自腹批評

テレビ番組制作者が自腹で鑑賞したエンタメ作品を批評

Ado「うっせぇわ」を巡る世代間闘争

最近、Adoの「うっせぇわ」を引き合いに出して、受け入れられる人=若者、批判的な人=老害みたいな世代間闘争を煽るネット記事などをよく見かける。

 

しかし、本当にそうだろうか?個人的には「うっせぇわ」には令和の音楽という感じが全くしない。平成どころか昭和の音楽にも聞こえる。

歌い出しは嫌でもチェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」のパクリと言いたくなるし、大人社会を批判するような歌詞からは尾崎豊を思い浮かべる人も多いだろうし、社会に反抗する不良少女的なイメージからは中森明菜を想起する人もいるだろう。

また、昭和ではなく平成前期(90年代)の音楽からの影響も感じる。彼女の歌い方や、歌詞の中に“サディスティック”という言葉も出てくることから、椎名林檎の影響下にあることは間違いない。まぁ、彼女自身、その影響を語っているしね。

 

そして、ここで一つ疑問がわいてくる。Adoを若者の代弁者みたいに扱っているが、実は「うっせぇわ」にしろ新曲の「ギラギラ」にしろ、彼女が作詞や作曲をしている楽曲ではないんだよね。勿論、彼女の表現力が優れているから、ここまでブレイクしたのは事実なのだが、その背後には大人がいるってこと。

 

つまり、80年代から90年代の音楽のパクリみたいなことをやれば、その時代をリアルタイムで知っている人から批判されるのを分かっていて、わざとやっているってこと。要は炎上商法。

 

その一方で、今の日本の若者というのは、過去のエンタメを遡って“勉強”するということをしないので元ネタを知らない。だから、若者からすれば、若者世代アーティストの批判をする大人は“若者のやることを受け入れられない老害”になってしまう。

 

ストリーミング時代になって、アナログ盤世代やCD世代、それどころかダウンロード世代よりも旧譜をdigるのはやりやすくなつたのにもかかわらず、日本の若者は旧譜の発掘作業をしないんだよね。海外なんかは、若者が続々と旧譜を新譜と同じ感覚で聞くようになっているのにね。シティ・ポップが発見されたり、フリートウッド・マックリバイバル・ヒットしたりするのはストリーミング効果だと思うしね。まぁ、シティ・ポップに関しては違法にアップされた音源が発掘された面も大きいけれどね。

 

この自分の無知を棚にあげて、その元ネタを指摘した人を老害扱いする現象はAdo以前にもここ何年かの間に何度も頻発している。

 

映画「花束みたいな恋をした」では、既に保守的な層が聞くダサい音楽扱いにされてしまったONE OK ROCKや、「はな恋」では言及されていないけれどMAN WITH A MISSIONなんてのは、00年代前半に米国で流行っていた歌モノヘヴィ・ロックを10年代半ばあたりになって邦楽化して人気を集めたに過ぎない。洋楽ロック好きは、ひと昔前に流行った洋楽のマネをしているだけの音楽を、邦楽好きの連中が新しいと言っているのはダサいと思っていたりもした。

 

まあ、世間的には2018年ブレイクの代表となっている米津玄師やあいみょんだってそう。70年代から90年代までの音楽を今の技術でレコーディングしているだけって感じ。ほとんど、フォークだしね。あいみょんなんかは、それに90年代のスピッツなどの邦楽ロックの要素が加わっているって感じなだけだしね。まぁ、米津に関しては、基本は古臭い音楽だけれど、トラックにはちょいちょい、最近の洋楽のエッセンスはまぶされているけれどね。

 

それから、2019年ブレイクの代表となっているOfficial髭男dismやKing Gnuだって、新しい音楽とは思えない。髭男なんかは完全に汎用型J-POPだし、ヌーはひと昔前の洋楽オルタナティブを歌謡曲化したものだと思う。

 

そして、去年は数多くのネット発のアーティストがブレイクしたけれど、顔出ししている瑛人にしろ、夜好性にしろ、やっている音楽は古臭いんだよね。洋楽アーティストと違って、日本のアーティストには自宅にきちんとした録音設備がある人なんて少ないから、結局、ああいう古臭いサウンドにしかならないってことなんだろうね。

 

あと、去年といえば、SixTONESがデビューしてオリコンでは年間チャート1位を獲得したが、SixTONESのファンがザ・ローリング・ストーンズをリスペクトする洋楽ロック・ファンに対して“ストーンズという略称を使うな”という意味不明なことを言うんだからたまったものではない。

ストーンズというのはザ・ローリング・ストーンズの略称として約60年にわたり世界中で使われてきたものなのに、日本ではストーンズというのはSixTONESのことになってしまうのは音楽に対するリスペクトがないよね”とロック・ファンが指摘すると、“若者のやることを受け入れられない老害が若者をいじめて楽しんでいる”みたいに批判して被害者ぶるんだから、もう…って感じ。

 

結局、こうした現象の全ての原因は若者が過去のものに興味を持たないことにあるんだよね。だから、従軍慰安婦南京大虐殺はなかったとほざくネトウヨの主張にまんまとのせられて、自民党を支持してしまうんだろうね。その結果、コロナ禍になって、自分たちの就職が厳しくなっているんだから、それこそ、自民支持者の好きな言葉でいえば、自己責任でしょって感じかな。

エンタメも歴史もそうだけれど、きちんと、過去を勉強し、良い面はリスペクトし、悪い面は反面教師にしていかないとね。

ちなみに従軍慰安婦南京大虐殺は韓国や中国の主張するディテールは信用できないが、あったことは事実だと個人的には思う。例え、自ら志願し、十分な報酬をもらっていたとしても、軍に関わっていた以上は従軍慰安婦だし、複数の人間の死に国や軍が関わっていれば、たとえ、10人程度の犠牲者でも大虐殺だと思う。

 

話は戻るが、ここ20年くらい日本のエンタメは音楽だろうと映画だろうとアニメだろうとなんだろうと成長が止まっていると思う。日本経済の長い停滞と歩調を合わせるように。つまり、何も新しいことはない。

なのに、それを30代以上が指摘すると、30歳未満が“老害だから新しいものが理解できない”と批判するイビツな構造となっている。本当、理解不能

また、K-POP好きを除くと、日本の若者に新しいタイプのエンタメを貪欲に摂取しようという者が少ないのも事実。コロナに関係なく洋楽や洋画のシェアが年々減っているのは、それを示していると思う。

その一方で、30代以上には洋楽やK-POPの最新サウンド、海外のCGアニメーションなどを毛嫌いする連中も多い。そういう人には古臭いままの日本のエンタメを批判する資格はない。結局、それだと、自分もリアルタイムで経験した20年以上前のエンタメから何も成長していないわけだから、古臭いことをやっている日本のエンタメ界と何も変わらない。

30代以上も30歳未満も矛盾ばかり。全然、新しいものを取り入れられないのは同じなのに、お互いをdisりあっているだけで、全然、生産性がない。本当、小泉政権によって非正規が拡大し、それにより格差も拡大し、経済が停滞した日本社会そのものだなと思う。

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