勢が、五輪やW杯などの公式ソングが日本ではほとんど知られず、結果として各放送局が独自に邦楽アーティストとタイアップした曲がまるで公式ソングのように流される結果となっているんだろうね。

 

まぁ、スポーツファンにはアピールしなくても洋楽好きにはアピールすることはあるけれどね。五輪でいえば、88年のソウル大会の「ハンド・イン・ハンド」。W杯でいえば、98年のフランス大会の「カップ・オブ・ライフ」なんてあたりは日本でも洋楽としては、そこそこのヒットになったしね。

 

本当、日本って、映画関係者や映画ファン、映画メディアは映画のことしか知らない・興味ない(本作の邦題の“三大”表記もそう)、音楽関係者や音楽ファン、音楽メディアは音楽のことしか知らない・興味ない、スポーツ関係者やスポーツファン、スポーツメディアはスポーツのことしか知らない・興味ないってのが多いんだよね。

だから、ケガしたスポーツ選手とか、スキャンダルを起こした芸能人とかが、その後の人生を送れず落ちぶれていくケースが多いんだよね。

 

日本は、この道一筋信仰が本当強いからね。掛け持ちしているのは悪みたいな扱いだからね。本業でない声優をやたらと酷評したがる連中が多いのも、そうした思想のせいだろうね。いくら、国側が進めようとしても、一般人や企業は何でも屋よりも、この道一筋ばかりを評価するんだから、そりゃ、副業なんて進まないよね。

 

自分みたいな何でも屋は本当、都合のいい時だけ利用されて普段は軽視されるから、本当、腹立つんだよな。自分はすごいぞアピールになってしまうかもしれないが、政治・経済・国際・芸能・スポーツ、とりあえず、どんなジャンルでも平均レベル以上の仕事をできるディレクターなんて、滅多にいないぞ!

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ところで全く関係ないが、今回鑑賞した劇場に限らず、最近、多くの劇場や商業施設などで「トイレを使用した際は感染症予防のため、フタを閉めて流してください」みたいな貼り紙をよく見かけるが、意味ないと思うんだよな。

排泄物に付着していたウイルスは全てが流れ去っていくとは限らない。おそらく、フタを閉めていれば、流された水の勢いで上に飛んでフタの内部にも付着するウイルスもあるのでは?

しかも、こういう公衆便所というのは、間髪置かずに、別の人がその便器を使うわけだから、フタ内部に付着してしまったウイルスが、その別の人にも付着してしまうよね。そんなすぐにウイルスなんて消えないんだからさ。単なる感染症対策していますってアピールしているだけで、あまり効果はないと思うな。どちらかといえば、フタを開けたままの方がウイルスは便器にこびりつかない気がするのだが。

でも、こういうこと言うと、コロナ脳の人には老害扱いされるんだろうな…。